20.女神の瞳、裁きの剣<2/6>
一番近くに、大きな一枚絵があった。
タリニオールが騎士号を拝命した時に見たという、壁一面の絵。月と太陽が共に輝く空の元で、左目に眼帯をした美しい戦乙女が、一人の若者に己の持つ剣を与えている絵だ。剣の柄には戦乙女の右目と同じ色をした宝玉が飾られている。
「これはシャールという青年に、女神ジェノヴァが己の瞳とともに剣を与えた時のことを描いていると言われています。それが、神剣ルベロクロスであったとも伝えられています。この剣を持つことができるのは、女神に選ばれた者だけであると。そのシャールがサルツニアの始祖となったことで、この剣を持てる者がサルツニアを受け継ぐに値するとされてきました。だから本来、血筋は必ずしも継承に必要な条件ではないはずなのですが、なぜかルベロクロスは、サルツニア王家の血族の、それも限られた者にしか持ち上げることができないのです」
オルフェシアはいいながら、目を一段高居場所にある祭壇に向けた。そして初めて、驚いた様子で目を見張った。
美しい硝子絵で装飾された壁を背後に、横に細長い箱が横たえられている。だが、オルフェシアが驚いたのはそのことではない。
さっきまでいなかったはずの「灰色の人」が、その横に立っている。
ランシィも思わず動きを止めた。確かにさっき辺りを見回したときは、人影はなかった。もちろん柱のせいで死角になっていた部分はあったが、壇上には物陰はないし、偽装された扉が別に開かれたような物音もなかったのだ。
「……よくここまで来た、時の選びし者よ」
覚えのある声だった。一面白の世界の中、自分を呼んでいた声だ。
「司祭長……ではないですね? 何者ですか?」
オルフェシアは警戒気味に声を上げる。灰色の人は、けして大きくはない声で答えた。
「わたしは道の先を示す者。別たれた糸の先を知る者」
「……?」
「王女オルフェシア、始祖の剣をその者に見せてやるがいい」
そう言うと、灰色の人は木箱の横に建てられた燭台に手を伸ばした。火をおこした様子もなければ、手元に火種を持っていた様子もないのに、燭台は揺らぐように炎を現して、あたりに色をつけた。祭壇の壁にしつらえられた硝子絵が光を反射する。まるで横たえられた木箱が光を放っているかのようだ。
そしてその光は、灰色の人の姿も照らし出した。
ランシィは、灰色の意味をやっと知った。
暗がりでは灰色にしか見えないが、彼が身につけている法衣は銀色だった。月灯りに照らされた雪原のように、きらきらと小さな光が法衣の上を踊っている。
そして、光を受けて色づいた彼の瞳は、鮮やかな紅だった。絵の中の女神ジェノヴァと同じ、宝玉のように美しい紅だった。
オルフェシアは警戒していた様子だが、ランシィが特に畏れる様子を見せないので、腹をくくったようだった。静かに、緋色の絨毯を踏んで歩き進む。
細長い木箱は、美しい彫刻が施され、彩色と宝石による飾りが施されている。暗がりでなければ、もっと美しく輝いて見えたのだろう。ランシィにはそれが、豪華な棺のようにも見えた。
たどり着いた木箱を間に挟み、ランシィは「灰色の人」と初めて間近で相対した。
近くまで来たのに、相変わらず、男の人である以外は、ランシィにはよくわからなかった。銀色の法衣、紅い瞳、毛髪のない形のよい頭。均衡の取れた体つき。老人ではない、子供ではない、だがそれ以上は年齢の推測もつかない。良くも悪くも、ほかに突出した特徴がないのだ。
まるで腕のいい職人が、粘土で『平均的な人間』を造形でもしたように、ランシィには思えてしまった。
ランシィの内心など気がついていないのか、それとも関心がないのか、「灰色の人」はそっと、木箱の蓋に手をかけた。蓋は、中央で扉のように左右に開かれた。
外側も美しいが、中も美しかった。花が敷き詰められた棺の中に、まるで眠る乙女のように美しい一振りの剣が横たえられている。よく見れば花自体も精巧な彫刻だ。木箱自体が台座とその保管箱として機能しているのだ。
柄頭に埋まる宝玉が、燭台の光を映し透明な血のように光をたゆたわせている。見つめるランシィの横顔をみていたオルフェシアは、なにかに思い当たったように、
「……持ってご覧なさい、ランシィ」
「えっ」
さすがにランシィは戸惑った。
これは、王族以外はサルツニアの騎士になる者だけが、触れることを許されるのではないのか。だが、オルフェシアは穏やかに、
「騎士となる者に、ルベロクロスを持たせようとする儀式は当初、始祖シャールが、自分以外にもこれを持てる者がいるかも知れないと、信頼できる仲間に試させていたことが始まりだったようなのです。……わたしは、女神に選ばれた戦士であることが、シャールには重荷であったのかも知れないとも、考えたりもするのです」
ふふ、と笑うと、オルフェシアは遠慮なく、と促した。
「あなたなくしては、わたしはここまでたどり着くことができませんでした。あなたには、これに触れる権利があります。」
ランシィは思わず、『灰色の人』に目を向けた。強くなれと言ったのは、「女神が剣を託す」と言ったのは、この人だ。
だが、『灰色の人』は特に感慨を見せる様子もなく、淡々と二人を見守っている。
ランシィは意を決して、ルベロクロスの柄に手を伸ばした。




