第23話 騒ぎのあとの騒ぎ
第1部 過去への贖罪
暴走騒ぎが収まっても、胸の奥に残ったものは消えなかった。
重護が水波を抱き寄せた瞬間。
八神が有栖川を最短で救い上げた動き。
シエラの青白い魔法陣。
そして、俺の手の中で形を持った剣。
あの一件で、最終的な被害は最小限に抑えられた。
大きな負傷者も出ていない。
けれど、だからといって、何事もなかったことになるわけじゃない。
現場確認と事情聴取で、その時間の授業は消えた。
学院はすぐに体勢を立て直し、午後からは通常通り授業を行うと通達を出した。
まるで、何も起きていないみたいに。
その“平常通り”が、かえって現実味を薄くする。
廊下の端で途切れる声。
すれ違いざまに向けられ、すぐ逸らされる視線。
前みたいな単純な侮蔑じゃない。
かといって、好意でもない。
興味と警戒と、理解できないものを見る戸惑い。
そういうものが入り混じった、落ち着かない目だった。
八神はやはり別格だった。
重護が頼れることも、誰の目にも分かったはずだ。
辰巳が独断で状況を悪化させたことも、生徒たちは見ている。
そして、俺に向けられる目だけが、いちばん整理されていなかった。
それに――。
脳裏に、神凪いおりの顔が浮かぶ。
助けた直後、確かに目が合った。
けれど、あの目は安堵じゃなかった。
礼も言わない。
言えない――そんな顔だった。
まるで、俺に助けられたこと自体が想定外だったみたいに。
「……何なんだろうな」
意味の分からない独り言が漏れる。
気になる。
ただ、それだけだ。
なぜなのかは分からない。
けれど、あの表情だけが胸のどこかに引っかかったまま、気づけば昼休みを迎えていた。
------------
「瑛志、今日も一緒に食わないか?」
教室の入口から、当然みたいな顔でそう言ってきたのは重護だった。
「うん、いいよ」
「よし、決まりだな」
席を立つと、廊下側を通りかかった蓮次がこちらに気づいた。
「今日も二人か?」
「そうだね」
「俺も一緒にいいか?」
三人で廊下を歩きながら、最初に口を開いたのは重護だった。
「それにしても、さっきのはマジで焦ったな」
「いやー、ほんと危なかったね」
「結構軽く言うな。お前、躊躇しなかっただろ」
そう言われて、ようやく自分でも思う。
あの時の俺には、振り返る余裕すらなかった。
「考えてる暇がなかっただけだよ」
「それであんな能力見せられたら、そりゃ驚くって」
“あんな能力”というのは、きっと固定具を剣に変えたことを言っているんだろう。
横で蓮次も小さく息を吐いた。
「八神に剣を渡した時、周りの空気が変わったの、分かったか?」
「……いや、全然」
「そうなのか? 結構ざわついてたぞ」
重護が肩をすくめる。
「あの八神が“それを貸してくれ”だぞ。余程のことだと思うぜ」
さっきの光景がまた頭に浮かぶ。
白銀の一閃。
俺の剣を使って、迷いなく斬り伏せた八神の動き。
「でも、あの魔術装甲機を倒したのは八神だよ」
「そういうことじゃねぇよ」
重護は即答した。
「倒したのが八神でも、そのきっかけを作ったのは瑛志だろ」
返事が少し遅れる。
横で蓮次も静かに頷いた。
「辰巳、完全にやばい顔してたな」
「状況を掻き乱したからな」
「怪我人が出なくて、ほんと良かったよ」
蓮次は淡々と言う。
「ただでさえ動画の件で荒れてたのに、今日の件でさらに拗れた。しばらくは何もしてこないといいんだけどな」
「ほんとだよ。それに、俺が何かしたのか?」
「ま、あいつのことはともかく」
重護が口調を切り替えた。
「俺は今日の件で、ますますお前に興味を持った」
「……またそれ言うんだ」
「当たり前だろ。実際、そう思ったしな」
その真っ直ぐさが、重護といると気を遣わなくていい理由なのかもしれない。
食堂に入っても、周囲の会話にはさっきの騒ぎを示す単語が時おり混ざった。
中央実技演習場での魔術装甲機のこと。
それから、俺の名前。
けれど重護も蓮次も、その空気にわざわざ付き合おうとはしなかった。
「で、食堂のおすすめって結局どれなんだ?」
「この爆盛り定食がいいんじゃない?」
「俺を何だと思ってんだよ」
窓際の端の席に落ち着いて、しばらくはどうでもいい話をした。
食堂の味。
休日の過ごし方。
授業のこと。
そうしているうちに、身体の奥に残っていた張りつめた感覚が、少しずつ緩んでいく。
「……それにしても」
ふいに蓮次が箸を止めた。
「今日の件で、またしばらく空気は変わるだろうな」
「動画の件だけでも充分だったのに、直接見ちまったからな」
重護が続ける。
「魔力がなくて、自分たちより弱いと思ってたやつが、実はすごく強かったなんて、誰が想像できる?」
「強いかどうかは受け取り方次第だけど、俺も必死に生きてきた結果だから」
「そうかもしれんな。なんか、玄人って感じがする」
蓮次は静かに話を聞きながら頷く。
「それは俺だけじゃないはずだ。重護も蓮次も、それに八神も、これまで苦労してきたはずだよ」
「まぁ、実際のところ、俺たちにかけられてる期待も相当なもんだ」
「少し厄介だよ」
蓮次は即答した。
「俺にはあんまり分からないけど、期待してくれる相手がいるってことが、少し羨ましい」
少しだけ視線を落とす。
今までの俺には、幸せな時間も、期待してくれる相手もいなかった。
孤独に囚われている。
幸せになってはいけないと、そうあるべきだと思っている自分がいる。
自分でも、よく分からない。
この学院に来てからは、少しは気を許せる友達もできた。
幸福を感じて、楽しいと思ってしまっている。
その感覚だけが、まだ上手く馴染んではくれなかった。
------------
食事を終え、三人で教室棟へ戻る途中だった。
中庭が見える位置まで来たところで、また視線が引っかかった。
中央に立つ桜の大樹。
「どうした?」
「いや。あの樹、やっぱりちょっと気になるなと思って」
「またそれか?」
重護が言い、蓮次も足を止める。
「俺にはよく分からないけど、瑛志がそう思うなら何かあるのかもな」
「ちょっと見てきていいか?」
「俺らは先に戻るけど、遅れるなよ」
蓮次と重護はそのまま教室棟へ戻っていった。
俺は一人、中庭へ足を向ける。
桜の大樹の下には、昼の光がやわらかく落ちていた。
見上げれば枝が大きく広がり、風に揺れる花の隙間から光がこぼれている。
見た目は、ただの立派な樹だ。
学院の中心にあっても、不思議はない。
なのに、目が離れない。
綺麗だから、ではない。
そこだけ空間が別物みたいに感じる。
周囲と同じ光の中にあるはずなのに、あの樹の周りだけが微かに深い。
静かというより、音が薄い。
「こんにちは、鐡くん」
後ろから聞こえた声に振り返ると、シエラが立っていた。
「あ、シエラさん」
「シエラでいいですよ」
「俺も瑛志で大丈夫」
お互い名前で呼び合うことにして、そのまま会話を続ける。
「やっぱり、気になりますか?」
「うん。何がどうって言えないんだけど、少し気になってる」
「私もです」
シエラは俺の横まで来て、樹の方へ静かに目を向けた。
「知っていますか? この桜は天嶺の不朽桜と呼ばれていて、一年中咲き続けているそうです」
「へえ、そうなんだ。だから、散っても枯れてないんだね」
俺たちは不朽桜を眺めながら、この違和感の正体を探るみたいに、しばらく黙っていた。
「この桜については、今のところ私と瑛志くん以外、特に何も感じていないみたいです」
「でも、なんでシエラはこの桜が気になるの?」
「先ほどの私を見ていたなら、感じたかもしれません」
先ほど――合同実技授業での出来事のことだろう。
「そういえば、シエラが使う魔術には“魔法陣”が出てたね」
「はい。ですが、あれは魔術ではなく、正確には魔法です」
「……魔法? それは、魔術とは違うの?」
魔法と魔術は似ているようで、まるで別物だと。
そう言っているように聞こえた。
「この世界で、人間が本来扱えるのは、自分の内に流れている魔力を使う魔術です」
シエラは穏やかな口調のまま続けた。
「ですが、魔法は空間に満ちる魔素を媒介にして成り立つ、別系統の力です。本来、人間には扱えません」
「じゃあ、使い方そのものが違うってこと?」
「はい。魔術は術者の内側を起点に組み立てますが、魔法は外界の魔素へ働きかけて成立させます。ですから、発動の痕跡も少し違います」
落ち着いた説明だった。
魔力の量がどうこうじゃない。
仕組みそのものが違うのだと、そっちの方がしっくりくる。
シエラもまた、特殊な存在だということか。
一拍置いてから、シエラが少しだけこちらを見る。
「それと……神凪さんを助けた時のことですが」
「え?」
自分ではあまり振り返らないようにしていた場面を、静かに指摘された気がした。
「いや、別に……そんな大したことはしてないよ」
「そんな言い方をすること自体が、少しおかしいです」
「おかしいかな」
「かなり」
シエラは真顔のまま答えた。
「あの力は本物でした。少なくとも、魔力が無いのに固定具を剣に変えられるなんて、ありえません」
「よく見てたんだね」
「みんな、見ていたと思います」
見られていた。
事故そのものだけじゃない。
あの時、自分が何をしたのかを。
「それに、私は瑛志くんの力に心当たりがあります」
「……え?」
「あなたは――」
その続きが告げられる寸前、胸のざわめきが奥で広がった。
「おいおい、こんなところで何してるのかと思えば」
割り込むように声が飛んできた。
振り返るまでもなく分かる。
辰巳剛毅だ。
取り巻き二人を連れて、中庭の入口からこちらを見ている。
朝よりも、実技中よりも、目が荒れていた。
怒っているというより、煮えている。
「鐡瑛志。ずいぶん堂々としてるじゃねぇか」
ゆっくりと近づいてくる。
「ちょっと目立ったくらいで調子に乗ってんのか?」
俺は答えないことを選んだ。
ここでまともに受ける気にはなれなかった。
「何とか言えよ。変な剣まで出して、英雄気取りか?」
「あなたこそ、やめた方がいいですよ」
シエラが静かに言った。
声は大きくない。
けれど、きっぱりしていた。
「今のは、あなたが絡んでいい話ではありません」
その瞬間、辰巳の顔つきが変わった。
言葉そのものより、シエラが俺の味方になったことが気に食わないんだろう。
「へぇ。お前までコイツにつくのかよ」
「なぜあなたは、そんなふうに敵を作る言い方しかできないのですか?」
「うるせぇな!」
怒鳴り散らすような声が中庭に響く。
「辰巳」
シエラが庇ってくれていることに、このまま甘えてはいけないと思った。
「もうやめた方がいい。今ここで何を言っても、余計惨めになるだけだ」
言い終えた瞬間、空気が凍った。
「あ゙あ゙?」
辰巳の目が細くなり、静かに一歩前へ出る。
「……今、なんつった?」
シエラが少し身構える。
俺も動かないまま辰巳を見た。
怒鳴るわけでもない。
笑うわけでもない。
その分だけ、逆に危なかった。
「お前にだけは言われたくねぇんだよ!」
その直後、辰巳が腕を振った。
腹部じゃない。
胸元を掴みに来る動きだった。
けれど、その手が届く前に別の声が割って入る。
「何の騒ぎですか」
鋭い声だった。
場の空気が、一瞬で引き締まる。
天野義輝が、中庭側の通路からこちらへ来ていた。
辰巳の手が止まる。
取り巻き二人は露骨に顔色を変えた。
「別に。何でもありませんよ」
辰巳はすぐに手を引き、鼻で笑うように言った。
「何でもなくは――」
「シエラ」
小さく呼ぶと、シエラは言葉を切った。
天野はそのやり取りを見て、次に俺を見る。
「鐡君。どういう状況ですか」
短く、逃がさない聞き方だった。
少しだけ迷う。
ここで全部を言えば、辰巳は確実に処分されるだろう。
けれど、それで全てが解決する気もしなかった。
「……口論になりかけただけです」
シエラが息を呑む気配がした。
辰巳は一瞬だけ目を見開き、それから口元だけで笑う。
天野は全員を見て、数秒だけ黙った。
「そうですか」
その声には感情がなかった。
だからこそ重い。
「なら、ここで終わりにしてください。次に同じことがあれば、口論では済ませません」
「……はい」
「貴方たちも解散してください」
取り巻き二人は慌てて頷いた。
辰巳は最後に一度だけ俺を睨み、踵を返す。
あの目は、もう単純な苛立ちじゃない。
怒りの奥に、もっと濁ったものが沈んでいた。
三人の背中が見えなくなってから、天野が俺にだけ聞こえる声で言った。
「貴方、今、自分がどう見られているか理解していますか?」
「……少しは」
「少しでは足りません」
天野の声は低いままだ。
「貴方が黙れば収まる段階は、もう過ぎていると感じました」
真っ直ぐ胸に入った。
「目立つつもりがなくても、もう既に注目の的なんです。合同実技の件で、それは充分すぎるほど証明されました。だから、黙って流すことと、何もなかったことにすることを混同しないことです」
俺は少しだけ目を伏せる。
反論は思い浮かばなかった。
「……はい」
天野はそれ以上、何も言わなかった。
ただ、最後にシエラへも視線を向ける。
「貴方も教室に戻りなさい」
「はい」
天野はそのまま踵を返して去っていく。
残された静けさの中で、シエラが小さく息を吐いた。
「ごめんなさい」
「いや、こっちこそ巻き込んでごめん」
「謝らないでください。謝るべきなのは私です」
真っ直ぐすぎる言い方だった。
それが少しだけありがたくて、少しだけ心苦しかった。
「……戻ろうか」
「そうですね」
俺たちは並んで、中庭をあとにした。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
「続きが気になる」「面白い」と思っていただけたら、ブックマークや評価をいただけるととても嬉しいです。
すごく励みになります!




