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ジェノヴァの瞳 ランシィと女神の剣  作者: 河東ちか
第四章 剣士ランシィの章

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5.駆け引き、差し引き<1/6>

 その先に何があるのか。村にいた頃は、全く考えたことがなかった。

 小さな自分にとって、祖父と暮らす家と村が世界のすべてだった。世界には様々な景色があるのだと実感させてくれたのは、グレイスの話と、パルディナの歌だった。

 夏の間に伸びた背の高い草が細い道を更に狭め、馬に乗った自分たちの足をかすめる。

 馬は草に当たって体が痛くないのだろうか。近づいてくる山並みをギリェルの肩の向こうに眺めながら、ランシィは馬の心配をしてしまったが、成長した馬の肌というのはなかなか丈夫らしい。ギリェルの操る手綱にもあらがう様子はない。

 一面の草地だった周囲に次第に木々が増え、ほどなく周りは木立に囲まれた坂道に変わった。

 馬一頭がかろうじて通れる細道を慎重に進む。所々、草で道が覆われて道が見えなくなっていた場所もあるのだが、ギリェルは動じた様子もない。なぜ道が判るのか不思議に思っていたが、少しすると、道が判りにくい場所には、近くの木の枝や幹に印がつけられているのにランシィも気づくようになった。

 オルフェシアを連れて通るために、事前に何度も下見を繰り返して、比較的安全な経路を探っていたのだろう。彼らの入念な準備が、今は自分たちを助けているのだと思うと、不思議な気がした。

 途中、急な岩場や水場を横切る箇所もあったが、二人が馬の扱いに長けていたことが幸いし、足止めされることはなかった。

 冬が近くなって、川の水量が減っていたのも今の三人には助けになった。春先からは雪解け水で水量が増え、馬で渡るのも危険になるらしく、頭上に古い吊り橋が架かっている箇所もあったのだ。馬で渡れたおかげで、肌寒いこの時期に服を濡らさずに済んだ。

 当然ながら、彼らの足音以外は、木立がそよぐ音と鳥の声、水のせせらぎと風の渡る音くらいしか聞こえてくるものがない。

 こんなところを、冬を目前にした季節に、グレイスは一人で抜けてきたのだ。

 途中まで盗賊の討伐隊と一緒だったとはいえ、迷ったらどうしようか、怪我でもしたらどうなるのか、不安にならなかったのだろうか。パルディナに振り回される頼りなげな印象が強いが、グレイスは実は精神的にも身体的にもかなり強い人だったのかもしれない。

 未知の世界だった南の山地は、別の世界に驚くほど近かった。何度か休憩を挟みながらも、岩場と斜面をいくつも越え、夕暮れの気配が足早に近づいてくる頃には、最大の難所であったという峠を、彼らは越えていた。こちら側はもう、サルツニアの領地だ。

「もうしばらくすると、狩人が使う小さな小屋がある」

 たどってきた細道も、だいぶ形がはっきりしてきたように思える。この近辺には確かに、ここを使っている者たちがいるのだ。ギリェルはオルフェシアが変わらず後を付いてきていることを確認すると、背の高い木立の先に続く道を示した。

「来たときに毛布や食料を隠してきたから、そこで夜を明かそう。夜中に山の中をうろうろするのはさすがに危険だ」

 自分たちには松明やランタンの準備はない。馬は夜目が利くから、整備された街道を走るのであれば夜でもさほど問題はないが、こうした山中では人間の方が道を見失う危険がある。

 ギリェルの言葉通り、木々の切れ目に切り取られた空が赤く染まる頃、道の先で小高くなった場所が開けているのが見えた。

 ほっとすると同時に、夜の影が色濃くなった林の中から、細い鳥の声のような者が聞こえた気がして、ランシィは耳をそばだてた。

 まだ真っ暗ではないから、鳥が活動していてもおかしくはないが、山中で巣に戻る鳥の声とはまた違うような甲高い音だったのが気になった。

 同時に、動物や風が立てる音とは違う音が聞こえて、ランシィは前方の開けた場所に見える小屋と、その背後の小高い崖にそれとなく視線を巡らせた。

 しがみついていたギリェルの服をぎゅっと掴む。気がついたギリェルが少し馬の歩みを緩めると、

「小屋の裏の崖上から、こっちを見てる人がいる。笛みたいなので誰かに合図を出してる」

 簡潔に、ランシィが伝える。ギリェルは、あまり首を動かさないように視線だけを走らせた。

 崖の上の藪のなかで、なにかが一瞬きらめき、すぐに夕暮れの暗がりに隠れた。身につけていた何かが、空からの光を反射したのだ。もう少し暗くなっていたら、目視するのは難しかっただろう。

「この時期にこのあたりをうろついてるのは、近くの集落に住んでる奴らくらいだが……」

 ギリェルは表情を変えないまま囁いた。

「みんなと顔見知りではないの?」

「俺は、イーノスの住む集落の奴らとしか会ったことが無い。集落はあちこちにある。それに、俺たちがここを出た後で、新しく来た奴らもいるはずだ」

 もし今あの場所にいる者たちがギリェルを知らないのであれば、女こどもを連れた見知らぬ旅人が迷い込んできたと判断されたかも知れない。

 歩調を緩めず進む間にも、建物の側からは風が草を揺らすのとは別の、重さのあるなにかが草や土を踏む音が、ランシィの耳に聞こえてくる。多くはないが、複数人いるようだ。

 姿を見られている以上、多少迂回したところで追われるのは予測がついた。相手が追いはぎを目論んでいるなら、変に避けるそぶりを見せたら、逆に刺激しそうだ。

 逆に、うまく話しがつけば、イーノスの所に案内してもらえるかも知れない。

 ランシィが視線を向けると、二人の様子でこの先になにかがあるのを察したらしいオルフェシアが、小さく頷いた。

 建物や木の陰に姿を潜める人の気配には気づかないふりで、ギリェルは馬の歩を進めた。むこうは徒歩のようだから、こちらが馬に乗っているときには立ちはだかっては来ないだろう。

 建物の横には、屋根付きの薪置き場を兼ねた馬のつなぎ場がある。全員が馬から下り、手綱をつないだところで案の定、隠れていた者たちが小走りに周囲を取り囲んだ。

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