16.采配の示す先<1/5>
ジェノヴァ神殿は、古い時代の都市遺構の上にある。
周囲になだらかな山並みを望む広い盆地で、古い時代は各方面からの道路が交錯する要所だったらしい。栄えていた当時の名残で、立派な塁壁が周辺を囲んでいるが、門柱はあれど扉は朽ちている。入ろうと思えば出入りはできるが、荒れた石畳ばかりの土地には、餌になる草木もあまり生えないから、野生動物が紛れ込むことも少ない。
ただたまに、迷い込んできた流浪者が、崩れかけた廃屋跡に寝泊まりをしていることもある。定期的に僧兵が巡回し、回収や保護を行うことで、治安を保っている。
ジェノヴァ神殿はその塁壁に囲まれた都市跡の、東端にあった。
もとはこの町をおさめていた権力者の館跡だと言われている。この建物を囲む塁壁だけは今も手入れされ、しっかりとした門扉もつけられている。
僧兵以外に常駐する者の多くは、非武装の神官、司祭達だ。経済的、身体的な事情から、下働きとして身を寄せている市民もいるが、ごく少数だ。まかない、掃除、鶏や山羊、馬などの飼育に至るまで、生活に必要な作業は殆どが神官達でまかなっている。規模の大きな修道院という方が近い。
交通の要所ではないため、ふらりと立ち寄る旅人も少ない。そのため、神殿を囲む塁壁の門は普段は閉ざされている。時刻の鐘を鳴らす以外で、鐘楼の高見に登る習慣はなかった。週の決まった日に、仕入れの商人や物資を運ぶ者らが訪れるが、それ以外はひっそりとしている。
そんな神殿の正面門に、国王の使いを名乗る騎馬の一団が現れた。
僧兵が正面門を開けたのは、その名乗りが正当なもので、身分を明かす装備や槍も、国王の使いに正式に与えられるものだったからだ。
門壁の詰め所の小部屋の上が操作室になっている。合図を受けて階段を駆け上がって行った別の僧兵が操作室に入り、扉を開閉する鎖が巻き上げられていく。
その門のそばに、訪れた騎馬団は一旦待機した。代表者であるレイナルド伯と、五人ほどの護衛の兵士だけが、門の先にある神殿の正面扉の前まで進んでから馬を下り、階段を上った。
神殿の正面扉の横にある小窓から覗く警備の僧兵に、改めて身分を名乗った。先ほどと同じ説明をすると、僧兵はわずかに間を置いたあと、こう問うた。
「では、書状を先にお預かりいたします」
「書状?」
「神事以外での使者の訪問の際は、陛下直々に要件を記した書状を司祭長あてにいただくのが通例でございましょう」
そのような慣例は聞かされていなかった。だが、あまりにももっともらしく言われたので、レイナルド伯は胸を張り、
「此度は一刻を争う火急の用につき、書状をしたためる時も惜しいとのことであった。直接申し上げたいゆえ、司祭長に一刻も早く目通り願いたい」
僧兵は、細いのぞき窓からレイナルド伯の姿を上から下まで見返すと、少々お待ちくださいませと小窓を閉めた。
ここが開くと、あとは障害になるような扉はない。この扉が開き、自分たちが建物の中に入ったのを確認すると、背後で待つ騎馬隊が正面門の開閉装置を制圧する。更に合図を送れば、近くの山林に伏している兵団が、一斉に突入を開始するてはずになっていた。
神殿の扉が開いたときに、抵抗や時間稼ぎのそぶりがあったら、レイナルド伯もすぐに剣を抜き襲撃を開始する。逆に、すんなり司祭長の間まで案内されそうなら、そこまでは素直に案内されて、そこから内部の制圧を開始する。
扉が開くと、出てきたのは今受け答えした僧兵ではなく、夕暮れの空のような赤色の神官衣を羽織った背の高い青年だった。もう少し年配の神官が出てくるかと思っていたので、レイナルド伯は少々拍子抜けしたが、ひとのよさそうな、どことなく頼りなさそうな雰囲気を見て取り、逆にこれは有利と胸を張り直した。
「お待たせいたしました、応接の間にご案内いたします」
ジェノヴァ神殿に仕える者特有の、赤色の神官衣を目にする機会があるのは、叙任の儀式を受ける王の騎士達くらいだ。だからレイナルド伯は、彼らが身につけている神官衣が、妙に余裕がある大きさで、すっぽり頭まで覆うフードのついた前止めのものだったことを、不思議には思わなかった。
よく見れば、僧兵は近くにおらず、急いで出迎えに出たであろう数人の神官が、うつむき加減に恭しく壁際で控えている。皆揃って、フードで頭まで覆う赤い神官衣だ。
僧兵がいないということは、怪しまれずに済んでいるのだろうとレイナルド伯は解釈した。ならば当初の計画通り、司祭長の場所まで案内させた方が楽だろう。
レイナルド伯は自分の護衛につく兵士に目配せし、胸を張って扉の中に踏み入った。この間にも、門の制御を制圧すべく、正面門のそばに残してきた騎馬兵が、静かに行動を起こしているはずだった。
出迎えた赤い神官衣の青年が恭しく胸に手を当てて一礼し、先に立って歩き始める。武装の解除も求められなかった。促されるまま、兵士達とともにホールの先に進んだところで、背後遠くから叫び声が聞こえた。
合図も出していないのにもう始めてしまったのか、やれやれと振り返ると、自分たちが入ってきた扉がゆるゆると閉じられていく。その扉の合間から見えたのは、
門の開閉装置を制圧しにひそかに壁上へ上がったはずの騎士が、階段の途中で蹴り落とされている姿だった。
「な、何事?!」
自分の驚愕の視線に気づいたのか、後ろの兵士達も振り返る。閉じられて行く扉の間から、門扉周辺に残った騎兵達が、黒い影達と対峙しているのが一瞬見えた。その相手が何者か確認する間もないうちに、自分たちを招き入れた扉は閉じてしまった。




