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速すぎて騎手が続かない竜少女と、元戦闘機乗りの異世界空戦記~全速は十二秒、帰還は二人で~  作者: 他力本願寺


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第08話 翼を休める場所

国境の峡谷観測所周辺で発生した異常な人工風。


 その第一報から数日。先遣の救援隊が観測所の負傷者を風裏の退避所へ移し、本隊は安全に出入りできる気流の窓を待っていた。帝国領への進出は禁じられているが、王国側での救助まで止められているわけではない。二人の鞍の補強試験も、その待機の間に終わった。


「緊急呼出しがあれば、五分以内に飛べる状態で待機しろ。それまでは、少し頭を冷やしてこい」


 極度の緊張状態で待機所におさまっていた隼人とリュシアに対し、ガルド教官はそう言って、数時間の短い外出を命じたのだった。


 二人は駐屯地のゲートを抜け、門前の市場へと足を運んでいた。外出範囲は呼出し鐘の届く一画だけ。装具は門脇の待機所に揃え、リュシアの背に載せる係もついている。


「ちょっと黒瀬さん、だからこっちの通りが先だってば!」


「いや、合理的に考えろ。肉の串焼き屋台は通りの一番奥だ。手前にある保存食と水筒の店を先に回ったほうが、荷物の動線として無駄がない」


「お肉の屋台はすぐ売り切れちゃうの! 保存食なんて逃げないでしょ!?」


 石畳の通りで、二人はさっそく言い合いになっていた。


 先日の工房での口論――隼人が独断で安全案を提出したことによるしこり――は、一応の謝罪と約束によって表面上は収まっていた。だが、お互いに相手との距離の測り方が少し分からなくなっており、それがこうして地上の些細なやり取りでの意地の張り合いに繋がっている。


「分かった、分かったよ。串焼きが先だ」


 結局、隼人が折れる形で市場の奥へ向かうことになった。


 空の上では、あれほど完璧に意思疎通が図れるというのに。命を懸けた全速飛行の合意は一瞬でできるのに、地上の買い物の順序一つでこうも噛み合わなくなるものか。


(俺の独りよがりな考え方が、よほど腹に据えかねたんだろうな……)


 リュシアの少しつむじを曲げたような横顔を見ながら、隼人は小さく息を吐いた。


 結局、市場での買い出しはリュシアのペースに巻き込まれる形で終わり、両手いっぱいの紙袋を抱えた二人は、駐屯地の門を見下ろす高台の公園へとやってきた。


「ふう。やっぱり外の空気はいいわね」


 公園の木陰にあるベンチに腰を下ろし、リュシアが伸びをした。


 高台からは、アルティア大陸特有の広大な雲海と、それを赤く染め上げ始めた夕陽が見渡せた。オレンジ色から深い紫へとグラデーションを描く空は、息を呑むほどに美しい。


「そうだな」


 隼人は隣に座り、紙袋をベンチの端に置いた。


 夕暮れの空。それは、彼が元いた世界で、基地への帰投時に何度も何度もコックピットから眺めた景色だった。


 高度一万メートルから見る成層圏の深い青。眼下に広がる日本の街の灯り。そして、帰りを待っていてくれる家族の顔。


(……俺は、ここで何をやっているんだろうな)


 ふと、強烈な喪失感が胸を締め付けた。


 航空自衛隊の操縦幹部としての職務も、愛機も、すべてを失った。この異世界で生き延びるために必死に順応しようとしているが、帰還する手段の当ては全くない。自分がいつまでこの見知らぬ空を飛び続けるのか、その果てに何があるのか、答えはどこにもなかった。


 茜色の雲を見つめる隼人の横顔に、暗い影が落ちる。


 リュシアは手元の串焼きの串を弄っていた。隼人が黙ると、彼女も問いかけをやめた。


「……綺麗な空ね」


 彼女はただ、ぽつりとそう言って、隼人と同じように夕陽へ視線を向けた。


「ああ。本当に」


 隼人は短く応えた。自分の内心の沈みを悟られまいと、意識して表情を和らげる。


「……アルヴェイン。このところ、色々とすまなかった」


 隼人は静かに口を開いた。


「俺は、君の翼を守ることばかり考えて、君自身の意思を見落としていた。空の上では、俺の戦術と君の風読みで完璧な連携ができているつもりだったが……俺は君のことを、まだ何も知らない」


 隼人は膝の上で両手を組み、真摯な眼差しでリュシアを見た。


「仕事の話、最高速の限界や魔力の話は抜きにして。……君が何に喜び、何を嫌い、どんなふうに暮らしてきたのか。もしよければ、聞かせてくれないか」


 それは、彼女をただの『有能な翼』としてではなく、一人の意思を持った存在として理解しようとする、隼人なりの歩み寄りだった。


 リュシアは目を丸くして彼を見たあと、少し照れくさそうに笑った。


「……黒瀬さんって、時々すごく真面目な顔で変なこと聞くわよね。私が好きなものなんて、お肉と甘いお菓子に決まってるじゃない」


「いや、食べ物のことだけじゃなくてだな」


「わかってるわよ」


 リュシアは少し意地悪そうに微笑んでから、視線を遠くの雲海へと落とした。


「……私ね、小さい頃から飛ぶのが大好きだったの。誰よりも高く、誰よりも速く飛べば、みんながすごいって褒めてくれたから」


 彼女の声音が、少しだけ静かなものに変わった。


「でも、私が速くなればなるほど、周りの子たちはついてこられなくなった。編隊飛行の訓練でも、私だけが突出してしまって、いつも教官に怒られていたわ。そのうち、誰も私と一緒に飛んでくれなくなったの」


 世界最速の銀翼。その圧倒的な性能は、彼女から同世代の友人を遠ざけてしまった。


「速いことしか取り柄がなかったのに、その速さが理由で一人ぼっちになった。……それでも、私は飛ぶことをやめられなかったの。翼を広げて風に乗っている時だけは、自分が自分でいられたから。そうしているうちに、ますます周りから浮いちゃって、あの事故を起こして……」


 リュシアの言葉が途切れる。


 彼女が自分の速度にあれほど固執し、同時に恐れていた理由。それは、孤立を恐れる少女の、切実な自己証明だったのだ。


「だからね、黒瀬さんが私の背中に乗ってくれたこと、本当に嬉しかったの。私の全力の速度に耐えて、一緒に敵を倒してくれた。私の翼を、すごいって言ってくれた」


 リュシアは顔を上げ、青い瞳で真っ直ぐに隼人を見つめた。


「一人で抱え込みすぎるのは、私も同じ。……黒瀬さんが本当はどんな空を飛んでいたのか、どんな人たちを置いてきたのか、私は知らない。無理に聞き出そうとも思わないわ」


 彼女はそっと、隼人の軍服の袖口を引いた。


「でも、もしあなたが話したくなった時は、私が聞いてあげる。……話したい時まで、いつまでも待ってるから」


 その言葉は、隼人の胸の奥に澱んでいた焦燥感と孤独感を、温かい風のように優しく撫でていった。


「……ありがとう、アルヴェイン」


 隼人は静かに礼を言った。


「いつか、ちゃんと話すよ。俺が飛んでいた空のこと、俺の家族のこと。……全部な」


 ぽつぽつと互いのことを話し合ううちに、太陽は完全に雲海の向こうへと沈み、空は深い藍色へと変わっていた。


 冷たい夜風が吹き始め、木々の葉がざわめく。


「そろそろ、駐屯地へ戻るか。呼出しの時間制限もあるしな」


 隼人が立ち上がろうとした、その時。


 こつん、と。


 隼人の右肩に、軽い衝撃と柔らかな重みが乗った。


 驚いて横を見ると、リュシアが目を閉じて、隼人の肩に頭を預けていた。規則正しい、静かな寝息が聞こえてくる。


 極度の緊張状態から解放され、満腹になり、安心できる場所で本音をこぼしたことで、一気に疲れが出たのだろう。


「……おいおい、こんなところで無防備すぎるだろ」


 隼人は苦笑しながら呟いた。


 肩から伝わってくる彼女の体温。風に揺れる銀髪が、隼人の頬をくすぐる。


 起こすべきだと頭ではわかっていた。だが、彼女の穏やかな寝顔を見ていると、どうしても声をかける気になれなかった。


 空では誰よりも苛烈に風を切り裂く彼女が、今はただの年相応の女性として、無防備に休息を取っている。その信頼が、隼人にはたまらなく愛おしく思えた。


「……少しだけだぞ」


 隼人は動くのをやめ、彼女の頭の重みをしっかりと肩で受け止めたまま、夜空に浮かび始めた星を静かに見上げた。


 すっかり日が落ちた後、隼人は寝ぼけ眼のリュシアを連れて、足早に騎士団駐屯地へと帰還した。


 ゲートをくぐった瞬間、二人は駐屯地の空気が昼間とは完全に変わっていることに気づいた。隊員たちが慌ただしく走り回り、竜舎からは羽竜たちのいらだったような鳴き声が響いている。


「黒瀬、アルヴェイン! 戻ったか!」


 待機所の前で、武装を整えたガルド教官が鋭い声を上げた。


「教官、この騒ぎは一体……」


「状況が変わった。先ほどの伝令で、国境周辺の空域に、所属標識のない『偵察竜』が出現したとの報告が入った」


 ガルドの言葉に、隼人とリュシアの表情が引き締まる。


「帝国軍の妨害部隊ですか」


「おそらくはな。奴らは人工風の背後に隠れ、こちらの観測所の動きを探っている。峡谷観測所の撤収隊を援護するため、我々も直ちに出撃する。準備を急げ!」


「了解!」


 休息の時間は終わった。


 二人は顔を見合わせ、深く頷き合うと、自分たちの竜鞍がある格納庫へと走り出した。

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