第22話 一年生合同実技授業
第1部 過去への贖罪
あれから、一週間ほどが過ぎた。
動画の騒ぎそのものは、さすがに少しずつ落ち着いている。
最初の数日みたいに、どこへ行ってもあの動画の話ばかり聞こえるわけじゃない。
けれど、一度広がった印象までは消えていなかった。
廊下ですれ違う時に向けられる目。
玄関で靴を履き替えた瞬間に止まる声。
何かを言われるわけじゃないのに、“前とは違う”ことだけははっきり分かる。
話題が残っているというより、印象が残っている。
その方が、よほど厄介だった。
しかも今日は、一年生合同実技授業の日だ。
数日前から告知されていたその授業のせいで、朝から校内の空気が少しだけ浮ついている。
俺は小さく息を吐き、そのまま自分の教室へ向かった。
階段前の渡り廊下に差しかかったところで、後ろから軽い足音が近づいてくる。
「おはよう、瑛志」
振り向くと、蓮次がいた。
「おはよう」
蓮次は俺の横に並ぶと、周囲を一度だけ見回して小さく苦笑した。
「今日も朝からすごいな」
「そうだね」
「でも、さすがに動画の件もそろそろ落ち着くだろ」
「落ち着いてもらわないと、全然気が休まらないよ」
そう返すと、蓮次は少し肩をすくめた。
「それにしても、今日は合同実技だろ?」
その一言で、少しだけ肩が重くなる。
「嫌な予感しかしないんだけど」
「奇遇だな。俺もだ」
「蓮次の場合、そう言ってても普通にこなしそうだけど」
「こなすって言うなよ」
少し笑ってから、蓮次は続けた。
「でもまあ、今日はまた注目されるだろうな。動画のこと、完全に消えたわけじゃないし」
「そうだろうね」
「あんまり気にしすぎるな、と言いたいところだけど……まあ、無理か」
俺は少しだけ肩をすくめ返す。
「半分くらいは諦めてる」
「割り切るのも大事だな」
「いっそ開き直った方が楽かもしれない」
蓮次がくすっと笑った。
変に気を遣われるより、こういう方が気が楽だ。
俺たちはそのまま並んで歩いた。
同じ一年でも、教室棟の奥で進む方向が分かれる。
蓮次の教室はこの先を右、俺は左だ。
分かれ道の手前まで来たところで、蓮次がふと思い出したみたいに口を開く。
「でも、今日の合同実技、俺は結構楽しみなんだ」
「なんで?」
「だって、お前とはまた違って、他にもすごいヤツらがいるだろ? そんなの楽しみに決まってんじゃん」
きっと注目されるのは俺だけじゃない。
ここには蓮次以外にも、優秀な生徒が何人もいる。
「まぁ俺も他人事じゃないけどな」
「蓮次は、注目されることについてどう思ってんの?」
「それはそれで面倒だとは思ってる」
さらっと言うあたりが、いかにも蓮次らしい。
少しだけ間を置いてから、蓮次はいつもより柔らかい声で続けた。
「まぁでも、今日また何か言われても、全部まともに受けるなよ。他人の評価なんて、参考程度でちょうどいい」
「それは、確かにそうなんだけどね」
「瑛志が思ってるより、周りは好き勝手言うからな」
その言葉に、思わず苦笑が漏れた。
「蓮次って、たまに妙に核心突くよね」
「俺もそれなりに苦労してきたからな」
その一言で、少しだけ肩の力が抜けた。
「じゃあ、また後で」
「うん。また」
蓮次は右へ、俺は左へ分かれる。
一人になって教室へ入ると、やっぱり何人かが一瞬だけ俺を見た。
その視線の中に、以前みたいな露骨な侮蔑だけがあるわけじゃない。
でも、だからといって居心地がよくなるわけでもなかった。
席へ向かう途中、教室の後ろで椅子が大きく鳴る。
わざとらしい音だった。
振り返らなくても分かる。
辰巳剛毅だ。
以前みたいに朝から露骨に絡んではこない。
その代わり、最近はこういう形で空気を刺してくることが増えた。
辰巳は俺の方を一度だけ見て、鼻で笑うように視線を逸らした。
側にいた取り巻き二人も、何か言いかけて結局やめる。
その温度差だけで、前とは少し何かが違っているのが分かった。
チャイムが鳴る。
まだ何も起きていない。
なのに、何かが起こりそうな空気だけは、朝からずっと残っていた。
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午前の授業は、普段通り進んだ。
けれど、空気だけはどこか落ち着かない。
原因は、このあとに控えている一年生合同実技授業だった。
板書を写す音の合間にも、小声のやり取りが混ざる。
「今日、どんな感じで分けられるんだろ」
「さあ。でもちょっと楽しみだな」
「俺は総合判定で決められるんじゃないかと思ってる」
「そりゃ全員が同じ力量じゃないもんな……」
そんな囁きが、あちこちで短く生まれては消えていく。
誰もが平静を装っている。
でも、本当はみんな気にしているのだろう。
自分がどう分けられるのか。
誰と同じ区分になるのか。
そこで何を見られるのか。
それぞれが、それぞれに考えている。
二限目が終わるころには、教室全体の空気も少し浮ついていた。
ノートを閉じる音。
椅子を引く音。
誰かが抑えきれずに漏らした溜め息。
そのどれもが、普段より少しだけ大きく聞こえる。
チャイムが鳴り、三限目の開始前に校内放送が流れた。
『一年生は、予定通り合同実技授業を行います。場所は中央実技演習場です』
ざわめきが走る。
「いよいよか」
「早く着替えに行こうぜ!」
「私は少し嫌だなぁ」
そんなやり取りを聞きながら、俺は教室を出た。
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教室棟から中央実技棟へ向かう渡り廊下は、普段より少し騒がしかった。
前を歩く生徒たちは今日の授業の話をしていて、後ろからは別のクラスの笑い声も聞こえる。
そのどれもが、緊張を誤魔化すためか、少しだけ上擦っていた。
実技棟に入った瞬間、空気が少し変わる。
教室棟よりひんやりしていて、声が響きやすい。
術式制御用の補助設備が多いからか、空間そのものに僅かな張りがあった。
入口付近には、すでに教師たちが立っていた。
誘導に従って進んでいくと、巨大な大演習場が見えてくる。
白を基調とした広い空間。
床には幾何学的な補助線。
壁面には導光板。
空気の中には、術式を扱う場特有の静かな緊張感があった。
一年生全体が集められていたが、授業そのものは一括ではない。
床に張られた半透明の境界障壁によって、演習場は三つの区画に分けられていた。
左がF・E。
右がD・C。
そして中央、最も広く取られた区画がB・A。
前方には担任たちが立っている。
五人の教師がそれぞれ持ち場を受け持つ配置だ。
前へ出た担任の浦邊謙治が、広い演習場によく通る声で告げる。
「今から、総合判定に基づいて実技授業を分ける。F・E判定は初級基礎。D・C判定は中級基礎。B・A判定は上級基礎実技だ。自分の区分を間違えるな」
ざわめきが起き、生徒たちがそれぞれ指定された区画へ流れていく。
中央区画へ集まっていくのは、見覚えのある上位陣ばかりだった。
天宮蓮次、神威重護、シエラ・ザード、フィリップ・カーライル、水波陽奈、神凪いおり、有栖川結衣、本多哲也、辰巳剛毅――そして、少し離れた位置に立つ八神燈哉。
どの顔も、納得のいく顔ぶれだ。
問題は――俺がどこへ行けばいいのか、だった。
総合判定は、理論外特異適性。
その判定を与えられている以上、立ち止まるしかない俺に、浦邊の声が飛ぶ。
「鐡瑛志。お前は特例として、B・Aに入れ」
場のざわめきが一段大きくなった。
分かっていたような、分かっていなかったような気分だった。
けれど、現実として告げられると、周囲の視線が一気に重くなる。
「なんであいつが」
「いやでも、あの動画見たら……」
「でも魔力ないんだろ?」
「特例って何だよ……」
「静かにしろ」
浦邊の一言で、ざわめきはすぐに止んだ。
「これは壱番隊隊長である仙道の推薦だ。異論は認めん」
それだけで充分だった。
俺たちはそれぞれ、床に浮かび上がった立ち位置へ散っていく。
中央区画――B・A。
ここにいるのは、明らかに上位の生徒たちだ。
F・EやD・Cの生徒たちも、自分たちの区画へ移りながら、半透明の境界障壁越しにこちらを見ている。
中央区画が一番注目を集めているのは、誰の目にも明らかだった。
浦邊は中央へやって来ると、生徒たちを一度見渡した。
「今日の授業は単純な魔力確認ではない」
その合図に合わせるように、演習場の奥から技術職員たちが搬送台を押して入ってくる。
厚い拘束具と封鎖布に覆われた大きな何かが、その上に載せられていた。
「現場で必要なのは、魔術の強さだけじゃない。初動、判断、連携、退避。使える人間かどうかは、その全部で決まる」
技術職員の一人が封鎖布に手をかける。
その直前、不意に背筋へ冷たいものが走った。
何かが、おかしい。
搬送台の周囲に刻まれた制御術式。
そのうちの一本だけ、淡い光の流れが鈍い。
技術職員の一人も気づいたのか、端末を見て眉をひそめた。
「……浦邊先生、制御反応が――」
言い終える前に、封鎖布が外される。
現れたものを見て、思わず息が止まりかけた。
それは、獣型でも人型でもない。
白銀と黒鉄の外装で組まれた、多脚の魔術装甲機。
胴体は棺のように厚く、顔と呼べる部位は存在しない。
前面中央に、横一文字の赤い識別光だけが埋め込まれていた。
六本の脚は節ごとに折り畳まれているが、その一本一本が槍みたいに硬質で、先端には鋭い爪がある。
ただの訓練機ではない。
見た瞬間に、それが分かる。
そして――それ以上に、何かがおかしかった。
外装の繋ぎ目。
そこから、配線ではない赤黒い筋がのぞいている。
金属の隙間で、細い触手みたいなものが一瞬だけ引っ込んだ。
ぞくり、と背中が冷える。
「……おい、なんだこれは」
浦邊の目が一瞬だけ見開かれる。
低い駆動音が鳴った。
魔術装甲機の脚部へ光が走り、拘束具に刻まれた制御術式が淡く発光する。
赤い識別光がゆっくりと明度を増した。
次の瞬間だった。
ばちり、と何かが弾けた。
制御端末の一つから火花が散る。
拘束具の術式線が一部だけ黒く濁り、そのまま一気に焼き切れた。
「――下がれ!」
浦邊の怒声が飛ぶ。
ほぼ同時に、魔術装甲機の脚部が乱暴に展開し、浦邊を薙ぎ払った。
「先生――!!」
硬質な六脚が床を打ち、搬送台がひっくり返る。
赤い識別光が明滅し、本来なら存在しないはずの継ぎ目から、赤黒い筋繊維が脈打つようにのぞいた。
「きゃあああああああああ!!」
「うわあああああああああ!!」
生徒たちから悲鳴が上がる。
「全員、退避! 自分の身の安全を優先しろ!」
「こっちだ! 誘導に従え!」
「中央にいる生徒たちも早く避難しろ!」
教師陣が即座に動く。
出口側へ生徒の流れを作り、技術職員も制御式を切り替えて魔術装甲機の行動制限を試みていた。
対応は遅くない。
むしろ、充分に早い。
それでも近すぎた。
魔術装甲機は脚を打ち替えながら、低く滑るように中央区画へ踏み込んでくる。
金属音の中に、湿った軋みが混ざっていた。
「辰巳、下がりなさい!」
天野の制止を、辰巳は聞かなかった。
「チッ……この程度で騒ぐな!」
前へ出る。
高出力の雷撃が走った。
派手な一撃だった。
だが、外装へ半端に弾かれた雷撃が魔術装甲機の前脚に絡み、その進路だけを不自然に変える。
次の瞬間、危険が三方向へ同時に散った。
左で水波陽奈が近くの生徒を庇って足を止め、右で有栖川結衣が恐怖で足を止めた生徒へ向き直り、その奥で神凪いおりもまた、転びかけた生徒へ手を伸ばしていた。
重護が左へ駆け、八神が右へ踏み込んだのは、ほぼ同時だった。
「陽奈!」
重護は迷いなく踏み込み、水波の肩を抱き寄せた。
身体を割り込ませ、横から振り抜かれた脚部の軌道を強引に受け流す。
鈍い衝撃音。
それでも重護は止まらない。
一方で八神は、素早く無駄がなかった。
最短で有栖川の腕を引き、二歩だけ位置をずらす。
同時に右腕へ細い術式を走らせ、射出された拘束杭の軌道を正確に逸らした。
「ケガはないか?」
「え、ええ。ありがとう……」
その二人を視界の端で捉えた直後、意識が奥へ跳んだ。
神凪いおり。
あの子の位置だけが悪い。
逃げ遅れた生徒を庇ったせいで、進路の交差点に残っている。
天野の拘束術式はあと一歩で届かない。
シエラの補助も別方向の補強へ入っている。
――間に合わない。
そう思った時には、もう走っていた。
床。
距離。
脚部の踏み込み。
継ぎ目。
荷重。
次の接地位置。
視界の中で、全部が線になる。
「解析起動――」
左前脚の継ぎ目。
そこだけが、僅かに噛み合いが甘い。
赤黒い筋繊維が逆にそこを引っ張っている。
あと一手で軌道はずらせる。
足元に転がっていたのは、搬送台から外れた固定具だった。
俺はそれを掴み、形を変える。
「物質変換」
鈍色の金属が音もなく組み替わる。
握りに収まり、刃へ伸び、無骨な楔と剣の中間みたいな形になる。
神凪いおりが顔を上げる。
その目が一瞬、俺を映した。
「――下がって!」
神凪の手首を掴んで引き寄せ、同時に変換した剣を魔術装甲機の継ぎ目へ叩き込む。
硬い感触。
継ぎ目の奥で嫌な軋みが走る。
進路が、半歩だけぶれた。
その一瞬で充分だった。
シエラの魔法陣が薄く斜めへ重なり、魔術装甲機の傾きを支える。
蓮次が周囲の生徒をさらに後方へ下げる。
天野の拘束術式が届く――
だが、止まりきらない。
魔術装甲機は継ぎ目に剣を食い込ませたまま、不気味に脚を打ち替える。
識別光が明滅し、赤黒い筋繊維が脈打つ。
その時、目の前に影が落ちた。
八神だ。
有栖川を救ったあと、もうここまで来ていた。
俺の手元を一瞥し、継ぎ目に刺さった剣を見る。
次の瞬間には価値を判断していた。
「それを貸してくれ」
「うん、任せた」
俺は一瞬だけ八神を見たが、それ以上のやり取りはいらなかった。
柄から手を離す。
八神はそれを引き抜くと、迷いなく一歩踏み込んだ。
剣筋が見えないわけじゃない。
ただ、余計なものが何もない。
継ぎ目、その先の核。
そこへ届く最短だけを、当然みたいに選んでいる。
白銀の一閃。
魔術装甲機の赤い識別光が、縦に裂けた。
天野の拘束術式が重なり、技術職員の制御式が噛み合う。
脚が一斉に崩れ、巨体が床へ沈んだ。
激しい音が演習場へ響く。
重護が水波を抱き抱えたまま息を吐く。
有栖川は離れたところで言葉を失っている。
神凪は俺に手首を掴まれたまま、目を見開いていた。
教師たちが一気に動き出す。
「浦邊先生、大丈夫ですか!」
「演習場封鎖! 生徒は下がって!」
「魔術装甲機の識別確認を急げ!」
緊張が切れたわけじゃない。
むしろ現場の空気は、そこからさらに張りつめた。
けれど最悪は過ぎている。
それだけは分かった。
やがて天野が前へ出る。
崩れた魔術装甲機。
床に残った傷。
生徒たちの位置。
それを一度だけ見渡してから、低く告げた。
「本日の合同実技はここで打ち切ります。現場の安全確認が済むまで、この演習場は使用停止とし、各自、着替えて教室へ戻ってください」
一拍。
「被害は最小限で済みましたが、忠告を無視して勝手な行動で状況を悪化させた者と、危険下で適切に対処した者の差は、こちらで記録する」
言外に誰のことか分かる言い方だった。
辰巳の顔が歪む。
悔しさと怒りと屈辱が、何一つ隠しきれていない。
周囲の目は、さっきまでとはもう違っていた。
八神は主席に値する納得の動きだった。
重護が頼れることも、誰の目にも分かった。
辰巳がやらかしたことも、見ていた者は見ている。
そして、俺に向いている視線だけが、一番整理しきれていなかった。
「さっきの剣は何だ?」
「あんなこともできるのか」
「本当に魔力はないのよね?」
そんな、答えの出ない目だった。
「大丈夫……?」
俺が声をかけて、ようやく神凪が俺の腕から視線を外す。
けれど礼は言わない。
言えない、という顔だった。
「……っ」
小さく息を呑む音だけが落ちる。
なぜかそれが、妙に胸に残った。
演習場を出る時、横目で辰巳がこちらを見ていた。
もう、単なる苛立ちじゃない。
もっと深いところで煮えている。
本来なら見下していた相手に、結果として失敗を拾われた。
その現実を、皆の前で嫌でも理解してしまったのだろう。
「瑛志、行くぞ」
後ろから重護に声をかけられる。
蓮次もすぐそばにいた。
「……うん」
短く返して歩き出す。
昼休みを挟んで、午後の授業は通常通り行われると通達が出た。
何もなかったみたいに。
それが、妙に不気味だった。
日常は続く。
けれど、もう前と同じ日常じゃない。
今日この一件で、確かに少しだけ、形を変えてしまったのだ。
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