第43話 狙うのは塔ではなく、制御部
「……ここよ。塔の側背面に設けられた、この小さな構造物」
中継基地の作戦室。大きな机の上に広げられた古い羊皮紙の図面を指差して、竜鞍技師のイーラが言った。
それは、彼女がかつて扱ったことがあるという『旧型風門塔』の保守図面だった。
図面を囲む隼人とリュシア、そしてガルドとユーノが、イーラの指先に視線を落とす。そこには、巨大な円筒形の塔の背面に、斜め前方へ向けて開口した狭い窪みがあり、その奥にリング状の装置が描かれていた。
「これが『非常停止環』。かつて外部保守を担当する羽竜が、塔の主動力が暴走した際に、外から安全に装置を停止させるために設けられたものよ」
「非常停止環……」
隼人は図面の縮尺を確認し、その装置がいかに小さく、奥まった場所にあるかを瞬時に読み取った。
「ええ。新型の風門塔も、基本設計はこの旧型の規格を流用しているはず。前に二人が記録した背面のリングの位置と重なるわ。昨日も観測できた吸い込みの周期から見て、今もこの仕組みが残っている可能性は高い」
イーラは図面から顔を上げ、厳しい表情で隼人とリュシアを交互に見据えた。
「いいこと? 塔の外装や主動力を力任せに破壊しては絶対に駄目よ。そんなことをすれば、制御を失った莫大な残留風の塊が、塔の周囲にある帝国の街へ吹き下ろして大惨事になる。あなたたちが狙うのは、この停止環だけ」
「分かっています。俺たちの目的は敵国の民間人を傷つけることじゃない」
隼人は即座に同意した。
「……でも、これってどうやって動かすの?」
リュシアが図面を覗き込みながら首を傾げる。
「手で引っ張るには、保守口の入り口から奥までが深すぎるわ。それに、吸い込みの風が強すぎて、私の翼でもそんなに長く入り口には留まれない」
「その通りよ。だから、直接触れる必要はないの」
イーラは保守口の断面図を指差した。
「この停止環は、規定の『風圧衝撃』を与えることで段階的に停止機構が作動する安全装置になっているの。高圧縮された強い風の魔法……つまり『風槍』を、このリングのど真ん中に厳密に照準して撃ち込めばいい」
「風槍、か」
隼人は腕を組み、頭の中で立体的な射線計算を始めた。
風槍は、風刃とは比べ物にならない威力を誇るが、発射までに大きな魔力と約三秒間の『収束時間』を必要とする。
「図面の構造上、保守口は塔の側背面から斜め前方に開いている。つまり、塔の真正面や真後ろからは射線が通らない」
隼人は作戦盤の上の塔の模型に対し、斜め後方から定規を当てた。
「塔の排気流に巻き込まれないためには、外壁から横に九十メートル以上の離隔を確保する必要がある。そこから保守口の奥の停止環を狙うとなれば……風槍の実用射程の限界である『約百五十メートル』の距離から、斜めに射線を這わせることになる」
「百五十メートル先の一点を、飛びながら撃ち抜くってこと?」
ガルドが唸るように言った。
「そうだ。しかも、収束にかかる三秒間、機体は同じ姿勢で直進し続けなければならない。これ以上離れれば風圧の威力が足りず停止環は作動しないし、近づきすぎれば塔の吸い込みの渦に巻き込まれる」
それは、少しのブレも許されない、極めてシビアな一射を意味していた。
「それに、停止環が作動しても、塔の巨大なファンが完全に止まるまでにはタイムラグがある」
隼人はユーノに向き直った。
「ユーノ殿、救援の輸送隊には、塔が段階停止し始めてから風圧が完全に減衰するまでの間、後方の安全空域で待機するようスケジュールに組み込んでください。焦って突っ込めば、残った乱気流に叩き落とされます」
「承知いたしました。各輸送隊長に徹底させます」
隼人は再び図面に目を落とした。
「俺の計算では、射撃ポイントはこうなる」
隼人は木炭筆を取り、塔の側背面の空間に、収束と離脱を含めた数百メートルの直線を引いた。
「時速百八十キロの定常直進でこのラインに進入し、射点の百五十メートル手前から三秒間、風槍の収束を行う。……そして撃った直後は、反動に耐えながら絶対に機首を曲げず、そのまま直進して山稜の陰の退避空域へ抜ける。これが今の図面から考えられる案だ。現場で通れなければ、引き直す」
「……ねえ、隼人。ちょっと貸して」
黙って計算を聞いていたリュシアが、隼人の手からすっと木炭筆を受け取った。
彼女は隼人が引いた直線の『入り口』の部分に、別の角度から短い線を書き足した。
「隼人が計算した射撃のラインと距離は、完璧だと思うわ。でも、そこへ進入する『タイミング』は、これじゃ駄目」
「タイミングが?」
「ええ。昨日も風壁の端を飛んだ時、塔からの風が約六十秒の周期で呼吸していたでしょ? 保守口のある背面側の風影が安定するのは、そのうちのほんの十数秒だけのはずよ」
リュシアは真剣な青い瞳で隼人を見た。
「それ以外の時間は、強烈な排気か吸い込みが起きてる。いくら計算通りの場所でも、風が荒れているタイミングで進入したら、強風で姿勢が崩れて三秒間の収束なんて絶対に無理。……だから、進入の時間は、私の翼で風が薄くなる一瞬の隙間を読んで決めるわ」
隼人は、彼女が図面に書き足した線を見つめた。
それは、自分の立てた数学的な飛行計画に対し、現場の生きた風を知る専門家が加えた『最終的な修正』だった。
「……分かった」
隼人は一切の意地を張ることなく、あっさりと頷いた。
「進入のタイミングと、それに伴う最終的な射撃姿勢の微調整は、君の引いた線――君の風読みを優先して採用しよう」
「いいの? 隼人の計算を私が勝手に書き換えちゃったのに」
「君の翼の感覚は、俺の計器より正確だからな。それに……俺たちの目的は、二人で一つの正解を出して、生きて帰ることだ」
隼人が微笑むと、リュシアもパッと顔を輝かせた。
かつてのように隼人が独断で全てを決めることはない。互いの専門性を完全にすり合わせ、一つの作戦へと昇華させていく。民間人を傷つけず、そして誰も死なせないための答えが、そこにあった。
夕刻。
図面と計算式に囲まれた作戦室に、カミルから最新の偵察報告がもたらされた。
「……国境の監視哨から報告です。ヴァルターとグレンの編隊が動きました」
カミルの声は硬かった。
「彼らは中立空路側の防衛を他の部隊に任せ、自分たちは塔の背面……まさに外部保守口をカバーする空域に、外側から迎撃できるよう、防衛の陣を敷いたとのことです」
作戦室に重い沈黙が落ちた。
「やはりな。向こうの指揮官も、塔の弱点が保守口だと理解している」
ガルドが忌々しげに舌打ちをする。
あの時速三百キロで小旋回を繰り返す黒翼の精鋭が、最大の障害として射線の前に立ちはだかることは確定した。ただでさえシビアな三秒間の射撃ラインを、敵の猛攻を掻き潜りながら維持しなければならないのだ。
だが、その絶望的な報告を聞いても、隼人とリュシアの間に悲壮感はなかった。
「……敵の配置が分かっただけでも収穫だ。具体的な突入ルートは、明日、ガルド隊も交えて詰めよう」
隼人はそう言って、作戦盤の上に散らばった書類をトントンと揃えて片付け始めた。
「あら、隼人。今日はもう計算しないの?」
リュシアが不思議そうに首を傾げる。
「ああ。徹夜で計算ばかりして視界が歪んだら、君に怒られるからな」
隼人は苦笑し、リュシアの方へ向き直った。
「とりあえず、今日の作業はここまでだ。……一緒に夕食にしないか。食堂のメニュー、今日は君の好きな肉料理らしいぞ」
「本当!? 行く行く!」
リュシアは弾んだ声を上げ、自然な動作で隼人の隣へと歩み寄った。
過酷な最終決戦の足音がすぐそこまで迫っている。だが、だからこそ二人は、互いの体温を感じられる穏やかで確かな『日常』の時間を何よりも大切にしていた。




