4.南へ<3/3>
おかみさんのはからいで、オルフェシアには改めて、長旅に向いた衣類と靴が用意された。
携帯食料や水筒といった必需品と一緒に、春先に羽振りのよい客が置いていったという冬用の外套が三人に渡された。軽いのに、この季節の夜の屋外でも、くるまって眠れそうな温かさだ。
「おかみさん、もしタリニオールという騎士がこの町に訪ねてきたら、これを渡して、わたしは村に向かったと伝えてください」
布の包みには、オルフェシアの着ていた服と靴、それにサルツニアの古い銀貨が一枚添えられている。タリニオールならこれが、ランシィのためにオルネストが残した銀貨だと判るだろう。
用意してもらった衣類や食料の代金を、ギリェルが支払おうとしたのだが、それは断られた。
「ランシィ達が町にいた間、歌姫にもあの神官さんにもとても助けられたんだ。今度はあたし達の番だよ。それよりも、帰りにもまた顔を見せるのよ。山地は冷え込むし、あまり無理をしてはいけないよ」
そういえば、滞在が長かっただけに、一行はこの町の住人と関わる機会が多かった。きっと、ランシィの知らないところで、パルディナが機転を働かせる機会もいろいろあったのだろう。
後は、馬と人の様子を見ながらの、急ぎの旅になった。
一般的に馬の一日の移動距離は、徒歩の人間のそれと大差ないと言われる。早馬は、途中で馬を何度も乗り換える前提で、短時間を全力で疾走させるのだが、一頭の馬を使い続ける場合はやはり休息が必要だ。人間は気力を糧にした無理ができても、馬はそうはいかないものだ。
こちらも、街道を通っている間は替え馬の考慮ができるとはいえ、アテにしている町にたどり着く前に馬を潰してしまうわけにはいかない。馬の休息の時間が、そのまま人間の休息の時間になる。
追っ手を危惧するよりも、今はいかに早く辿り着き、バルテロメの行動に先んじて手を打てるかが重要だ。オルフェシアの気が急いているのは、ランシィにもよく判った。
それでも、グレイスと共に村を出て、歩いて通ったあの道程を、今のランシィ達はかなりの速さで遡っていた。ギリェルは、馬を扱う技術も身につけているようだ。
「イーノスは、サルツニアの北の山地一帯に隠れ住んでいる奴らの頭だ」
休憩の合間に、ギリェルはこれから自分たちが会おうとしている者たちについて、ぽつぽつと話した。
「あの山地には、事情があって町を出なければいけなくなったり、町じゃまともに働けないような奴等が住み着いてて、狩りや山菜採りなんかで生活してる場所が何カ所もあるんだ。ほかに行くアテもないから、たいがいの奴は大人しく暮らしている。でも山での生活がどうしようもなくなれば、街道で間抜けな貴族を襲ったり、山麓の町まで行って悪さをする奴等も出てくる。それで、あの山地は盗賊が住みついていると、今でも噂になっている。
イーノスは、そういう奴等をとりまとめて、山地の近く町との商売を仲介してる。元締めのようなものだ」
そんな人と、アルジェス達はつながりがあるのだ。そのつながりは、今回アルジェスがバルテロメの勢力に協力していたことと、関係があるのかも知れない。
馬で走り抜けると、時折、覚えのある形の門や、印象的な色の屋根にランシィははっとすることがある。
村での生活以外、何も知らなかったランシィは、グレイスと一緒に町に向かう中で起きること、見るものの全てが新鮮で楽しかった。
グレイスは人と関わる中で起きるであろう、いろいろなことを教えてくれた。パルディナが歌う異国の光景、ユーシフの知恵。この街道を歩きながら、自分は見たことのない世の中のことをたくさん知ることができた。その思い出が、この道のあちこちにいろいろな形で残っている。
グレイスに手を引かれ、ユーシフの引くロバの背に乗せられ、パルディナと歌いながら歩いた、そんなあの頃の自分とすれ違いながら駆けているような、不思議な気分だ。
途中、一度だけ馬を替えた。オルフェシアの乗る馬が、体力の限界に近づいたのだ。
ギリェルが替え馬の交渉の場所に選んだのは、ランシィとグレイスが、パルディナと出会ったあの町だった。この町も、地形的な条件がよかったため、馬の生産のための援助を受けているという。前に来た時以上に、賑やかになっていた。
「ツハトの村と言えば、ランシィがここに来た次の夏だったかしら、サルツニアの貴族からの使いだっていう人が、村長に会いに来てね」
あのとき泊まった宿に、ひとときの休憩と食事の用意を頼むと、女将さんがランシィのことを覚えていた。通された食堂で簡単な食事を供されている間、おかみさんが懐かしそうに、
「無人になったツハトの村の管理を頼めないかって、交渉にいらしたんだそうだ。東への分かれ道の先から村へ続く道と、残っている建物と墓地の周りを定期的に整備して欲しいって話だったんだって。年に何回か使いの人が来て、村まで様子を見に行った後に報酬をおいていくよ」
サルツニアの貴族といったら、オルネストのことだろうか。
今までランシィは、ツハトの村はとっくに荒れ果てて、そこに続く道ももう消えかかっているのではと漠然と思っていた。いろいろなことがあって、ずっと遠い昔のことのように思えていたけれど、自分が村を出てまだ四年なのだ。ある程度人の手が入っているなら、そんなにすぐ朽ち果ててしまうことはないだろう。
そういえばタリニオールが、サルツニアに戻る前にツハトの村に一度墓参りに行こうと言っていた。道も村も手入れされているのを、知っていたのかも知れない。
人は死ねばなにものでもなくなると、祖父のノムスは言っていた。なにものでもないもののために、村まで行く必要性があるものか、ランシィにはいまいちぴんと来なかった。
でも、グレイスは死と眠りの神に仕える神官だったから、人の死に関わって行われる慣習は、生きているものに必ず意味があるのだと、ことあるごとにランシィに教えたものだ。
『死はそこで終わりって意味じゃなくて、姿形を変えていろいろなもののなかに命をつないでいくってことなんだ。今生きている人は、かつて生きていたいろいろなひとと一緒に生きているんだ』
なくなった命は形を変えて、生きている人と一緒に生きている……
ランシィは壁にかけられた絵に目を向けた。月と星が輝く空の下、異形のものを打ち倒した美しい片眼の女神の絵は、まるでランシィを待っていたかのように、変わらずに今もそこにあった。
覚えのある山道、村を出て初めてグレイスと泊まった小屋の横を通り過ぎた。ギリェルの背にしがみついて眺める景色は、次第に懐かしさを増していく。
普段は通る者など全くないはずのツハトの村への道は、草が生い茂るでもなく、踏み固められ、ところどころ石が敷かれ、確かに誰かが定期的に世話をしてくれているようだった。
道の先には草原地帯が開けている。その中で、小さな島のように身を寄せて建つ建物はどれも扉や窓に木が打ち付けられ、もう誰も住む者がないことを示していた。
その村の周囲、かつて一面麦畑だった場所を、伸びた枯れ草が陽光の下で風を受け、波のようにそよいでいる。まるで冬の海のように。その海の先に伸びる一筋の道は、そのまま低い山並みの中に続いている。
『サルツニアの部隊はまるで、金色の海の中に通った道を渡ってくるかのようで、頼もしかったのを覚えておるよ』
父も、母の顔も知らない。でも確かにここには、自分と共にあったひとたちの痕跡がある。自分に命をつないでくれてくれたひとたちが、自分と一緒にいてくれているのを感じる。
祖父がグレイスに語ったという昔話。自分はこの風景が金色に輝いていたときに、この村に生まれたのだ……
「ランシィ?」
村に入った当たりから、こころなしか馬の脚をゆるめていたギリェルが、背に乗せたランシィに声をかけてきた。
涙でゆがみそうになる景色を、歯を食いしばって眺めていたランシィは、はっとして首を振った。オルフェシアが馬を寄せ、気遣うように首を傾げる。
「あなたの住んでいた家と、ご家族のお墓があるのですよね? 少し、見ていきますか?」
気遣うようなオルフェシアの声。ランシィは袖口で目元を拭い、顔を上げる。
「いいんです、……また来ます。今度は、タリニオールと、エリディアと」
答えたランシィの目が、まっすぐ南へ延びる道の先を見据えているのに気付いて、オルフェシアは微笑んだ。
グレイスが、少年だったタリニオールが越えてきた道。
あの道の先に、今までの答えがきっとある。




