第46話 諦めるのも、勇気だ
中継基地の作戦室は、重く張り詰めた空気に包まれていた。
作戦第一日目。上方からの『暫定正面進入案』は、風門塔の圧倒的な圧力と、敵将ヴァルターの張り巡らせた防衛網の前に完全に破綻した。
作戦盤の前に立つ隼人は、自らの引いた突入ルートが仲間の命を危険に晒した事実を重く受け止め、深く頭を下げた。
「……俺の読みが甘かった。敵の防衛線を過小評価し、進入点の先でも風が保つと見込んだ。申し訳ありません」
「頭を上げろ、黒瀬」
ガルド教官が、腕を組んだまま短く告げた。
「俺が承認した案でもある。確認できる範囲の見積もりが甘かったのは、お前だけではない。だが、俺たちは誰も死なずにこの部屋へ帰ってきた。全滅覚悟で突っ込む馬鹿な真似をせず、お前たちが勇気を持って『撤退』を選んだからだ」
ガルドは作戦盤の上の、敵の配置を示す木駒を弾き飛ばした。
「生きて戻ってきたからこそ、次の手を打てる。……そうだろう?」
「……はい」
隼人が顔を上げると、傍らに立つリュシアが、そっと励ますように微笑みかけてくれた。
「さあ、落ち込んでいる暇はないわよ」
竜鞍技師のイーラが、何枚かの古い図面をバサッと机に広げた。
「保守口の場所と、停止環の仕組みは分かった。問題は、そこへ至る道と秒数よ」
全員が机を取り囲む。イーラは保守図の横へ地形図を置き、隼人が記した谷口の岩峰に指を当てた。
「今日見つけた切れ目は、この低い位置ね。ここから側面へ沿う道が、背面の射撃線まで続いているかどうか」
「切替の始まりに、奥へ流れる風を感じたわ。でも、途中で閉じるかもしれない。出口までは見ていないもの」
リュシアが答えると、カミルが古い観測帳を開いた。
「六十秒ごとの切替は前の記録にもある。入口が開く時と、背面で撃てる時が、同時とは限らないんだな」
「ああ。入口を抜けた時に、射撃の三秒と、その先へ逃げる時間が残るか。そこまで測らなければ使えない」
隼人は手元のノートを引き寄せ、鉛筆を走らせた。
隼人は、自らの失敗であった上方からの正面突入案を完全に破棄した。
その代わり、谷口で見つけた進入口の候補から、既に引いていた背面の射撃線へ繋ぐ案を考え始める。
「イーラの図面を見ていて気づいたことがある」
隼人は保守口の周囲の構造を鉛筆でなぞった。
「旧型の保守図には、保守口へと至るための『接近路』が一つとは決められていない。外周を回る通路には、おそらく複数方向からのアクセスが想定されているはずだ。……だが」
隼人の鉛筆の動きが止まる。
「新型塔の現地において、保守口へ至る外周通路の『入口の正確な位置』と、そこからの『距離』が分からない。それに、背面の風が薄まり、射撃姿勢を取れる『具体的な時間(秒数)』も、今はまだ推測の域を出ない」
塔の切替周期が約六十秒であることは分かっている。だが、そのうちの何秒から何秒までが安全圏なのか。
この『現場の空白のデータ』が埋まらなければ、時速百八十キロで進みながら三秒間の収束を行うという、極めて精緻な射撃ラインを引くことはできない。
「……明日も救援便を通すリミットは迫っている。不確実な数値のまま、本番の輸送隊を連れて行くわけにはいかない」
隼人が苦渋の表情を浮かべた、その時だった。
「なら、私の翼で測るわ」
リュシアが一歩前に進み出た。
彼女の青い瞳は、恐れや迷いを微塵も感じさせない、強い光を放っていた。
「模型や図面を見てここで悩んでいても、本当の風の動きは分からない。……私が明日、もう一度あの塔の周りを飛んで、入口の位置と、風が安定する正確な秒数を測ってくる」
彼女は、ただの駒としてではなく、データを収集するための高精度の観測機として、自らの翼を使うことを選んだのだ。かつては最高速を出すことだけに執着していた彼女が、今や作戦立案に不可欠なピースを埋めるために、自ら危険な空へ飛び込むことを提案している。
「……リュシア」
隼人は彼女を真っ直ぐに見つめた。
愛する恋人を、再びあの危険な空域へ送り出したくはない。保護欲が頭をもたげかける。
だが、危険だという感情だけでも、彼女を信じたいという感情だけでも、答えは決められない。隼人は偵察の範囲と、戻れる条件を図面に書き込んだ。
隼人は深く息を吸い込み、彼女への最大の敬意を込めて言葉を返した。
「分かった。……だが、『君が言えば何でも信じる』という無責任な丸投げはしない。君が命懸けで持ち帰るデータと、俺の計算。その両方で、確実に通れることを確かめよう」
「ええ、もちろんよ。恋人だからって、計算を甘やかすのは禁止だからね」
リュシアは悪戯っぽく笑い、それから真剣な顔で隼人の横に立った。
「明日飛ぶのは、あくまで短い実測偵察よ。全速は使わないし、戦闘で魔力を浪費したりもしない。……もし危険を感じたら、すぐに『中止』して引き返す。これでいい?」
「ああ。中止の判断基準は、今日と同じく君の風読みと、魔力消費の限界ラインで固定する」
二人は机の上で、互いの判断が噛み合っていることを静かに、だが確かな言葉で確認し合った。
「……方針は決まったようだな」
ガルド教官が作戦盤を叩いた。
「救援便を通せる期限まで、残された猶予はあと二日だ。……明日、早朝からお前たちによる『短時間の実測偵察』を行う。そして、帰還後にそのデータで作戦を再構築する。残る時間は補給と休息に充て、三日目の朝に救援本隊を再出撃させる」
実測する日と、全速を使う本番を分ける。余裕は少ないが、疲労を抱えたまま決行する案は採らなかった。
「後方で待機している輸送隊には、いつでも出撃できるよう準備させておく。ユーノ、手配を頼む」
「承知いたしました」
ガルドの許可が下り、作戦室の空気は明日への決意へと切り替わった。
保守図の射撃線と、谷口の新しい印。その間には、まだ白い空白が残っている。
明日の実測で繋がらなければ、この案も捨てる。それでも、次に確かめる場所は決まった。
夜明けの空へ向け、二人の戦いは最終局面へと突き進んでいく。




