第24話 力の味
第1部 過去への贖罪
放課後。
辰巳剛毅は、取り巻き二人を連れて、校舎裏の人気のない通路を歩いていた。
誰も口を開かない。
合同実技の騒ぎが収まってから、学院は表面上、いつも通りに戻っていた。
だが、それが余計に最悪だった。
何事もなかったみたいに、全部が流れていく。
なのに、みんなの記憶にだけは、はっきり残っている。
自分を過信して前に出たこと。
かえって状況を悪化させたこと。
そして、あの鐡瑛志が、事態の終息に一役買ったこと。
最初に口を開いたのは、取り巻きの一人だった。
「剛毅さん……あの機体、そもそも普通じゃなかったし……」
「だから何だよ」
「で、でも、剛毅さんが前に出たのは間違ってなかったですって。あの場で動けるのは、さすがでした」
「慰めてんのか?」
押し殺した一言に、二人とも言葉を詰まらせた。
「見てただろ、あの場面。俺がしくじって、アイツがそれをカバーした」
返事はない。
その沈黙が答えだった。
「しくじった俺を、内心笑ってんだろ?」
「そんなこと――」
「じゃあ何で黙ってんだよ!」
怒声が狭い通路に反響した。
二人がびくりと肩を震わせる。
辰巳の呼吸は荒くない。
だが、その分だけ怒りが態度に滲んでいた。
「神威は水波を助けた。八神は有栖川を助けた。そこまではいい」
吐き捨てるように言う。
「けど何で、アイツが……鐡が目立ってんだよ」
拳が、ゆっくりと握られる。
「魔力もねぇくせに、何であんなもんが使える。何で、あれを八神が認める」
それは疑問じゃない。
吐き出しきれない苛立ちそのものだった。
何より許せないのは、そこだ。
八神燈哉が、あの鐡瑛志を認めた。
その事実だけが、何度思い返しても胃の底を焼いた。
「……失せろ」
「剛毅さん……」
「聞こえなかったか? 失せろっつってんだよ!」
二人は顔を見合わせ、そのまま立ち去っていった。
一人になった通路は、妙に静かだった。
遠くで誰かの話し声がする。
扉が閉まる音もする。
自分だけが、この世界から少しずつ弾かれていくようだった。
「……ふざけるな」
校舎の壁を殴りつけ、辰巳はその場をあとにした。
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帰り道。
夜遅くまで寄り道をしながら、自分と似たような素行の悪い、いわゆる不良に喧嘩を吹っかけては殴り倒していた。
「けっ! 全然気分が晴れねぇ。思い出せば思い出すほどイラついてくるぜ」
「オマエはその程度の人間なのカ?」
声がした。
辰巳は反射的に顔を上げる。
誰もいない。
通路の端から端まで見渡しても、人影はなかった。
「その程度なのかって聞いてンダよ」
今度ははっきり聞こえた。
疑いようもなく、低くざらついた声が、ずっしりと頭の中に落ちてくる。
「……っ」
「ハハハハハッ! 見せ場を取りにいって、逆に奪われたなァ」
今日の光景が、容赦なく蘇る。
「黙れ……!」
「見下していた相手は、最初からザコではなかった。今のオマエには、どう足掻いたって勝てはしねェよ」
辰巳の指先が震える。
「周りの見る目が変わったのも、分かっているだろう」
逃げろ、と本能が叫んでいた。
こんなものに付き合うな、と。
だが同時に、その声はあまりにも正確だった。
今日、自分の中で起きたことを、寸分違わず言い当てている。
「……何者だ」
「オマエが欲しがっているものを持っている者ダ」
暗がりの奥、通路の曲がり角の向こう。
影の濃い場所が、僅かに揺らいだ気がした。
人影とは言い切れない。
だが、確かに“ナニカ”がいる。
「力が欲しいんだろう。見下していた相手を見下したままでいたい。上位にいる者たちに食い込みたい。――違ウか?」
「……違わねぇよ」
吐き出した声は、ひどく掠れていた。
「欲しいに決まってんだろ。あんな奴以下で終わるなんて、納得できるわけねぇ」
影の奥で、“ナニカ”が僅かに笑った気がした。
「なら、オマエが欲しがるものを与えられル」
ぞくりと背筋が冷える。
嫌悪感に近いはずなのに、耳を塞げない。
「そこに横たわってるソレを使おう」
何をしたのかは分からない。
だが、辰巳が殴り倒したそいつの周りに結界が張られ、やがて蒸発した。
「少し手を伸ばせ」
辰巳は歯を食いしばりながら、手を伸ばす。
脳裏に浮かぶのは、鐡瑛志の顔ではない。
自分を見ていた周囲の目だ。
あんな終わり方は認められない。
「っ!? これは……」
「ドウダ? 素材が悪かったから、そこまで感じないかもしれんが、オマエの魔力は上がったハズだ」
魔力の底が、確かに押し上げられた感覚があった。
その実感に、自然と笑みが浮かぶ。
「……何をすればいい」
問い返した声は、自分で思ったより低かった。
「察しが良いな。簡単なコトだ」
影の声は、するりと胸の奥へ入り込んでくる。
「オマエの中にあるものを、受け入れるだけでイイ」
影が、もう一段だけ濃くなる。
辰巳は、影の奥に立つ“ナニカ”から目を逸らせなかった。
人気のない通路に、夜の底のような冷たさが満ちていた。
「オマエに、今よりもさらに上へ行く力をくれてヤル」
その声が耳から聞こえているのか、頭の内側で響いているのかは、もう分からない。
「……本当に、今よりも力を手に入れられるんだな?」
絞り出した問いに、影が僅かに揺れる。
「そうでなければ、今こうしてオマエに話しかけていない」
ざらついた声だった。
嘘を言っているようには聞こえない。
いや――それ以前に、この存在そのものが、嘘や冗談で済むものではなかった。
辰巳は無意識に拳を握る。
今日一日、何度も何度も自分の中を掻き回してきた感情が、まだ消えない。
八神燈哉。
天宮蓮次。
神威重護。
シエラ・ザード。
あいつらは最初から、上位にいる側だった。
それだけなら、まだ耐えられた。
問題は、鐡瑛志だ。
魔力がない。
落ちこぼれ。
雑魚。
そう見下していたはずの相手が、最初から雑魚ではなかった。
動画が回った。
周りがざわついた。
今日の合同実技では、自分の価値を改めて証明した。
それが、何よりも許せない。
「受け入れてしまえ」
影の奥から、また声がする。
「足りねェんだろう? 今のままじゃ、あの連中を超えられない」
「……当たり前だ」
辰巳は吐き捨てるように言った。
「今のまま終わるなんて、俺の自尊心が許せない」
「なら、取引をしろ」
その言葉に、辰巳は眉をひそめた。
「取引?」
「あァ。オレは強制しない。選ぶのはオマエだ」
その声音には、妙な甘さがあった。
「力をやる。だが、それを自分のものにできるかどうかは、オマエ次第ダ」
「御託はいい。断る理由はねぇんだよ」
辰巳の中の覚悟を確かめるように、影の中で二つの赤い光が薄く瞬いた気がした。
「まずは証明ダ。オマエが、本当に選ばれる側の器かどうかをな」
その瞬間、空気が歪んだ。
辰巳が息を呑むより早く、影の中から細い指のようなものが伸びてきて、額の前で止まる。
「ウゴクナ」
反射的に身を引こうとした身体が、その一言で縫い止められた。
次の瞬間、額の奥に熱が走る。
「ッ……あ゙、がっ……!?」
頭蓋の内側に何かを流し込まれるような感覚。
焼けるように熱いのに、同時に底冷えする。
視界が白く弾け、膝が折れかけた。
「耐えろ」
「っ、ゔ……!」
喉の奥から呻きが漏れる。
だが、数秒後。
その激痛は、嘘みたいにすっと引いた。
代わりに残ったのは、妙な高揚感だった。
身体が軽い。
呼吸が深い。
世界の輪郭が、少しだけくっきりして見える。
「……なんだ、これ」
自分の手を見る。
握った拳の内側で、魔力が僅かに脈打つのが分かった。
いつもの自分のそれより、濃く、鋭い。
まるで別物だ。
「それが、お前への前金ダ」
声が嗤う。
「まだ完全じゃない。だが、今までのオマエとは別人のハズだ」
辰巳の鼓動が早くなる。
分かる。
これは本物だ。
ただの気分の問題じゃない。
さっきまでとは明らかに違う力が、身体の内側を流れている。
「スゲェ……」
思わず零れた声に、影が僅かに揺れた。
「だが、それだけじゃ足りないだろう?」
図星だった。
確かに違う。
確かに強くなった気はする。
だが、これだけであいつらを踏み越えられるとは思えない。
「もっと欲シいか?」
その問いに、辰巳は躊躇わなかった。
「……欲しい」
「なら証明しろ」
影の中から、赤黒い小さな印のようなものが浮かび上がる。
円でもない。
ただの紋様でもない。
見ているだけで目がざらつくような、不快な形だった。
「これは深蝕印の欠片ダ」
「深蝕印……?」
「今の魔術師どもには扱えない術の欠片ダ」
その赤黒い印が、宙でゆっくり回る。
「試すにはこれで足りる」
辰巳は喉を鳴らした。
「……何を試す」
「簡単ダ」
影の奥の赤い光が細くなる。
「人を少なくとも一人、殺せ」
辰巳の呼吸が、一瞬止まった。
言われた意味は分かった。
だが、理解したのとは別の場所で身体が強張る。
「な、に……?」
「驚くコトか?」
声は淡々としていた。
「オマエは力を望んだ。なら、それを証明してもらう。これはその第一歩ダ」
「人を……殺せ、だと?」
「そうダ」
あまりにもあっさりとしていた。
「この印を使えば、オマエにも簡単にできる。しかも、ただ殺すだけじゃない」
赤黒い印が、ふっと辰巳の目の前まで寄る。
「命は糧になる。オマエが殺した分だけ、その力はオマエへ還元されル」
辰巳は唇を噛んだ。
殺す。
その言葉の重みが、今さら遅れて胸に落ちてくる。
確かに辰巳は人を見下してきた。
弱い奴は嫌いだった。
邪魔なものをおもちゃのように扱ったことは何度もある。
だが、本当に人を殺すのか。
「ビビったか?」
その一言に、辰巳の顔が歪む。
「……ビビるわけねぇだろ」
「なら、殺れ」
影の声は甘く低く、底なしの闇みたいに引きずり込んでくる。
「弱いヤツが喰われるのは当たり前ダ。オマエはそう思っていたハズだ」
その言葉に、辰巳は息を呑んだ。
今までの人生で得てきた教訓は、弱肉強食。
それをそっくりそのまま返されたような気分だった。
「オマエは選ばれた」
声が囁く。
「もう喰われる側じゃない」
その一言が、最後の迷いに突き刺さる。
辰巳は拳を握った。
鐡瑛志の顔が浮かぶ。
八神燈哉の無表情。
天宮蓮次の余裕。
神威重護の圧。
シエラ・ザードの拒絶。
そして、周囲から向けられた哀れむような目。
このまま終わるわけにはいかない。
そんな終わり方は、辰巳の自尊心が許さない。
「……殺る」
声は少し掠れていた。
だが、言葉ははっきりしていた。
「よく言った」
赤黒い印が、ふっと辰巳の掌へ落ちた。
触れた瞬間、冷たいのに焼けるような感覚が走る。
掌の奥へ、印そのものが沈み込んでいく。
「五日間ダ」
「……五日間?」
「今のオマエには、与えた力と印が馴染むまで、時間が要る」
影はゆっくりと揺れた。
「その五日間、オマエは力の味を忘れられなくなる」
その言葉の意味を、辰巳はまだ完全には理解していなかった。
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翌日からの五日間は、妙に長く、そして妙に短かった。
学院では何も変わっていないように見えた。
授業があり、休み時間があり、誰かが笑い、誰かが騒ぎ、教師が注意をする。
だが、辰巳にとっては、何もかもが昨日までと違って見えた。
身体が軽い。
魔力の流れが前よりも鮮明に分かる。
術式を組み立てる速度も、頭の中でなぞる精度も、僅かに上がっている。
ほんの少しだ。
だが、そのほんの少しがたまらなく甘かった。
授業中でさえ、自分の掌を見てしまう。
拳を握れば、あの夜に与えられた力の残滓が、まだ身体の奥に燻っているのが分かった。
――もっと欲しい。
その思考が、日に日に強くなっていく。
取り巻き二人も、辰巳の変化には薄く気づいていた。
「剛毅さん、最近なんか……」
「何だよ」
「いや、前より大人しいっていうか……」
「文句でもあるのか?」
そう言われれば、もう何も言えない。
鐡の方も、辰巳が妙に静かなことには気づいていたかもしれない。
だが、そんなことはもうどうでもよかった。
五日目の夜。
辰巳は、指定された場所へ向かっていた。
人気のない住宅街の外れ。
目立たない一軒家。
標的は、ある生徒とその家族だった。
名前まで聞いた。
顔も教えられた。
昼間に一度だけ、遠くから確認もした。
関係のない他人。
だからこそ、都合がよかった。
そう思い込もうとして、喉の奥が僅かに詰まる。
相手が誰であれ、やることは同じだ。
生徒で、しかも家族までいる。
そこまで理解した上で、それでもここへ来ている。
「……殺るんだ」
自分に言い聞かせるように呟く。
ここで戻れば、力は消える。
何も得られないまま、腐るだけだ。
それだけは嫌だった。
掌が、じん、と熱を持つ。
あの印だ。
言われた通り、ここ数日で印は辰巳の魔力に馴染み始めていた。
完全ではない。
だが、使い物にはなる。
深呼吸をひとつ。
玄関灯の届かない陰に立ち、掌を開く。
赤黒い紋様が、静かに浮かび上がった。
「……深蝕印」
声にした瞬間、紋様が薄く脈動する。
家の中には気配が三つ。
標的だけだ。
辰巳は一瞬、躊躇った。
本当にやるのか。
ここでやめれば、まだ戻れる。
そんな考えが脳裏をよぎる。
だが、その直後に思い浮かんだのは、あの演習場での光景だった。
自分はしくじった。
その現実は、何度思い返しても胸を焼く。
弱い奴が悪い。
強い奴が正義。
それが当たり前だ。
「――だったら」
躊躇いを噛み潰すように、辰巳は壁に掌を触れた。
赤黒い印が細い線となって闇の中へ伸び、染み込んでいく。
そして家の周囲が、結界で覆われる。
しばらくして。
家の奥から、短い息の詰まるような音が聞こえた。
「……っ」
辰巳の喉が鳴る。
もう戻れない。
その実感が、遅れてやってきた。
だが次の瞬間、体内を何かが駆け上がった。
熱い。
いや、熱いだけじゃない。
身体の芯が、膨らむような感覚。
「ぁ……っ」
足元がふらつくほどの高揚感。
吸い上げられた何かが、自分へ還ってくる。
魔力だ。
命だ。
よく分からないまま、それでも本能だけが理解する。
――これだ。
これが、力だ。
今までにないほど鮮明に、魔力が身体の中を巡っている。
息を吸うだけで胸が満ちる。
視界が明るい。
世界が、自分に都合よく開いていくような気がした。
「ドウダ?」
いつの間にか、すぐ後ろで声がしていた。
振り向かなくても分かる。
あの影だ。
「これが……」
辰巳は、自分の手を見つめる。
震えていた。
恐怖でではない。
興奮で。
「コレが力ダ」
影の声が低く嗤う。
「命を喰って、オマエは強くなる。オマエが殺した分だけ、力はオマエに還元されル」
辰巳は返事をしなかった。
いや、できなかった。
喉の奥で、笑いとも嗚咽ともつかないものが震えている。
人を三人殺した。
今、家の中には死体がある。
なのに、その事実より先に押し寄せてくるのは、胸を満たす高揚感だった。
恐怖はある。
確かにある。
だが、それを塗り潰すほど、この感覚は甘かった。
「もっと欲シいか?」
その問いに、辰巳はゆっくりと顔を上げた。
もう、答えは決まっていた。
影の赤い瞳が、闇の中で細く笑う。
夜気は冷たい。
けれど、辰巳の身体の内側だけは異様な熱に満ちていた。
この瞬間、辰巳剛毅は初めて理解した。
力には味がある。
そして、一度それを知ってしまえば、もう簡単には戻れないのだと。
翌朝、その死はまだ誰の話題にも上がっていなかった。
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