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速すぎて騎手が続かない竜少女と、元戦闘機乗りの異世界空戦記~全速は十二秒、帰還は二人で~  作者: 他力本願寺


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第40話 守りたい空は、一つじゃない

駐屯地の麓に広がる町の市場は、異様な光景に包まれていた。


 普段なら活気に満ちているはずの通りには、行き場を失った荷馬車がずらりと並び、各商店の軒先や貸し倉庫の前には、麻袋に詰められた小麦や、木箱に入った保存食が山のように積み上げられている。


 今年の収穫が記録的な豊作だったわけではない。


「……また、南行きの便は欠航か」


「ああ。風が強すぎて、商人の竜じゃとてもじゃないが越えられないそうだ」


 立ち話をする商人たちの顔には、深い疲労と焦燥が刻まれていた。


 見回りを兼ねて市場を歩いていた隼人は、積み上げられたまま埃を被り始めている食糧の山を重い気持ちで見つめた。


 帝国領内に建造された巨大な『風門塔』。そこから国境を越えて張り出してきた強力な人工風の壁が、中立都市へ向かう協定空路を完全に封鎖してしまったのだ。


 こちら側の町には、届けるはずだった食糧が余って腐りかけている。


 だが、その雲海の向こう側――中立都市セレナをはじめとするいくつもの街では、空からの物資が絶たれたことで深刻な飢えが始まろうとしている。その残酷な対比が、今のアルティア大陸のいびつな現状を浮き彫りにしていた。


「……隼人」


 隣を歩いていたリュシアが、隼人の袖をそっと引いた。


 彼女の青い瞳にも、行き場のない憤りが揺れている。


「分かっている。作戦室に戻ろう」


 二人は足早に駐屯地へと引き返した。


 中継基地の作戦室は、これまでにないほど重苦しい熱気に満ちていた。


 作戦盤の上に広げられた巨大な広域地図には、帝国領の風門塔を中心として、扇状に広がる赤い斜線が幾重にも引かれている。


「昨日未明より、風門塔の出力がさらに一段階引き上げられました」


 中立都市連盟の救援官ユーノが、血の気の引いた顔で最新の風向記録を提示した。


「人工風の余波は協定空路の全域を覆い尽くし、セレナを含む三つの中立都市へのルートが物理的に通行不可能です。……現地の都市参事会からの急報によれば、備蓄食糧の配給はついに半分以下に制限されました」


 ユーノは強く拳を握りしめ、言葉を絞り出した。


「病気や怪我ではありません。このままでは、ただ飢えによって、何の罪もない人々が命を落とします。……これ以上の傍観は不可能です。連盟は王国に対し、塔の限定停止と救援便の護衛を強く要請します」


 その悲痛な訴えに、ガルド教官が腕を組んだまま深く息を吐き出した。


「気持ちは分かる。だが、国境を越えて帝国領内の施設を攻撃すれば、全面戦争の火種になりかねん。それに、あの巨大な塔を不用意に壊せばどうなるか」


 ガルドの視線を受けた隼人が、静かに口を開いた。


「大惨事になります。……以前、竜鞍技師のイーラから、風門塔の構造について話を聞きました。あの塔は莫大な魔力で風を発生させている。もし外壁や主動力を無差別に破壊すれば、制御を失った残留風の塊が暴走し、周囲の街へ吹き下ろす。……帝国側の民間人に、甚大な被害が出ます」


 隼人は作戦盤の上の、風門塔の記号を指でトンと叩いた。


「俺たちが守りたいのは、自国の利益だけじゃない。空路の先にある命だ。だから、目標は塔の破壊であってはならない」


 隼人の声は、作戦室の全員に響き渡るほど力強く、そして冷静だった。


「目標を『塔の安全停止』に絞ります。暴走させずに機能を停止させ、継続的に空路を確保して救援隊を通す。それ以外に、全員が助かる道はない」


「安全停止というが、黒瀬。あの巨大な人工風の壁を、どうやってすり抜けるつもりだ?」


 ガルドが鋭く問う。


「正面から突っ込めば、いくら銀翼でもただでは済まんぞ。それに、塔の周囲にはあのヴァルターと黒翼竜の編隊が防衛の陣を敷いているはずだ」


 圧倒的な風の防壁と、夜間戦闘すらこなす精鋭部隊。


 その二重の壁をどう突破するのか。作戦室に沈黙が降りた、その時だった。


「……壁には、隙間があるわ」


 リュシアが、ふわりと澄んだ声で口を開いた。


 全員の視線が彼女に集まる中、リュシアは作戦盤の前に進み出た。


「以前、国境の測風施設が襲われた時……ううん、その前の偵察任務の時から、ずっと気になってたの。帝国領から流れてくるあの不自然な風には、独特の『揺らぎ』がある」


 彼女は自分の銀色の髪を指で軽く巻きながら、記憶の中にある風の手触りを正確に言語化していった。


「ずっと同じ強さで押し出してくるわけじゃないわ。気流が切り替わる、わずかな周期がある。……息を吐いて、吸い込むみたいに、一瞬だけ風の圧力が薄くなるタイミングがあったの」


 その言葉に、隼人は古い観測帳を開いた。最初の偵察で記した、塔の背面の揺らぎ。気になりながら、近づいて測れずにいた箇所だった。


「周期的な気流の切り替え……。前に記録した揺らぎだな。大きく改修された今も同じ仕組みが残っているなら、接近できる時刻を絞れるかもしれない!」


「ええ。その風が薄くなるタイミングなら、私の翼で、通れる幅があるか確かめられるわ」


 リュシアは力強く頷いた。


 絶望的に見えた巨大な壁に、彼女の気流感覚という細い、だが絶対に切れない光の糸が通った瞬間だった。


 作戦会議が一時休会となり、王国上層部への緊急の報告準備が進められる中。


 隼人とリュシアは、作戦室の片隅で壁に寄りかかり、二人だけの短い休息を取っていた。


 これから挑むのは、敵陣の最深部への突入というかつてない危険な任務だ。だが、二人の間に悲壮感や、過剰な緊張感はなかった。


「……また、大きな空を飛ぶことになりそうだな」


 隼人が静かに言うと、リュシアはふふっと柔らかく笑った。


「ええ。でも、隼人と一緒なら怖くないわ」


 彼女は周囲の隊員たちの目も気にせず、ごく自然な動作で隼人の隣に半歩近づき、その肩にそっと自分の肩を触れ合わせた。


 恋人同士となった二人は、もはや出撃前だからといって不自然に距離を取ったり、変に意識してぎこちなくなったりすることはなかった。互いの存在が、一番の精神安定剤になっていることを深く理解していたからだ。


「一つだけ、お願いがあるんだけど」


 リュシアが上目遣いで隼人を見た。


「なんだ?」


「出撃の前に、また同じバックルを三回も四回も確認して、時間をかけたりしないでね? 私、待ちくたびれて竜の姿のまま寝ちゃうかもしれないから」


 いつかの出撃前点検の時の不手際をからかわれ、隼人は思わず天を仰いだ。


「……善処する。だが、その前に君の方こそ、途中で燃料切れにならないようにしっかり食べておけよ。作戦中に『お腹すいた』なんて通信が入ったら、ガルド教官が呆れて墜落するかもしれないぞ」


「もーっ、そんなこと言わないわよ!」


 リュシアがむくれて隼人の腕を軽く叩く。


 極限の作戦を前にして、互いの出撃前の癖を笑い合い、緊張を解きほぐす。それは「必ず生きて帰ってくる」という、言葉以上の強固な約束だった。


 隼人は彼女の肩に触れている自分の腕に、少しだけ力を込めた。


「……必ず、あの塔を止めて帰ろう。そして、今度こそ二人でゆっくり休むんだ」


「ええ。約束よ、隼人」


 その日の午後。


 中立都市連盟は、これまでの越境風害の緻密な気象記録と、妨害を行っていた所属不明騎の交戦時刻、目撃証言、そして偵察騎が命懸けで持ち帰った観測帳に描かれた『波打つ黒翼の羽紋の写し』を、公式な資料として取りまとめた。


 映像などの魔道具による記録ではなく、すべて現場の人間の手と目によって集められた確固たる証拠の束。


 ユーノはそれらを携え、アルヴェリア王国に対し、人命保護目的の限定的な共同救援行動を正式に要請した。


 王国議会は即座に緊急招集され、限定行動の範囲と安全策、そして帝国に対する国家責任の追及を見据えた激しい審議が開始された。


 政治という巨大な歯車が、ついに音を立てて回り始める。


 空を塞ぐ巨大な塔の停止と、その先にある未来を切り開くため。


 世界最速の銀翼と、異世界から来た元戦闘機乗りの、最後の戦いが幕を開けようとしていた。

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