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速すぎて騎手が続かない竜少女と、元戦闘機乗りの異世界空戦記~全速は十二秒、帰還は二人で~  作者: 他力本願寺


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第41話 誰のための空路か

季節が初秋へと移り変わり、吹き抜ける風にわずかな冷たさが混じり始めた第六か月の初め。


 王国辺境の駐屯地には、行き場を失った物資が溢れ返っていた。


 巨大な石造りの倉庫群はすでに満杯で、入りきらない麻袋の山が防水布を被せられて野積みにされている。中身は小麦や芋、そして日持ちのする保存食だ。


「……また増えたな」


 倉庫の横を歩きながら、隼人は重苦しい息を吐いた。


 隣を歩く私服姿のリュシアも、積み上げられた食糧の山を悲しげな青い瞳で見上げていた。


「こちらの倉庫には、入りきらないくらい食料が積み上がっているのに……向こうの都市では、配給が半分になってるのよね」


「ああ。セレナではついに、家畜の飼料用の穀物まで人間の口に回り始めているそうだ」


 帝国領の風門塔から張り出した巨大な人工風の壁が、協定空路を物理的に封鎖している。


 食糧はある。助けを待つ人々もいる。ただ、それを運ぶための『空の道』だけが、帝国の冷徹な戦略によって人為的に塞がれているのだ。


 いったい、空路とは誰のためのものなのか。政治と軍事の都合で命の行き来を遮断する不条理な現実に、隼人は奥歯を噛み締めた。


「隼人、ユーノさんが来たみたい。作戦会議が始まるわ」


 リュシアの声に促され、二人は足早に作戦室へと向かった。


 作戦室では、中立都市連盟の救援官ユーノが、疲労の色濃い顔で数枚の書類を広げていた。


「報告します。中立都市連盟は昨日、帝国政府に対して越境風害の是正と、所属不明騎の撤退を求める公式な抗議文書を提出しました」


 ユーノが机に並べたのは、隼人たちがこれまでの戦いの中で命懸けで集めてきた証拠の束だった。


 風向と気圧の異常を示す緻密な気象記録。所属不明騎による民間竜への襲撃日時と目撃証言。リュシアが自らの翼で計測した、風圧が中立空域へ不当に張り出している範囲の正確なデータ。


 そして極めつけは、以前の任務で測風施設の観測員が手書きで残したスケッチだ。そこには、塔の周辺で目撃された指揮官機の『波打つような独特の羽紋を持つ黒翼』の特徴が、鮮明に描き出されていた。映像撮影の魔道具など存在しないこの世界で、複数の人間の目と手によって記録され、互いに照合できる現場の証言だ。


「……それで、帝国の返答は?」


 ガルド教官が腕を組みながら尋ねた。


「すべて否認です」


 ユーノは無念そうに首を振った。


「風門塔の暴走はあくまで『自然災害』であると強弁し、黒翼の所属不明騎については『我が国の正規軍ではない。国境付近に出没するなら、そちらで勝手に対処しろ』と突っぱねてきました。風害の是正要求も、完全に拒絶されました」


 予想通りの回答だった。帝国が公式に関与を認めるはずがない。


「ですが、無駄ではありませんでした」


 ユーノの瞳に、強い光が宿る。


「これだけの証拠を公の場に突きつけたことで、ついに王国議会が動きました。中立連盟からの正式な限定救援要請を受け、王国軍による『人命保護目的の限定行動』が、今朝をもって正式に承認されたのです」


 その言葉に、作戦室の空気が一気に引き締まった。


 これまで「防衛」と「救難」の枠内でしか動けなかった彼らが、ついに大義名分を得て、あの巨大な風門塔を止めるための作戦を実行できることになったのだ。


 国家責任の確定そのものは、今後の長引く政治交渉に持ち越されるだろう。だが、今目の前で飢えようとしている人々を救うための行動は、法的に許可された。


「……方針の最終確認を行う」


 隼人は作戦盤の前に進み出た。


 王国軍による承認が下りたからといって、無制限に暴れていいわけではない。


「俺たちの狙いは『救援隊の通過』と『塔の安全停止』だけに限定する」


 隼人は、帝国領の奥深くへと続く地形を木炭筆で遮るように線を引いた。


「敵がしらを切っている以上、こちらも宣戦布告なき作戦となる。帝国領内の都市への無差別攻撃や、領土の占領は絶対に行わない。そして、塔本体を完全に破壊することも厳禁だ」


 隼人は全員の顔を見回した。


「塔を破壊すれば、暴走した残留風が周囲の帝国都市に吹き下ろし、民間人に被害が出る。俺たちの目的は敵国の民間人を苦しめることじゃない。空路を開くことだ」


「ええ。私たちの仕事は、守るための戦いよ」


 リュシアが力強く同意した。彼女の青い瞳にも、迷いは一切なかった。


 方針のすり合わせが終わり、細かい航空支援の配置についての議論が始まった。


 だが、その最中。


 作戦盤に身を乗り出し、何枚もの航路図を比較検討していた隼人の視界が、ふっと一瞬だけ歪んだ。


(……少し、目が霞むな)


 連日のように作戦立案とデータ解析に没頭し、睡眠時間を削っていたツケが回ってきていた。元戦闘機乗りの気力で立っているものの、肉体の疲労は確実に蓄積している。


 隼人が眉間を揉み、もう一度航路図に目を落とそうとした時だった。


 くいくいっ。


 隣から、私服の袖を軽く引かれた。


 横を向くと、リュシアが心配そうな、けれどどこかたしなめるような顔で隼人を見上げていた。


「……隼人、顔色が悪いわよ。昨日の夜も、遅くまで計算してたでしょ」


「いや、大丈夫だ。あと少しで全体図が……」


「駄目。ここであなたが倒れたら、本番で誰が私に風の向きを教えてくれるのよ」


 リュシアは隼人の手から木炭筆をすっと取り上げ、作戦盤の端に置いた。


「会議の残りはガルド教官とカミルに任せて、少し休んで。……無理はしないって、出撃前に約束したばかりじゃない」


 それは、ただの相棒としてではなく、彼を心から大切に想う恋人としての、確かな気遣いだった。


 大勢の隊員がいる前でのささやかな接触。互いに相手の限界を見極め、戦場でも地上でも決して無理をさせないという大人の関係性が、そこにあった。


「……分かった。少しだけ、目を閉じるよ」


 隼人は彼女の優しい申し出に従い、作戦室の隅に置かれた長椅子に腰を下ろした。


 リュシアが自分の肩にかけていた薄手のショールを隼人の上にふわりとかけ、そのまま彼の隣に並んで座る。


「ありがとう、リュシア」


「どういたしまして。ちゃんと休んでね」


 会議の声を遠くに聞きながら、隼人は眠りに落ちた。会議を終えたガルドに休息を命じられ、その後は自室の寝台で数時間、まとまって眠った。


 隼人が休息を取っている間にも、事態は同時進行で動いていた。


 王国と中立連盟の合意を受け、ガルドの指示で出撃した辺境哨戒隊が、本番の救援便を通すための退避路を国境沿いに確保する動きを見せていた。


 だが、午後、隼人が目を覚まし、リュシアと一緒に温かい茶を飲んでいたその時。目の霞みは消え、点検表の小さな字も読める。彼女にそう伝えたところだった。


 作戦室の扉がバンッと開き、通信室からカミルが血相を変えて飛び込んできた。


「教官、黒瀬! 緊急事態だ!」


 カミルの手には、受信したばかりの通信紙が握られている。


「合意を受けて、先行して風門塔の外縁を調べていた我が軍の偵察隊が……敵の人工風が作る『風壁』に捕まった! 自力での脱出不可能、救難信号を受信したぞ!」


「なんだと!?」


 隼人は椅子から立ち上がった。リュシアも表情を引き締め、即座に出撃の準備へと意識を切り替える。


 本番の巨大な作戦を前にして生じた、新たな命の危機。


「行くぞ、リュシア。本番前の前哨戦だ」


「ええ。絶対に助け出してみせるわ!」


 二人は駆け出し、待機する格納庫へと向かった。


 行く手を阻む見えない壁と、そこで待つ未知の脅威に向かって、最強の双翼が再び空へと舞い上がる。

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