8.駆け引き、差し引き<4/6>
周囲を木立と丘に囲まれたなだらかな窪地に、ざっと二〇軒ほどの小さな家が集まっている。
背の低い柵が張り巡らされているのは、獣よけだろう。集落のすぐ横を沢が流れ、狭いながらも畑を世話している所もある。鶏小屋もあれば厩もあり、ランシィの記憶にある『まだ人がいた頃のツハトの村』よりも、ずっと活気を感じた。
「こんな山の中で、こうして暮らしているんですか」
ひどく驚いた様子で、オルフェシアが声を上げる。ランシィも、もっと質素で野性的な暮らしをしているのだと思っていた。
「ここは、この辺じゃいちばん家の数が多いが、こうやって人が住んでるところは、この山地のあちこちにあるよ。山の中じゃ、水があって薪が使えれば、あとはなんとかなるからな。手間さえ惜しまなきゃ、町であぶれてる奴らよりも安心して暮らせる」
こうした反応は慣れっこなのだろう、ヴィエリがすらすらと答えた。
村の入り口にあたる木の扉が開くと、綱でつながった鳴子が音を立てた。見張りらしい男が近くの小屋から顔を出す。ヴィエリが簡単に声を掛けると、ランタンを片手に先に村の奥に駆けていった。
肩を寄せ合うように建って家々の軒先には、必ず小さなランタンが灯っている。香草の匂いもするから、人間のためというより、虫や動物除けなのだろう。
馬から下りて踏む足下は、平たい石をそれなりに組み合わせて歩きやすく整えてある。ぴっちりと敷き詰められていないのは、隙間を作ることで雨水を逃がすためだろう。驚くほど文化的だった。
村の中心より少し奥まった所に、イーノスの住むという建物があった。
ほかの家より多少古く大きいだけで、特に豪奢だったり風変わりだったりする訳ではない。強いて言うなら、屋根裏に当たる部分にも部屋があり、そこから屋根の上に作られた縁台に出られるらしいのが、特徴と言えば特徴だった。
玄関の前では、さっきの見張りの男と一緒に、灯りを持った年配の女が立って待っていた。
彼女に先導されて招かれた家の中は、秋も終わりだというのに、ふんわりとしたよい香りが漂っている。小綺麗に整えられた家の中のあちこちに、乾燥させた香草が束ねられて飾られているのだ。こうした庶民的な家屋に入るのは新鮮らしく、オルフェシアが今までで一番好奇心に目を輝かせている。
通された部屋は、イーノスの書斎のようだった。入って驚いたことに、窓のある部分以外の壁面はほぼ書棚だった。収まりきれない本が書棚の前でいくつもの山を作り、その中でかろうじて机が存在を主張している。
部屋の主のイーノスは、ディゼルトよりもだいぶ年上のようだ。山男というよりも、歴戦の兵といった感で、小柄だが精悍な顔つきをしている。服装はヴィエリと大差ない、ごく普通の町人のようだったが、真っ先に目に付くのは肘から先が喪われた左腕だった。
「とりあえず、無事で戻ってよかった、ギリェル」
なにがあったかと問う以前の、最初のひとことがそれだった。そう言われてもギリェルは表情を変えずに頷いただけだった。イーノスはそれを特に不快に思った様子もなく、視線を一緒に現れたオルフェシアに向けた。
「その銀の髪はサルツニアのオルフェシア王女かな。まずはアルジェスの非礼を詫びなければならないのだろうが……」
「事情は、簡単ですが聞いています。アルジェスにもあなた方にも、今は特に含むものはありません」
オルフェシアはまっすぐに答える。
「ですが、本当に『詫びる』という気持ちがあるのであれば、これからは私たちに力を貸してもらえませんか」
イーノスはわずかに眉を動かすと、すぐには答えず、今度はランシィに目を向けた。ランシィの左目が動かないことに、気がついてはいるのだろうが、特にそこには触れようとしない。
「そちらのお嬢さんとは初めてだな。サルツニアの騎士剣を持っているようだが、オルフェシア姫の護衛にしては幼すぎる。いったいどういったいきさつで一緒に連れてきたんだ?」
「ランシィです、初めまして」
ランシィは問いには答えないまま、淡々と頭を下げた。イーノスは目をぱちくりさせると、軽い苦笑いを見せた。
「これは失礼、俺はこの集落の長のイーノスだ。この山地に住む奴らの相談役みたいなこともしてる」
そう言うと、部屋には入らず入り口で様子を見ているヴィエリと、横で立っているギリェルに目を向け、
「お姫様が戻ってきたのもびっくりなのに、面白いのが一緒に来たじゃないか」
『面白いの』とは自分のことだろうか? ランシィは小さく首を傾げたが、ヴィエリとギリェルは揃って同じように、口元に笑みを浮かべたようだった。




