23.女神の瞳、裁きの剣<5/6>
バルテロメの刃を胸で受けたのは、オルフェシアではなく「灰色の人」だった。
何者かによって造作されたような整った顔が、紅い瞳が、刃を胸の中心に受けたまま、なんの感慨も見せずにバロテロメを間近で見返している。バルテロメは、さすがにあっけにとられた様子で動きを止めた。
灰色のひとに突き飛ばされたであろうオルフェシアは、まだ完全に床に転げてもいない、時が止まったようなそのわずかな間に、
ランシィがとっさに飛びついたのは、間近の床に跳ね転げてきた神剣ルベロクロスだった。
選ばれた者にしか持ち上げる者のできない剣。さっきはぴくりとも動かなかった神の剣は、ランシィを拒まなかった。ランシィの手に握られて、歓喜するかのように美しい剣身は光粒をまとい、紅い宝玉が鮮やかに光の花を咲かせる。
心地よい重さを手のひらの中に感じながら、ランシィは床を蹴った。
バルテロメは目を見張った。
自身も持てなかった神の剣を、子ネズミと侮った田舎の子供が手に取った。驚愕と、屈辱とが、それまでの怒りに満ちていた感情に一瞬の空白を与えたようだった。それでもただ呆然とせず、『灰色の人』に突き刺さっていた自身の剣を引き抜こうとしたのは、戦う者としてはさすがであったろう。
だが、バルテロメは剣先をランシィに向けることができなかった。
剣を握るバルテロメの手首を、『灰色の人』が両手で掴んでいる。
自身に迫るランシィと、自分を離さない『灰色の人』。バルテロメの動きが硬直する。ランシィは剣を振り下ろした。
美しい神剣は、バルテロメの右腕を、肘の下から鮮やかに斬り飛ばした。
ランシィはそのままの勢いで、自身の体でバルテロメを突き飛ばした。
『灰色のひと』は、自分を貫く剣ごと背中から倒れた。剣先が床についたことで、バルテロメの剣が押し出されて体から抜け落ちる。それを握るバルテロメの右手もともに床に落ち、転がった。暗がりの中で、黒いしぶきが床に模様を描いた。
床に倒れたバルテロメは、とっさに起きあがろうと右腕を動かした。それが、空を切った。
鉄の匂いが立ちこめる。バルテロメは倒れたまま、軽くなった自分の右腕を見た。その視線の先に、離れた場所で剣の束を握ったまま転がる自身の腕先を見た。
「う、腕? うで、うでぇああああああああっ!」
絶叫が響いた。
それがもし、憎悪に燃えた目で痛みをこらえて立ち上がろうものなら、ランシィはさすがに身動きできなかったろう。
だがバルテロメは、ひとしきり叫ぶと、大きく広がっていく血だまりの中、転がった右手に向けて、先のない右手を伸ばす形で、泡を吹いて白目をむいた。
バルテロメを突き飛ばした形のまま、ランシィはかろうじて足を踏みしめて立っていた。人の肉と骨を断った神の剣は、まったく汚れも霞みもせずに、美しく輝いていた。
「……どうしてこんなことを……!」
動き出した時間の中で、起きあがったオルフェシアの声が響く。緊張と冷や汗とで立ちすくんでいたランシィは、やっと我に返って倒れた『灰色の人』に目を向けた。
オルフェシアに手を握られ手横たわる『灰色の人』、その胸からあふれるのは、血ではなかった。
バロテロメに突き刺され、その刃の抜けた胸元から、燃え落ちる夕日のような紅い朱い光の粒が、鱗粉のように立ち上り、空に溶け消えていく。
灰色の人は、痛みを訴えるでもなく、力の失われつつある瞳でランシィを見た。わずかにその右手があがる。
「ランシィ、その剣をこちらに。宝玉を……」
言われるまま、ランシィは灰色の人の側に膝をついた。オルフェシアに肩を支えられ、上半身だけ起きあがった『灰色のひと』は、差し出された神剣ルベロクロスの柄に指を伸ばす。
「女神は剣を託し、そなたはそれに応えた。時の選びし者よ、ふさわしい対価を受け取るがいい」
灰色の人の指が、ルベロクロスの宝玉に触れる。
オルフェシアは驚きに息を呑んだ。
宝剣に埋め込まれた宝玉が、なんの抵抗もなく灰色の人の手によって取り外されたのだ。
灰色の人は、左手でランシィの顔に触れると、その宝玉を、ランシィの動かない左のまぶたにそっと押し当てた。
オルフェシアは更に驚愕した。
紅い宝玉は、ランシィのまぶたに吸い込まれるように、灰色の人の指先から消えてなくなってしまったのだ。
なにをされたのか、よくわかっていないランシィは、灰色の人の手が自分の顔から離れ、その手から宝玉が消えたことでいぶかるように瞬きをした。両方のまぶたで。
「……ランシィ、目が!」
当然のように開かれたまぶたから、右目と変わらない命の力を得た左目が現れた。左の瞳は、光の加減か、一瞬だけ紅く輝くと、あとは右目と全く変わらず、同じ動きでオルフェシアを見た。そして、手に持った神剣ルベルクロスを見た。
灰色の人の手によって取り出されたはずの宝玉は、変わらず同じ場所で輝いていた。
言葉もないランシィを見上げ、灰色の人は、わずかに笑みを見せたようだった。焦点の合わなくなってきた目が、オルフェシアを探すように動いた。




