第27話 いつも通りの放課後
第1部 過去への贖罪
この日の終礼は、いつもより明らかに短かった。
近隣で不審事件が続いているため、生徒の安全確保を最優先とすること。
放課後の不要な残留は禁止。
部活動、自主練、私的な居残りも制限対象。
終礼後は速やかに下校すること。
校内放送と担任の口から、同じ内容が繰り返される。
ざわつきはした。
けれど、騒ぎにはならなかった。
みんなもう、薄々気づいているのだ。
最近この辺りで起きている、心臓消失事件。
昨日も流れた短い速報。
不審だとか、気味が悪いだとか、そんな言葉だけでは片づけられない何かが、学院の周囲にじわじわと広がっていることを。
だから誰も、完全には平静でいられない。
それでも表面だけは普段通りを装って、いつもより少し早く帰る支度を始めていた。
椅子を引く音。
鞄を持ち上げる音。
「また明日」と短く交わされる声。
そのどれもが、今日は妙に薄く聞こえた。
人の流れはあっという間に廊下へ溢れ、階段へ吸い込まれ、そのまま校舎の外へ消えていく。
俺は教室を出る前に、一度だけ後ろを振り返った。
辰巳剛毅の席は空いていた。
もう帰ったのか。
それとも、まだ学院にいるのか。
そこまでは分からない。
けれど、空の席を見ただけで胸の奥が僅かにざらついた。
昨日の、あの静けさがまだ頭に残っている。
荒れていたものが、そのまま奥へ沈んだような顔。
前より静かなはずなのに、前よりずっと不気味だった空気。
思い出しただけで、理由のはっきりしない嫌な感覚が残る。
俺は視線を切って、教室を出た。
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人が引いていく学院は、思っていたよりずっと早く別の顔を見せた。
さっきまで確かにそこにあったざわめきが、もうない。
廊下には自分の足音だけが残り、窓の外にも部活の掛け声ひとつ聞こえなかった。
校庭は広い。
昼間と同じ形をしているはずなのに、今はやけに遠く見える。
誰かが使っていた教室には、引ききられていない椅子がある。
黒板には消し残しのチョーク跡。
窓際には置きっぱなしの雑巾。
ほんの少し前まで、たしかに“普通の放課後”だった痕跡だけが、そのまま残されていた。
なのに、そこに人間だけがいない。
中身だけが抜け落ちて、殻だけが残ったみたいだった。
俺は人の流れに逆らうように、静まり返った校舎の奥へ向かう。
指定された場所は、生徒会室だ。
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生徒会室に入ると、すでに全員揃っていた。
久遠託徒。
朝霧澪。
八神燈哉。
有栖川結衣。
天宮蓮次。
神威重護。
シエラ・ザード。
そして、俺。
長机の中央には通信端末が一台置かれ、その上に薄青い光が立ち上っていた。
映し出されているのは、壱番隊隊長・仙道遼司と、漆番隊隊長・エイミー・ターナー。
前回と同じ生徒会室だ。
なのに、空気はまるで違う。
説明を受けるために集められた場じゃない。
ここから先、本当に動き出す直前の沈黙だった。
久遠が端的に告げる。
「全員揃ったな。始める」
誰も余計なことは言わなかった。
最初に口を開いたのは、エイミーだった。
「一般生徒を早く帰した理由は、みんな分かってると思う。でも、今日はその先を共有するわ」
ホログラム越しでも、その声はまっすぐ届く。
「端的に言うと、今確認されている心臓消失事件は三件。――被害者は全員、この学院の生徒とその家族よ」
一瞬、音がなくなった気がした。
誰も、すぐには反応できない。
蓮次の表情が強張る。
重護が短く息を吐く。
有栖川の目が僅かに細くなる。
八神は黙ったまま、視線だけを上げた。
シエラも何も言わなかったが、その横顔はいつもより少しだけ張って見えた。
俺の頭にも、辰巳の顔が一瞬だけ浮かぶ。
けれど、それはあまりにも根拠が薄い。
今ここで口に出せるものじゃない。
「……それを、今言うんですか」
重護が低く言った。
「今はまだ、全校生徒に出せる情報じゃないから」
エイミーは間を置かずに返した。
「三件とも本校生徒に関係してると知られれば、余計な不安を煽ることになる。それに、犯人がどこまで学院側の動きを見てるかも読めない以上、こっちも慎重にならざるを得ないの」
有栖川が静かに口を開く。
「だから、“近隣で不審事件が続いている”とだけ伝えて、生徒たちを帰らせたんですね」
「そういうことだよ」
今度は仙道が答えた。
淡々とした声音なのに、その一言には鋭さがあった。
「だが、君たちは調査に協力する。なら、情報を共有しないまま動かせる段階はもう過ぎてる」
朝霧が机の上に見取り図を広げる。
校舎配置と担当区画が、簡潔に記されていた。
久遠がその上に指先を置く。
「機材と基本方針は、前回共有した通りだ」
短い確認だった。
「今日は予定を前倒しする。一般生徒はすでに下校させた。今なら、見回りや後片付けに見せかけて校内を動ける」
朝霧が続ける。
「連絡は絶やさないでください。危険を感じた場合は、確認より先に報告を優先してください」
八神が短く頷いた。
蓮次と重護も、無言のまま資料に目を落とす。
シエラが小さく息を吸う。
俺は手元の検知盤へ視線を落とした。
もう、準備段階の話じゃない。
今日からだ。
仙道が最後に言う。
「今はまだ、“学院の中に何かがある”としか断定できない。だからこそ、見たものと感じたものだけを持ち帰ってほしい。深追いはしなくていい。共有された情報は、こちらで解析する」
低く落ち着いた声音に、迷いはなかった。
久遠が俺たちを見渡す。
「では、予定通り開始する」
それだけだった。
大げさな合図はない。
けれど、その一言で場の空気が切り替わったのが分かった。
ここから先は、正式に動く。
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生徒会室を出ると、廊下の空気はもう夕方から夜へ沈みかけていた。
誰も、すぐには口を開かない。
さっきまで同じ部屋にいたはずなのに、扉を一枚隔てただけで、かえって現実味が増した気がした。
三件。
しかも被害者は、この学院の生徒とその家族。
その事実が、それぞれの中でまだ上手く沈みきっていないのだろう。
蓮次は手の中の検知盤に視線を落としていた。
重護は前を向いたまま、ひとつだけ深く息を吐く。
有栖川の表情も、いつもより少し硬い。
八神はもう気持ちを切り替えたのか、無言のまま廊下の先を見ていた。
シエラは静かだったが、その横顔には張りつめたものが残っていた。
久遠と朝霧は最後の確認を終え、扉の前で足を止める。
「連絡はこまめに」
「何かあれば、すぐ端末で」
その言葉に短く頷いて、俺たちは四方向へ分かれた。
久遠と朝霧は階段の方へ。
八神と有栖川は管理棟側へ。
蓮次と重護は教室棟の奥へ。
俺とシエラは反対側の廊下へ。
誰もいない学院の中で、足音だけがそれぞれの方向へ離れていく。
昼までここにいたはずの生徒たちは、もういない。
校舎はいつもの形をしているのに、今ここにあるのは、もう別の場所みたいだった。
俺は検知盤を持ち直す。
ここから先は、もう“いつも通り”の放課後じゃない。
人の消えた学院で、魔術痕の調査が始まる。
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