↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
速すぎて騎手が続かない竜少女と、元戦闘機乗りの異世界空戦記~全速は十二秒、帰還は二人で~  作者: 他力本願寺


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
38/50

第38話 二人で見つけた帰り道

垂れ込めた暗雲の底を突き破り、傷ついた友軍の救難竜のすぐ背後へ滑り出てきたのは、闇よりもなお暗い漆黒の巨翼だった。


 波打つような独特の羽紋を持つ黒翼種グレンと、その背に跨る軍章を外した騎手ヴァルター・クロイツ。


 彼らと救難竜との距離は、すでに三百メートルを切っている。風刃の有効射程のど真ん中だ。グレンの翼の周囲で湿った大気が渦を巻き、救難竜の片翼を折り取るための魔力が収束し始めるのが見えた。


「救難竜が撃たれるぞ!」


『今から割り込むわ! 隼人、全速を――』


「待て、リュシア! ここでは最高速は出すな!」


 隼人は反射的に叫び、コンソールの高度計と周囲の切り立った山肌へ視線を走らせた。


 直線で二キロ以上を一気に駆け抜ける時速七百キロの全速を使えば、確かに一瞬で救難竜の真横まで到達できるかもしれない。だが、この雲の下の空間は四方を険しい岩峰に囲まれた狭いポケットであり、しかも東と西からは敵が仕掛けた人工乱流の余波が絶えず流れ込んでいる。


 こんな視界不良の狭く荒れた空域で最高速度を出せば、射撃のために減速する余裕も、岩肌や乱流を避けるための旋回半径も確保できない。高Gの急旋回を強いられれば、風護膜と加圧鞍の限界を超えて自滅する危険が大きすぎた。


「乱流の中で全速を出すのは危険すぎる! 高度差を活かして実戦速度のまま斜めに滑り込み、偏差射撃で敵の射線だけを潰すぞ。時速三百五十で十分間に合う!」


『……了解! 全速は使わない、時速三百五十で突っ込むわ!』


 リュシアは一瞬で冷静さを取り戻し、隼人の提案に同意して銀翼を深く折り畳んだ。


 自分たちがいるのは高度千四百メートル、救難竜とグレンがいるのは高度千百メートル付近。この三百メートルの高度差を位置エネルギーに変えれば、極大な魔力を消費する全速を使わなくとも、十分な加速が得られる。


 ヒュオォォォッ! と鋭い風切り音を響かせ、白銀の翼が夜の闇を斜めに切り裂いて降下する。


 隼人は風防眼鏡の奥で、逃げる救難竜と追うグレンの速度差、そして横から吹きつける人工風の風速を瞬時に目測した。


「グレンの進行方向、鼻先から二機分前へ照準! 直撃させるな、進路の上に風の壁を作れ!」


『任せて!』


 時速三百五十キロの安定した滑空姿勢のまま、リュシアが自らの意思とタイミングで『風刃』を連射した。


 放たれた二発の無誘導の風の刃は、グレンがまさに救難竜へ撃ち込もうとしていた射線のど真ん中を横切るように通過し、その鼻先百メートルの空間で激しく炸裂した。


 ズガァァンッ!


 大気が爆ぜる衝撃波が夜の谷間に轟く。


 目の前で起きた予期せぬ炸裂と気流の乱れに、グレンは咄嗟に攻撃を中断し、黒い翼を大きく広げて急減速と上方への回避機動を取った。


 その隙に、リュシアは救難竜とグレンの間へと滑り込み、傷ついた友軍の背中を庇うようにして白銀の翼を翻した。


「よし、間に合ったぞ!」


『救難竜の騎手さん、聞こえる!? 助けに来たわ!』


 リュシアが叫ぶと、前方を飛ぶ救難竜の騎手が後ろを振り返り、信じられないものを見たかのように目を見開いてから、必死に魔力灯を点滅させて応えた。


『ぎ、銀翼……! た、助かった……左翼の筋を痛めて、これ以上速度が出せないんだ!』


 だが、安堵している暇は一秒もなかった。


 上空へ退避したヴァルターとグレンは、こちらの奇襲を受けても、混乱した様子は見せなかった。グレンは得意とする低速での滑らかな小旋回を見せ、分厚い暗雲の垂れ下がった縁へと音もなくその黒い巨体を滑り込ませたのだ。


 たちまち漆黒の羽毛が暗い雨雲の色と同化し、どこへ消えたのか目視では分からなくなる。


「雲の縁に隠れたか。……奴ら、まだ諦めていないぞ」


 隼人は周囲の闇を警戒しながら、後方の上空――自分たちが抜けてきた『第三の抜け道』の出口付近を見上げた。


 ちょうどその時、尾根の上の雲の裂け目から、赤い魔力灯を灯した二騎の羽竜が飛び出してくるのが見えた。後から追いついてきたガルド教官とマーラ、そして同行していた伝令騎だ。


『黒瀬、アルヴェイン! お前たちの残した航跡と時間通りに抜けてきたぞ! 救難竜は無事か!?』


 通信魔導具からガルドの力強い声が響く。


「教官、救難竜はここにいます! 左翼を痛めていますが自力飛行は可能です! これより合流します!」


 隼人は竜鞍の魔力灯を操作して現在位置を示すとともに、先ほどリュシアと確認した安全な帰還ルートを、以前の任務で決めた短い簡易合図に載せて伝達した。


「こちらの現在位置から方位二七〇、尾根の風下側に穏やかな上昇気流があります! 敵の黒翼がまだ周囲の雲に潜んでいるため、教官とマーラは救難竜を挟んで、先にその退避路から高度を上げて離脱してください!」


『分かった。救難竜の護衛と退避路の確保は俺たちが引き受ける! だが黒瀬、深追いはするなよ、退路が開き次第お前たちもすぐに抜けろ!』


「了解しました!」


 ガルドを乗せたマーラと、後続の護衛竜が、手負いの救難竜の左右へと寄り添い、マーラの得意な上昇風術で気流を整えながら、示された尾根の風下の退避路へと機体を導いていく。


 それを見届けた隼人とリュシアは、退避していく味方の背後を守るため、暗雲が渦巻く谷の中央へと機首を向け直した。


 周囲には再び、冷たい霧雨が吹きつけ始めていた。


 ヴァルターとグレンの姿は、黒い雲の帳に紛れて見えない。


 だが、元戦闘機乗りである隼人には、敵の指揮官が何を考えているかが手に取るように分かっていた。


(ヴァルターの目的は、中立空路や国境空域における王国の救難・輸送活動を萎縮させることだ。せっかく追い詰めた救難竜をこのまま無傷で逃がせば、夜戦部隊としての威信が揺らぐ。……必ず、ガルド隊が退避路の雲を抜ける直前の瞬間を狙って、死角からもう一度食らいついてくるはずだ)


 問題は、この暗い視界の中で、敵がどこからどの角度でガルド隊の退避路へ切り込んでくるかだ。


 敵の姿を『見てから』反応したのでは間に合わない。時速三百キロで飛ぶグレンが雲から飛び出してきた瞬間には、すでに救難竜は射程に捉えられている。


「……見えないなら、計算と風で先回りするぞ、リュシア」


『ええ。どう動くの、隼人?』


 隼人はコンソールの方位盤と計時器を睨みつけ、頭の中に立体的な空の地図を描き出した。


 先ほどグレンが雲の縁へと消えた地点の方位は〇四〇、高度は千三百メートル。そこから現在までの経過時間は三十五秒。


 グレンの最高速度は約三百キロ、そして乱流の中でも速度を落とさずに小旋回ができる特性を考慮すれば、ガルド隊が向かっている尾根の風下の退避路を背後から襲うための最短ルートは限られている。


「グレンの離脱角度と速度から推測航法で進路を割り出した。奴らは北側の雲の中を時計回りに旋回し、方位三三〇の岩山の影からガルド隊の真後ろへ滑り込んでくる計算だ。到達予測は今から二十秒後。……俺たちも方位三三〇へ先回りして、射線を塞ぐ!」


『了解! 方位三三〇へ向かうわ!』


 リュシアが力強く羽ばたき、薄暗い雲の縁に沿って北西の方角へと機体を滑らせる。


 計時器の秒針が、カチ、カチと音を立てて進んでいく。


 あと十五秒で、計算した迎撃ポイントへ到達する。


 だが、その途中――残り十二秒となった瞬間だった。


 リュシアの銀翼が、前方の闇から吹いてくる微かな気流のねじれを捉え、ピクリと大きく震えた。


『――条件変更!』


 今夜二度目となる、リュシアからの鋭い合図が共感回路を駆け抜けた。


「条件変更を受理! 風が変わったか、リュシア!?」


 隼人は即座に自分の予測軌道を保留し、彼女の専門判断を求めた。


『ええ! 方位三三〇の岩山の影から、急に強い横風が吹き出してきたわ! 敵が雲の中で新しい乱流幕を張って、自分たちの追い風を作ってるの!』


 リュシアは暗闇の中で首を巡らせ、羽毛を逆撫でする複雑な風の脈動を瞬時に読み解いていく。


『方位三三〇にあるのは、乱流幕の吹き出しよ! 風がもっと内側へ流れてる。グレンも追い風に乗ったなら、低い方から来るはず……でも、雲の中のどこにいるかまでは分からない!』


 隼人は息を呑んだ。


 暗闇の中で単純な定速旋回をするのではなく、自らが放った乱流幕を加速と軌道変更の足場にして、予測位置よりも内側の死角へとショートカットしてくる高等戦術。計器の数字だけでは絶対に読み切れない、黒翼の名手グレンならではの機動だった。


 だが、その『風を使ったトリック』は、世界最速の銀翼の前では逆に格好の道標となっていた。


「低い側なら、方位三〇〇、高度千百五十の進入点だ! ほかの隙間へ回っていては、救難竜が先に尾根を越える。狙うなら、十秒以内にここへ出るしかない!」


 隼人は一秒の迷いもなく、リュシアが捕らえた気流の変化を自身の航法図へと重ね合わせた。


 そこは、二つの岩峰の間を抜けてガルド隊の退避路へと繋がる、幅わずか百メートルほどの狭い『風の通り道』だった。グレンが下から救難竜を襲うには、必ずその狭い進入点を通過しなければならない。


「リュシア、敵を撃ち落とす必要はない。俺たちがその方位三〇〇の進入点のど真ん中に先回りして、奴らの通り道そのものを塞ぐ! 再開だ、行けるか!」


『もちろんよ! 再開、方位三〇〇へ降りるわ!』


 二人の判断が完全に一つになり、リュシアは右翼を深く傾けて高度を百メートル一気に落とした。


 加圧鞍が隼人の身体を支え、時速三百八十キロの高速滑空で岩峰の狭間へと滑り込む。


 方位三〇〇、高度千百五十メートル。


 ガルド隊と救難竜が上昇していく退避路のすぐ後方、その唯一の入り口となる空間にリュシアが回り込み、正面の暗雲へ向かって銀色の巨翼を大きく広げた、まさにその瞬間だった。


 バサァッ! と目の前の雨雲が裂け、乱流の追い風に乗った黒翼のグレンとヴァルターが、獲物を仕留めるための鋭い突撃姿勢で飛び出してきた。


 雲を抜けた黒翼の正面、二百五十メートル先には、すでに射撃姿勢を整えた銀翼が陣取っていた。


 隼人は、背後の救難竜へ追いすがらせまいと、正面の影を睨み据えた。


 ヴァルターが上体を起こし、グレンが急に翼を広げた。こちらの射撃姿勢に気づいたらしい。


 暗雲の中で軌道を変えても、その変化を風が伝えていた。隼人は正面に捉えた黒翼から目を離さなかった。


「ここはお前たちの通る道じゃない! 撃て、リュシア!」


『これ以上は、一歩も通さないわよ!』


 リュシアが翼を振り抜き、進入点の狭い空間を埋め尽くすように『風刃』と『乱流幕』を同時に放った。


 ドォォォンッ!


 狭い岩峰の間で風の刃が炸裂し、人工的な乱気流の壁がグレンの目の前に立ちはだかる。


 いかに低速旋回と乱流制御に優れたグレンであっても、幅百メートルの狭所で正面から射線を塞がれ、風の壁を置かれてしまっては、それを強引に突破して奥のガルド隊を追うことは物理的に不可能だった。無理に突っ込めば、リュシアの次の一撃をまともに浴びることになる。


 グレンは苦しげに羽ばたきを変えて急制動をかけ、リュシアの放った乱流の縁をかすめるようにして大きく機首を上げた。


 そのはるか後方の上空では、ガルド隊と救難竜が無事に雲の切れ間を抜け、王国側の安全な空域へと離脱していく灯火が見えた。


 空中で停止に近い低速旋回に入ったグレンの背で、ヴァルターがこちらを鋭く睨みつけた。


 撃墜こそしなかったものの、敵の追撃の進入点を完全に読み切って封鎖し、手出しができない状況へと追い込んだのだ。追撃を続けられないと判断したのか、ヴァルターは、何かを認めるように一度だけ小さく顎を引くと、グレンの手綱を返して再び分厚い暗雲の奥深くへとその黒い翼を消していった。


「……敵騎、暗雲の奥へ撤退を確認。追撃の危険はなくなったぞ」


 隼人が周囲の気流と計器を確認して告げると、リュシアは大きく、安堵の息を吐き出した。


『ふぅ……っ。勝ったわね、隼人。私たち、真っ暗な空でもちゃんと道を見つけられたわ』


「ああ。君が風の変化を拾ってくれなければ、古い予測を追い続けていた。間に合ったな、リュシア」


 視覚を奪われた夜の戦場で、推測航法と気流感覚、そして対等な二人の合図を結びつけて掴み取った、救出だった。


 救難竜とガルド隊の最後尾を守りながら中継基地へと帰還した時には、東の空がわずかに白み始める頃合いになっていた。


 先に着陸していた救難竜の騎手や整備兵たちから歓声と拍手で迎えられ、ガルド教官からも「見事な誘導と足止めだった」と労いの言葉をかけられた後、二人はようやく自分たちの格納庫へと戻ってきた。


 タラップを着け、加圧補助竜鞍の固定具を外して地面に下ろす。


 淡い銀色の光がふわりと舞い散り、飛行形態を解いたリュシアが、普段着の人型の姿へと戻った。


 長時間の夜間飛行と乱流の中での精密な制御で疲れているはずなのに、振り返った彼女の青い瞳は、朝の星のように明るく輝いていた。


「ただいま、隼人」


「おかえり、リュシア。誰も失わず、全員で帰ってこられたな」


「ええ。あなたが私の風を信じて計算してくれて、私があなたの数字を信じて飛んだからよ」


 リュシアは嬉しそうに胸を張り、それからふっと悪戯っぽく目を細めて、隼人の前へと歩み寄った。


「さてと……これで緊急の任務は無事に終わったわよね?」


「ああ。報告書は明日でいいと教官も言っていた」


「じゃあ、昼間に約束した通り……今度こそ、初デートね!」


 くすくすと笑いながら言う彼女の顔を、ランタンの温かい光が照らし出している。


 暗雲の中で誰よりも頼もしい飛行士として自分を守り、導いてくれた相棒。そして、地上に降りれば誰よりも愛おしい一人の女性として微笑んでくれる恋人。


 その両方が今、無傷で自分の目の前に立っているという事実が、隼人の胸をどうしようもないほどの熱で満たした。


 昼間は、彼女が広げた腕の中に招かれる形で抱きしめた。


 だが今は、隼人の方から迷いなく一歩を踏み出し、驚いて目を見開くリュシアの華奢な肩を自分の両腕で強く抱き寄せた。


「わっ……、は、隼人?」


「……ああ。今度こそ、どこへでも一緒に行こう」


 彼女の銀色の髪に顔を埋めるようにして、その温かい背中をしっかりと腕の中に閉じ込める。


 暗闇の空で空間識失調に陥りかけた時よりも、敵の黒翼と対峙した時よりも、こうして無事に戻ってきた彼女の体温を直接感じている今の方が、心臓が大きく音を立てていた。


「本当に、無事でよかった。……ありがとう、リュシア」


 耳元で低く呟かれた隼人の素直な言葉に、リュシアは一瞬だけ身体を強張らせ、やがてふわりと力を抜いて、自分の両腕を隼人の背中に優しく回し返した。


「……うん。私もよ、隼人。今日は、自分からぎゅってしてくれるのね」


 彼女の嬉しそうな吐息が首筋をくすぐる。二人は誰の目もない明け方の格納庫で、戦いを乗り越えた安堵と確かな愛情を、言葉の代わりに長い抱擁で確かめ合っていた。


 そして数時間後、仮眠を取った二人のもとへ、ガルド教官から正式な通達が届いた。


 昨夜の困難な夜間救難を無傷で成功させた功績により、翌日、丸一日の特別休暇を許可する、とのことだった。


 緊急出撃で延期となっていた『恋人同士の初デート』の時間が、ついに二人の前へと訪れたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。