第04話 空は、上から奪う
昨日の敗北から一夜明けた、春の第四日。
騎士団駐屯地の片隅で、隼人はノートを開き、銀髪の竜少女と向き合っていた。
「いいか、アルヴェイン。教官たちが昨日見せた『上昇風術』には、決定的な弱点がある」
隼人はノートに描いたマーラの航跡図を指差した。
「あれは魔力を爆発的に消費して、運動エネルギーを無視して高度を稼ぐ力技だ。当然、連発はできないし、何より魔法を使った直後には姿勢制御の遅れ――つまり、ほんの数秒だが完全な『死に体』になる時間があるはずだ」
「うん、それは昨日私も言おうとした通りよ。風がピタッと止まる瞬間があるの」
リュシアが頷く。隼人はその言葉を真摯に受け止めた。
「ああ。昨日は君のその感覚を聞かずに、俺が独断で動いて失敗した。すまなかった」
頭を下げる隼人に、リュシアは少し驚いたように目を瞬かせ、それから嬉しそうに微笑んだ。
「わかってくれればいいわ。それで、今日はどうやって勝つ気?」
「教官はベテランだ。俺たちが上昇風術のタネに気づいていることも計算に入れているだろう。だから、今日は昨日の動きを『見せ餌』にして、別の軌道――おそらく太陽を背にした上方斜めのルートへ逃げるはずだ」
隼人はノートの図に二つの新しい矢印を書き込んだ。
「俺が相手の退避ルートを予測して、射撃可能な位置を『二つ』提案する。最終的にどっちのルートから撃ち込むか、風の微調整と射撃のタイミングは、君の翼の判断に任せたい。……頼めるか?」
ただの操縦桿としてではなく、対等な相棒としての提案。
リュシアの青い瞳が、期待と闘志に燃え上がった。
「もちろんよ! 私の風読みを信じて!」
一時間後、訓練空域。
上空には、昨日と同じように待機旋回を行うガルドとマーラ。そして、それを見下ろすさらに高い高度に、隼人を乗せたリュシアが位置取っていた。
空戦における基本は『高度の優位』だ。高度があれば、いつでも位置エネルギーを速度に変換して攻撃に転じることができる。空は、上から奪うものなのだ。
『黒瀬さん、いつでも行けるわ!』
「よし。まずはプレッシャーをかける。ゆっくりと降下角を取り、教官の頭上を押さえつけろ。昨日みたいに無闇に突っ込むなよ、速度差だけで追うな」
『了解!』
リュシアの巨体が滑るように降下を開始する。
対するガルド機は、リュシアの接近を察知して緩やかに速度を上げ始めた。だが、その動きには明らかな余裕があった。
(誘っているな……)
隼人は竜鞍の上で目を細めた。ガルドはあえて隙を見せ、隼人たちに急降下攻撃を仕掛けさせようとしている。飛び込めば、昨日と同じようにギリギリで上昇風術を使われ、かわされた挙句にカウンターをもらうだろう。
「そのまま高度を保て。教官が先に動くまで我慢だ」
『ん……うずうずするけど、我慢するわ』
リュシアが翼の角度を微調整し、ガルド機の真上、絶妙な距離感を保って追従する。
撃ち下ろせる位置に常に敵を捉え続ける、じわじわとしたプレッシャー。速度で勝るリュシアが上空を陣取っている以上、ガルド機は迂闊な機動を取れない。
やがて、耐えきれなくなったのは下方のガルド機だった。
『ちぃっ、小賢しい真似を覚えたな!』
ガルドの短い通信と共に、マーラが不意に機首を下げ、急速なダイブを見せた。
「逃げた! 追うわよ!」
「待て! フェイントだ!」
隼人の制止が早かった。直後、急降下していたはずのマーラが、機体を引き起こす動作もなしに、魔力光を放って斜め上方へと鋭く跳ね上がった。昨日隼人を出し抜いた『上昇風術』だ。
だが、その軌道は真上ではなく、太陽光が眩しく差し込む左斜め上方への複雑な逃走ルートだった。
(読み通りだ!)
昨日の隼人なら、急降下の勢い余って下へ突っ込み、完全に頭上を取られていただろう。しかし、高度を保っていた今の彼らなら、マーラの上昇先すらも見下ろす位置にいる。
マーラが魔力を消費して上空へ跳ね上がり、その勢いが頂点に達してふっと停滞する瞬間――『死に体』となる一瞬の隙。
「アルヴェイン、今だ! 射撃位置、プランA(左回り込み)とプランB(右上方からの降下)! どっちがいい!?」
共感回路を通じて、隼人は瞬時に計算した二つの突入経路をリュシアの意識へと叩き込んだ。
リュシアの翼が、風のざわめきを感じ取る。
『左は乱気流がある……右の風が良い! もらったァ!』
リュシア自身の判断。彼女は隼人が提示したB案を選択し、右の翼を大きく畳んで急角度のローリング・ダイブを敢行した。
完璧な風の読みによる、一切の無駄がない滑らかな機動。
マーラが上昇の頂点で体勢を立て直そうともがく中、太陽を背負ったリュシアが、猛禽のようにその背後へと食らいついた。
「入射角良し! 撃て!」
『いっけええええッ!』
リュシアの意思で編み上げられた風の刃が、訓練用の緑色の魔力弾となって射出された。
マーラが回避行動を取ろうとするが、魔法使用直後の慣性の遅れがそれを許さない。風の微調整まで完璧に計算された一撃は、吸い込まれるようにマーラの背面標識へと直撃し、緑色のペイントを鮮やかに弾けさせた。
『――そこまで!』
ガルドの声が空域に響いた。
リュシアは急制動をかけず、そのまま緩やかな旋回を描いてマーラの横を通り抜けた。
『やった! やったわ黒瀬さん!』
共感回路に、リュシアの歓声が弾けた。
「ああ、完璧なタイミングだった。君の風読みの勝ちだ」
隼人はGで強張った身体をほぐしながら、ヘルメットの奥で会心の笑みを浮かべた。
地上の中継基地に着陸し、隼人が竜鞍を降ろした途端、人型に戻ったリュシアが勢い余って彼の胸に飛び込んできた。
「勝った! 勝ったわ! 私たち、あの教官に勝っちゃった!」
「おわっ……と! こら、暴れるな」
二十代半ばの美しい女性に全力で抱きつかれ、隼人は少し顔を赤くしながらも、その背中を軽く叩いてやった。
そこへ、マーラから降りたガルドがゆっくりと歩み寄ってきた。
「……見事だった」
ガルドは腕を組み、隼人とリュシアを交互に見た。
「昨日の反省を活かし、速度差に驕らず高度の優位を保った忍耐力。俺の陽動に引っかからなかった冷静さ。そして何より、風の変わり目を読んで的確に仕留めたアルヴェインの機動。……合格だ」
厳格な教官の口から出た明確な敗北宣言と称賛に、リュシアはぱっと顔を輝かせた。
「じゃあ教官! これで私たち、正式にコンビを組めるのね!」
「双翼契約の仮審査には通った、ということだ。お前たちの連携の合理性は認めよう。これならば、書類を通すことはできる」
「やったぁ!」
リュシアが再び隼人に飛びつこうとした、その時だった。
「ただし」
ガルドの冷ややかな声が、リュシアの動きを止めた。
「正式契約の審査には、もう一つ必要な書類がある。アルヴェイン、わかっているな?」
「……え?」
リュシアの顔から、さっきまでの歓喜の色がすっと引いていく。
「お前が過去に一度、正式契約の手前で騎手を負傷させ、任務契約を白紙に戻された時の事故記録だ。あの記録を審査委員会に提出し、今回の黒瀬に対する安全性と比較証明ができなければ、正式な契約登録は下りない」
ガルドの言葉に、リュシアは息を呑み、足元に根が生えたように固まってしまった。
隼人はリュシアの小さな肩が、微かに震えているのを見た。
「教官、先に説明を受けた事故の、詳しい記録ですか……?」
「そうだ。今の装備と手順で同じことが起きないか、本人とも確認しろ。責任を一人に負わせるための書類ではない。明日は俺も立ち会う」
ガルドはそれだけを言い残し、マーラと共に足早に立ち去っていった。
残された広場には、吹き抜ける風の音だけが響いていた。隼人は、俯いたまま何も言えなくなってしまった銀髪の相棒を見つめ、静かに言葉を待った。




