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世界の代行者  作者: 星之矢
第1章 始まりの過去編

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第25話 静かな濁り

第1部 過去への贖罪

 教室へ入った瞬間、最初に目についたのは後ろの席だった。


 まだホームルーム前だというのに、辰巳剛毅(たつみごうき)の席が空いている。


 いつもなら偉そうにふんぞり返っているくせに、今日はその姿がない。


 昨日の今日で、学院に来づらくなったのかもしれない。


 ……いや、それはないな。

 その程度のメンタルなら、あんな性格には育っていないだろうし。


 鞄を机に置きながら、もう一度だけ後ろを見る。

 やっぱり、いない。


 取り巻きの二人も、今日はどこか落ち着かない顔をしていた。


「連絡つかねぇの?」

「さっきも送ったけど既読つかない」

「寝てんじゃね?」


 軽口みたいな会話だった。

 けれど、本気で笑っている感じではない。


 俺は小さく息を吐いて、席につく。


 先日の合同実技のあとから、妙に胸の奥へ残っているものがある。

 暴走した魔術装甲機。

 継ぎ目の奥で脈打っていた、赤黒いもの。


 どれもまだ、綺麗には整理できていない。


 そんなところへ、教室の扉が開いた。


 入ってきたのは、担任の浦邊(うらべ)だった。


 今日はまっすぐ教壇へ向かうでもなく、入口のところで視線を巡らせ、そのまま俺を見る。


(くろがね)。ちょっと来い」


 教室の空気が、僅かに止まる。


「……はい」


 立ち上がって教室を出る。

 背中に視線を感じたが、振り返らなかった。


------------


 浦邊は必要以上のことを言わないまま、実技棟の方へ歩いていく。


 朝の校舎を抜け、通路を渡り、昨日の騒ぎがあった中央実技演習場の手前を通り過ぎる。

 その奥にある、小さな制御管理室の前で足が止まった。


 浦邊が扉を開く。


「入れ」


 促されるまま中へ入って、少しだけ目を見開く。


 蓮次がいた。

 壁際には重護。

 その横で、無言のまま記録端末へ視線を落としているのは八神だ。

 シエラもいて、四人ともすでに揃っている。


「……俺だけじゃなかったんですね」


 思わず漏れた言葉に、浦邊は短く返した。


「先日、実際にあれと対峙した連中だけだ」


 なるほど、と胸の内で頷く。


 部屋の中央には長机があり、その上にいくつかの部材が並べられていた。


 黒く焼けた装甲片。

 折れた固定具。

 制御術式の焼け跡が残る拘束杭。

 それから、回収記録を映した端末。


 先日の残骸だった。


 浦邊は机の端へ片手を置き、五人を見渡す。


「先日の件で確認したい。何か不自然な点に気づかなかったか?」


 説明ではなく、いきなり本題だった。


「違和感でもいい。小さなことでも、思い出せるなら教えてくれ」


 最初に口を開いたのは蓮次だった。


「拘束具が切れたタイミングです。術式が暴走したというより、生きているみたいに見えました。普通の制御逸脱とは、少し違う気がします」


 浦邊が頷く。


「神威は?」


「理屈は分からないですけど、あれ、ただの機械って感じじゃなかったです。動きが変だった。生き物みたいに」


「八神」


 八神は記録端末から視線を上げた。


「核の位置が一瞬だけズレたように見えました。正確には、そこにあるはずの感覚が薄れた。斬った時の感触も、金属だけじゃなかったです」


 短い。

 だが、無駄がなかった。


 次に、シエラが静かに言う。


「私は補助へ入った際、術式の流れへ干渉しようとしました。ですが、一瞬だけ拒絶されました。機械の制御反応というより、別種の脈動が混ざっているような感覚でした」


 浦邊の眉が、僅かに動く。


 そして最後に、視線が俺へ向いた。


(くろがね)、お前はどう感じた?」


 机の上に置かれた、裂けた装甲片を見る。

 昨日、自分が叩き込んだ継ぎ目とは別の破片だ。

 なのに、見ているだけで胸の奥がざらつく。


「……配線部分が、まるで筋繊維みたいでした」


「筋繊維だと?」


「はい。普通の機械っていうより、機械に何かが寄生されているような感じです」


 口にしながら、自分でもそんなことがあるわけないと思った。


 浦邊はすぐには返さない。


 端末を操作し、先日の記録映像を開く。

 映るのは、搬送台から暴走直前の魔術装甲機だ。


 何度か再生と停止を繰り返し、ある一瞬で映像が止まる。


 赤い識別光。

 脚部の展開。

 外装の継ぎ目。


 ノイズみたいな乱れが走っている。

 よく見れば、その奥で赤黒いものが脈打っているようにも見えた。


 重護が小さく舌打ちした。


「この前はこんなの見えてなかったぞ」


「肉眼じゃ厳しいだろうな」


 浦邊は淡々と言う。


「回収記録と照合して分かった。制御術式の途切れ方も普通じゃない」


 そこで浦邊は端末を閉じた。


「それに、先日のあれは俺たち学院側が用意した魔術装甲機とは形そのものが別物だ」


 空気が、一段重くなる。


「だから確認した。先日、実際に近くで見たお前らの感覚も必要だった」


 蓮次が静かに口を開く。


「何者かが仕組んだ、ということですか」


「まだ言える段階じゃない」


 切るような返答だった。

 だが、それで終わらせるつもりでもないらしい。


 浦邊は一人ずつ視線を巡らせ、低く言った。


「今後、似た違和感を覚えたら、すぐ報告しろ。自分だけで判断するな。単独で動くな。この前みたいな対処は結果論だ。次も上手くいくとは限らん」


 重護が鼻を鳴らす。


「つまり、また何か起きるかもしれないってことですか」


「起きないのが一番だ」


 浦邊はそれ以上は答えなかった。


「話は以上だ。各自、教室へ戻れ」


 五人で部屋を出る。


 廊下へ出たところで、重護が小さく息を吐いた。


「朝から重てぇな」


「でも、ただの聞き取りで済ませる感じじゃなかったな」


 蓮次がそう返す。

 シエラは無言のままだったが、その横顔はいつもより少し硬い。


 八神は最後まで何も言わず、先に歩き出す。

 一通りの会話を聞いた上で、それ以上は口にしない。


 俺も自分の教室へ戻るため、教室棟の方へ足を向けた。


 いったい、この学院で何が起こっているんだ。


 そんな考えが、妙に胸へ残った。


------------


 辰巳剛毅(たつみごうき)は、ベッドの上で目を開けたまま、しばらく天井を見ていた。


 時計を見る必要もない。

 遅い時間だということは分かっている。

 学院へ行くなら、とっくに起きていなければならない時間だった。


 だが、身体がすぐには動かなかった。


 右の掌が熱い。


 いや、熱いだけじゃない。


 冷たいものが皮膚の内側へ沈み込んだまま、そこだけ焼け続けているみたいな、妙な感覚だ。

 昨夜の深蝕印(しんしょくいん)が身体に馴染んでいく感覚が、まだそのまま残っていた。


 辰巳はゆっくり右手を開く。


 見た目には何もない。

 傷も、火傷の痕も、刺青みたいな印すら見えない。


 なのに、皮膚のずっと下で何かが脈打っている。


 意識した瞬間、ぞくりと背筋が震えた。


「……っ」


 浅く息を吸う。


 怖いのかと問われれば、たぶん違う。

 少なくとも、それだけじゃない。


 昨夜、自分が何をやったのかは分かっている。


 生徒を殺した。

 その家族も殺した。


 胸を裂いたわけでも、刃物で抉ったわけでもない。

 ただ、喰った。


 その事実は理解している。

 人として終わっていることも分かっている。

 もう取り返しがつかないところまで来てしまったことも。


 ――なのに。


 なのに、思い出して最初に胸へ浮かぶのは、罪悪感でも吐き気でもなかった。


 満ちる感覚だ。


 足りなかった場所へ、濃くて熱いものが一気に流れ込んできた、あの瞬間。

 身体の芯が、初めて正しく満たされたみたいな錯覚。

 胸の奥に空いていた穴へ、ようやく何かが注がれたような、あの甘さ。


 辰巳は目を閉じる。


 思い出すのは顔じゃない。

 倒れた身体でも、床に広がった静けさでもない。


 あの時、自分の内側へ流れ込んできたものだけだ。


 魔力とは違う。

 だが、魔力に近い。

 もっと粘ついて、もっと深く、もっと身体の奥へ馴染む何か。


 あれが、まだ残っている。


 いや、残っているだけじゃない。

 少しずつ、自分の中へ馴染んでいる。


 その実感があった。


 布団を払い、ようやく上体を起こす。

 立ち上がると、身体が軽い。

 昨夜はほとんど寝ていないはずなのに、むしろ前よりずっと冴えていた。


 鏡の前へ立つ。


 そこに映る自分は、いつもと変わらない顔をしていた。

 少なくとも、見た目だけなら。


 だが、目の奥だけが違う。


 乾いている。

 妙に静かで、妙に透き通っていて、そのくせ奥底にどろりとしたものが沈んでいる。


 自分で見て、自分の顔じゃないみたいだと思った。


「……クソ」


 吐き捨てるように呟き、洗面台の水を顔へ叩きつける。


 冷たい。


 それでも、掌の熱は消えない。


 シャツを脱ぎ、首筋から胸元へ手を当てる。

 そこにも何かが残っている気がした。

 昨夜、喰ったものの名残が、まだ身体のどこかを巡っているような感覚。


 腹は減っていない。

 それなのに、足りない。


 喉が渇いているわけでもないのに、何かを飲み込みたい衝動だけがある。


 昨夜は満ちたはずだった。

 一気に満たされたはずだった。


 なのにもう、その満ちた感覚の輪郭が薄れかけている。


 薄れていく。

 消えかける。


 そう思った瞬間、胸の奥がざわついた。


 失いたくない。


 もう一度、あれを。


 その思考が浮かんだ瞬間、辰巳は強く歯を食いしばった。


「……は、ふざけんな」


 声に出しても、まったく消えない。


 欲しい。

 もう一度。

 もっと。


 その三つの言葉が、頭の奥で粘りつくように離れなかった。


 昨夜の静まり返った家を思い出す。

 音が止まり、鼓動が消えたあとの、あの不気味な静けさ。


 普通ならそこで吐くはずだ。

 震えるはずだ。

 泣き出してもおかしくない。


 それなのに自分は、あの静けさの中で、自分の内側だけが満ちていくのを感じていた。


 それがたまらなく気持ち悪い。


 気持ち悪いのに、忘れられない。


 忘れられないどころか、身体の奥が『もう一度』と渇望している。


 鏡の前の自分の口元が、僅かに歪んでいることに気づき、辰巳は反射的に顔を背けた。


 笑っていた。

 自分でも気づかないうちに。


「……クソッ」


 拳を握る。

 掌の奥で熱が脈打つ。


 深蝕印(しんしょくいん)が、そこにあると分かる。

 見えないだけで、確かにそこに沈んでいる。


 学院へ行く気が起きないわけではない。

 だが、このまま行けば、余計なものまで顔に出る気がした。


 だから辰巳は、制服へ袖を通しながら時間を潰した。

 テレビもつけない。

 端末の通知も見ない。


 ただ、部屋の中を行ったり来たりしながら、身体の内側に残る余熱と、じわじわ薄れていく充足感を何度も確かめた。


 まだ、足りない。


 その実感だけが、時間と一緒に濃くなっていく。


 気づけば、午前はほとんど過ぎていた。


 ようやく家を出る頃には、熱は消えていた。

 むしろ肌の下へ馴染み、前より静かにそこにある。


 辰巳はゆっくり息を吐く。


 大丈夫だ、と自分へ言い聞かせた。


 表に出さなければいい。

 何もなかった顔をしていればいい。

 いつも通り、少し不機嫌そうな顔をして座っていればいい。


 そう思いながら歩き出したのに、胸の奥では別のものがずっと(うず)いていた。


 次は、いつだ。


------------


 午前の授業が半分ほど過ぎても、辰巳の席は空いたままだった。


 浦邊に呼ばれた件を、教室へ戻ってから誰かに聞かれることはなかった。

 聞きたそうな目はあったが、露骨に話しかけてくる者もいない。


 合同実技のことがあるせいか。

 それとも、浦邊が直々に呼びに来たせいか。


 どちらにしろ、落ち着かない空気だけが残っている。


 昼休み前になって、ようやく辰巳が教室へ入ってきた。


 がらり、と扉が開く音で何人かが顔を上げる。


「お、やっと来ましたね。何してたんですか」


 取り巻きの一人が、半分安堵したように言った。


 辰巳はそいつらを一瞥しただけで、短く返す。


「寝坊」


 それだけだった。


 雑な返事だ。

 なのに、前みたいな棘立った荒さがない。


 不機嫌そうに見えないわけじゃない。

 けれど、荒れてはいない。

 むしろ静かだった。


 教師に遅刻のことを聞かれても、


「すいません」


 とだけ答えて席につく。


 それで終わる。


 俺は思わず、その横顔を見た。


 どこが、と説明はできない。

 でも、昨日までと違う。


 怒りが薄れたわけじゃない。

 先日の件を引きずっている感じでもない。


 辰巳がふと顔を上げる。


 一瞬、目が合った。


 前までなら、そこにあったのは分かりやすい敵意だった。

 でも、今日は違う。


 何か別のものが、目の奥で静かに濁っている。


 次の瞬間には、辰巳は何事もなかったみたいに視線を逸らしていた。


 胸の奥に、小さなざらつきが残る。


 朝に見た装甲片。

 継ぎ目の向こうで脈打っていた赤黒いもの。


 あれを思い出したのは、ただの気のせいかもしれない。


 けれど、そう思って流すには、辰巳の空気は妙に引っかかった。


------------


 午後の授業が始まってからも、辰巳は静かなままだった。


 教師に当てられれば答える。

 板書を書き写し、終われば教科書を閉じる。


 それだけ見れば、むしろ普段より大人しすぎる。


 なのに、ときどき右手だけがゆっくり動く。


 握る。

 開く。

 また握る。


 癖みたいな動きだった。


 そのたびに、指先へほんの少し力がこもる。

 何かを確かめているようにも見えた。


 俺は視線を切る。


 考えすぎかもしれない。

 浦邊の話を聞いたあとだから、余計なものまで繋げてしまっているだけかもしれない。


 そう思うのに、どうにも落ち着かない。


 辰巳の空席。

 昼からの登校。

 先日の装甲機の異常。


 全部がまだ繋がっていないくせに、ばらばらのまま嫌な形で胸に残っている。


------------


 帰宅した時には、空はすでに夕方の色へ傾いていた。


 靴を脱ぎ、部屋へ入る。

 テレビを点けた瞬間、その音に身体の動きが止まった。


『――本日昼前、市内の住宅で三人の遺体が発見されました』


 ニュース番組の、硬い声だった。


 自然と足が向く。


 画面には規制線が張られた住宅街と、停まったままの警察車両が映っていた。

 現場中継のテロップが下へ流れる。


『発見されたのは同居する家族三人とみられ――』


 そこで映像が切り替わる。

 レポーターが緊張した顔で原稿を読み上げる。


『警察によりますと、三人の胸部に目立った外傷は確認されていないということですが、いずれの遺体も、何かに赤黒く侵食され、『心臓が消失』していたとのことです』


 心臓が、()()


 その言い方に、喉の奥がひどく冷えた。


 切り取られた、でもない。

 抉られた、でもない。

 消失。


 先日の装甲機の継ぎ目を見た時と、似たざらつきが胸の奥を掠める。


 偶然だ。


 そう思おうとした。


 だが、同時に今朝の空席が浮かぶ。

 昼から何事もなかったみたいに座っていた、辰巳の顔も。


 もちろん、繋がるはずがない。

 繋げる根拠もない。

 ただの遅刻と、ただの事件報道だ。


 それでも。


 それでも、偶然だと切り捨てるには、胸の奥のざわつきが消えなかった。


 テレビの向こうでは、レポーターがまだ何かを読み上げている。

 聞こえているはずなのに、頭に入ってこない。


 俺は無意識に右手を握っていた。


 今朝の制御管理室。

 浦邊の低い声。

 あの時見た、赤黒い脈動。


 ――似た違和感を覚えたら、すぐ報告しろ。


 浦邊の言葉が、遅れて胸へ沈む。


 画面の中の家は、もう映像の中でしか知らない場所だ。

 それなのに、妙に近く感じた。


 嫌な予感だけが、夕方のニュースと一緒に静かに残った。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

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