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速すぎて騎手が続かない竜少女と、元戦闘機乗りの異世界空戦記~全速は十二秒、帰還は二人で~  作者: 他力本願寺


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第45話 正面突破は、失敗する

空を覆う厚い雲海を切り裂き、眼下に現れたのは、大地に突き刺さった巨大な槍のような建造物だった。


 帝国領内に建造された大型風門塔。


 表面を鈍色の装甲で覆われたその巨大な筒の内部からは、絶え間なく膨大な魔力がうなりを上げ、自然の摂理をねじ曲げた強烈な人工風を吐き出している。


 作戦第一日目。


 ガルド隊と合流し、塔の上方空域へと到達した隼人は、加圧補助竜鞍の上から風防眼鏡越しに目標を睨みつけた。


「……やはり、風向が昨日までのデータと違う」


 隼人のコンソールにある高度計と方位盤が、激しい気圧の変動を告げていた。


 塔の稼働状況は、前日までの観測データからさらに引き上げられている。塔の周囲には目に見えない空気の断層が幾重にも重なり合い、近づくもの全てを弾き飛ばそうとする強固な『風壁』を形成していた。


『隼人、塔の上を見て!』


 共感回路を通じて、リュシアの張り詰めた思念が飛んだ。


 隼人が視線を上げると、塔の直上、強烈な吹き上げの風が荒れ狂う空域に、悠然と旋回する一つの漆黒の機影があった。


 軍の標識を外し、所属不明騎として立ち塞がる帝国の竜騎士隊長ヴァルターと、その相棒である黒翼竜グレン。


 上方の進入候補を塞ぐ位置だ。隼人たちが降下すれば、最初の進入点より前で迎撃できる。敵は背面だけでなく、その手前の空まで押さえていた。


「待ち構えていたか。……教官、まず進入点まで測ります!」


『了解した! 俺とマーラが敵の視線を引く。黒瀬たちは外縁を測れ。進入点を越えるな!』


 ガルドの号令と共に、作戦が開始された。


 ガルドとマーラが先行し、塔の外周を回るようにして牽制の風術を放つ。


 その光の軌跡を囮にし、隼人はリュシアに降下の指示を出した。


「高度二千から、外縁の進入点へ降下する。対気速度は時速三百八十。風壁の手前で止めるぞ!」


『ええ、行くわ!』


 リュシアが銀翼を畳み、人工風の壁に沿って、実戦速度で降下していく。


 この段階で時速七百キロに達する『全速』は絶対に使わない。目標である背面保守口の非常停止環へ風槍を撃ち込むためには、最終的に緻密な射撃姿勢を三秒間維持する必要がある。全速の突撃では、その姿勢制御が不可能だからだ。


 だが、降下を開始してわずか数秒後、塔の直上で待機していたグレンが動いた。


 黒翼の巨体が、ガルド隊の牽制を滑らかな低速旋回でひらりと躱し、そのまま隼人たちの降下軌道上へと、まるで音もなく滑り込んできたのだ。


『――させんよ、銀翼!』


 距離の離れた空域でさえ、ヴァルターの低い声が風に乗って聞こえた気がした。


 グレンは塔の排気流に真正面から逆らうのではなく、風のうねりを自らの翼の揚力に変え、狭い空域を縫うような恐るべき小回りでリュシアの前方を完全に塞いだ。


「右へ逃がすぞ!」


『駄目、そっちは風壁の圧力が強すぎる!』


 リュシアが機首を左へ振ろうとした瞬間、グレンがそこへ置くように『乱流幕』を展開した。


 塔の強力な排気と、グレンが放った局地的な乱流がぶつかり合い、リュシアの進むべきルート上に空気の乱反射が生まれる。突入路は物理的な風の壁と、敵の魔法によって完全に封じ込められてしまった。


「……くそっ! なんて練度だ!」


 隼人は奥歯を噛み締めた。


 グレンの最高速度は時速三百キロ程度であり、直線の速さではリュシアの足元にも及ばない。だが、塔の周囲という極めて限定された狭所においては、その『低速小旋回』と『乱流制御』の技術が、最強の防盾となって立ちはだかっていた。


「これ以上の降下は危険だ。引き起こす。退避は風壁の外側へ――」


 隼人が退避の角度を確かめようとした、その時だった。


『――中止! 全騎、すぐに離脱して!』


 大気を震わせるようなリュシアの甲高い思念が、共感回路に響き渡った。


 それは、ただの提案でも弱音でもない、絶対的な『緊急停止』の合図。


「リュシア!」


『このまま突っ込めば、風壁の圧力で風護膜が弾け飛ぶわ! それに、塔の排気のタイミングが……速度と勇気だけじゃ、絶対に抜けられない!』


 リュシアは翼の先端から、塔が吐き出す気流の『質』を直接感じ取っていた。


 今、目の前にある風の壁は、ただ押し返してくるだけではない。一定の周期で排気と吸込みを繰り返す塔の魔力機構が、彼女たちの機体を一瞬押し返したかと思えば、次の瞬間には塔の装甲に向かって強烈に引きずり込もうとする。


 進入点の先へ強行突破すれば、機体が引き裂かれるか、味方同士で衝突するか、あるいは塔本体に激突して大惨事を引き起こす。


 かつての彼女なら、「私なら速さで抜けられる」と意地を張り、自分と相棒の命を危険に晒してでも突っ込んでいたかもしれない。


 だが、彼女はもう、速度の価値だけに縛られた少女ではなかった。


 自分の命と、背中を預けてくれる隼人の命。そして、作戦全体を成功させるための『生きて帰る』という目的のために、彼女は自らその翼にブレーキをかけ、勇気ある撤退を宣言したのだ。


 その声を聞いた隼人の脳裏に、以前の検証飛行で、自分が彼女の意見を聞かずに独断で事前計画を消し去ってしまった痛々しい記憶がフラッシュバックした。


 あの時、俺は「君を守るためだ」とエゴを押し付けた。


 だが今は違う。これは、現場で直接風に触れている専門家の、命を懸けた判断だ。


「――了解した! 『中止』の合図を受理する!」


 隼人は頷き、暫定正面進入のプランを捨てた。


「教官! アルヴェインの判断により正面突破は不可能、これより作戦を中止し、全騎撤退します!」


『分かった、殿(しんがり)は任せろ!』


 ガルドの即座の返答と共に、リュシアが大きく機体を傾け、塔の強風域から脱出するための退避軌道へと入った。


 強引な突破を諦め、安全側へと素早く離脱していく銀翼の姿を見て、グレンの背にいるヴァルターも無理な追撃をかけることはしなかった。塔への進路を塞げば、それ以上は追わない。隼人には、そういう守り方に見えた。


 無念さを噛み殺しながら、隼人は加圧鞍の固定具を確かめ、背後へ遠ざかっていく巨大な塔を振り返った。


 だが、その撤退の最中だった。


 風壁から離れる向きを保ち、外縁に沿って谷口の上へ出た時、リュシアの翼に当たる風がふっと軽くなった。


『……隼人、下。谷口の低い方に、切れ目がある!』


 隼人が振り向くと、外周に巻きついていた雲が細くほどけ、塔の側面に沿って奥へ延びる帯が見えた。背面そのものは、まだ塔と雲に隠れている。


『さっき上で塞がれた風とは違う。切替の時、あの低いところから奥へ抜ける流れがあるわ』


「前に見つけた薄い帯の、別の入り口か……?」


 隼人は計時器を見た。切替の始まりと重なっている。だが、二人は機首を戻さなかった。


『今は確かめに行かないわ。戻れる魔力を残さないと』


「ああ。あの岩と方位だけ覚えておこう。奥まで通れるかは、まだ分からない」


 退避の進路を変えず、隼人は谷口の岩峰を目に焼き付けた。


 中継基地の滑走路へ帰還し、重い足取りで竜鞍を降りた隼人たちは、すぐさま作戦室での再検討に入った。


「結果として、俺が立てた上方からの暫定正面進入案は、敵の戦術と風壁の前に完全に破綻した」


 隼人は作戦盤の上の木駒を倒し、全員の前で自身の作戦の失敗を認めた。


「やはり、ヴァルターとグレンの防衛網は強固だ。明日、同じ時間帯に同じルートで突っ込んでも、結果は同じだろう。同じ策の反復は無意味だ」


 誰も口を挟まなかった。それが、命を懸けて前線を見てきた者の出した冷徹な事実だからだ。


 隼人が引き起こしを決め、リュシアが進入そのものの中止を告げた。その判断を、全隊で撤退する行動へ移せた。


 未知の風壁を力ずくで突破することを断念し、被害ゼロで戻ってきたこと。それこそが、この敗北の中にある唯一の希望だった。


「だが、手ぶらで帰ってきたわけじゃない」


 隼人は作戦盤の上の塔の模型を見つめ、静かに口角を上げた。


「撤退の途中、谷口の低い位置に、外周の薄い帯へ入れそうな切れ目を見つけた。目印と方位は記録した。……上から降りる案は捨てる。明日はあそこを外から測れないか、図面と照らそう」


 正面突破の失敗は、終わりではない。


 彼らは生きて帰ってきた。だからこそ、次の手を打つことができるのだ。

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