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速すぎて騎手が続かない竜少女と、元戦闘機乗りの異世界空戦記~全速は十二秒、帰還は二人で~  作者: 他力本願寺


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第27話 十箱の薬を届けるために

夏の日差しが照りつける、第四か月の初め。


 中立都市セレナの命運を賭けた大規模輸送作戦のタイムリミットが「あと三日」と宣告されてから二日、中継基地の作戦室は重苦しい熱気に包まれていた。


 部屋の隅には、金属の帯で厳重に補強された頑丈な木箱が積まれている。


「……一、二、三……九、十。間違いありません」


 中立都市連盟の救援官ユーノ・レインが、一つ一つ箱の蓋を確かめるように撫でながら数を数え終えた。


「これが、王国中からかき集められた感染症の治療薬です。セレナの診療所で苦しんでいる人々を救うための、全てです」


 ユーノの悲痛な声に、作戦盤を囲む隼人とリュシア、そしてガルドとカミルは無言で頷いた。


 十箱。それを全て輸送用の羽竜に積んで運ぶとなれば、かなりの重量と空気抵抗になる。


 敵の妨害部隊を何十騎撃ち落とそうが、この十箱の薬が一つでも谷底へ落ちれば、任務は失敗だ。今回の勝利条件は、武勲を立てることではなく、ただこの箱を無事に届けることにある。


「……送りたいのは勲章じゃない。命だ」


 隼人は作戦盤の上に広げられた地図を見つめ、静かに呟いた。


 地図には、帝国領の風門塔から流し込まれる人工風の影響範囲が、赤い斜線で引かれている。


 帝国軍は軍の標識を外した『所属不明騎』を使い、中立都市へ向かう協定空路に不自然な気流を流し込み、嫌がらせのように妨害を繰り返している。それは単なる武力行使ではない。中立空路の危険性を煽り、中立都市を補給難に追い込むことで、「安全な帝国管理航路を使いたければ、我々の傘下に入れ」と経済的に従属させるための冷徹な国家戦略だ。


「奴らの狙いは我々の撃墜ではなく、通商路の支配です。だからこそ、この十箱を何としても通さなければならない」


 隼人は手元のノートを引き寄せ、鉛筆で地図の上に予測される敵の配置圏を書き込んだ。


「これまでの交戦記録と、カミルさんが集めたデータをすり合わせると、敵の戦術の意図が見えてきます」


 隼人はカミルと視線を交わした。


「敵はすでに、リュシアの『銀翼の全速』をこの空域における最大の脅威として認識しています。現在の敵の正確な配置は不明ですが、あの黒翼の指揮官がまともな戦術眼を持っているなら、必ず道中に『囮』を出してくるはずです」


「囮、ですか?」


 ユーノが不安げに尋ねる。


「はい。鈍重な輸送竜を守りながら飛べば、必ずどこかで陣形に無理が生じます。敵はそこを突き、遠方からちょっかいを出し、焦った俺たちに全速を使わせようと誘ってくるでしょう」


 全速の維持は、一回につき最大十二秒、原則二回が限界だ。


「もし道中の囮に対して全速を使ってしまえば、いざという時の突破力が完全に失われます。峡谷の出口には、おそらく敵の主力編隊が分厚い壁を作って待ち構えているはずですから」


 隼人は作戦盤の上の木駒を動かし、全体の陣形を示した。


「だから、俺からの戦術提案はこうです。輸送竜の速度と安全地帯を計算し、道中は『原則低速護衛』とする。敵の囮がどれだけ挑発してこようと、絶対に全速では追わない」


 隼人は鉛筆の先で、峡谷の出口を強く叩いた。


「全速は、出口の封鎖解除のために、最大一回分……確実に温存します」


 全速を使わない、我慢の戦い。


 それは、圧倒的な機動力を持つ銀翼にとって、手足を縛られたまま飛ぶに等しいストレスを伴うはずだ。


 隼人がリュシアの顔色を窺うと、彼女は不満を口にするどころか、真剣な表情で作戦盤の地図を見つめていた。


「隼人の言う通りね。道中で魔力と全速を使い切っちゃったら、一番大事な出口で輸送隊を守れないもの」


 リュシアはそう言うと、隼人が持っていた鉛筆をスッと受け取った。


「それに、低速で護衛するなら、いい道があるわ」


 彼女は、ここ数日の間に隼人と再開していた共同偵察の記憶を呼び起こし、地図の上に自ら線を引いた。


「昨日と今朝の共同偵察で確かめたんだけど、この峡谷の左側のルート……夜明け前後のごく短い時間帯だけ、帝国の人工風の圧力が少し弱まって、気流が安定する『通過帯』ができるの」


「夜明け前後の通過帯……」


「ええ。幅は狭いし、高くは飛べないけど。ここなら、重い荷物を背負った輸送竜でも、低速で安定して飛べるはずよ」


 リュシアは鉛筆を置き、隼人とガルドを見渡した。


「全速で強行突破するんじゃなくて、この夜明けの低速の通過帯を主経路にしましょう。……私が先頭に立って、一番遅い輸送竜に合わせて風を読むわ」


 その提案に、作戦室の空気がわずかに揺れた。


 隼人は、目の前の銀髪の相棒を見つめ、静かな感嘆を漏らした。


 かつて、自らの速度だけが価値だと思い込み、「もっと速く飛びたい」と焦っていた彼女。


 その世界最速の翼を持つ彼女自身が、自らの意思で「速さを出さないこと」を選び、遅い輸送竜に寄り添う作戦を提案してきたのだ。


「……素晴らしい判断だ、リュシア」


 隼人は心からの賞賛を口にした。


「君の気流感覚に基づいたそのルートを、今回の主経路として採用したい。教官、いかがですか」


「異論はない。お前たちの判断権は、作戦立案においても対等に機能しているようだな」


 ガルドは満足げに頷き、腕を組んだ。


「指示する者と従う者ではなく、二人が同じ目線で盤面を見ている。それでこそ双翼だ」


 隼人とリュシアは顔を見合わせ、小さく微笑み合った。


「よし。全体の役割分担だが、輸送隊の護衛と敵の囮の牽制は、俺とマーラが中心となって引き受ける。黒瀬、アルヴェイン。お前たちは先頭で輸送竜をナビゲートしつつ、出口の封鎖を突破するための『槍』として全速を温存しろ。道中の雑魚には目もくれるなよ」


「了解しました」


「任せておいて!」


 ガルドの指示に、二人の声が力強く重なる。


「通信の連携は俺に任せてくれ。ガルド教官と黒瀬たちの間に立って、敵の動きをリアルタイムで中継する」


 カミルが通信魔導具を叩いて請け負い、ユーノも安堵の息を吐きながら深く頭を下げた。


「ありがとうございます、皆様。セレナの命は、皆様の翼にかかっています」


 作戦の骨組みが固まり、それぞれが出撃の準備へと移ろうとした、その時だった。


 作戦室の重い扉がバンッと乱暴に開かれ、国境の空域から戻ってきたばかりの哨戒伝令が駆け込んできた。


 伝令の顔は、焦燥に青ざめている。


「教官! 緊急の報告です!」


「どうした。人工風の出力が変わったか?」


「いえ、敵の動きです! 先日の共同偵察で黒瀬殿たちが飛んだ軌道周辺に……我々を追跡していた所属不明騎の数が、目に見えて増加しています!」


「なんだと?」


 隼人は作戦盤に身を乗り出した。


「連中、俺たちが夜明けの通過帯を探っていたことに気づいたのか?」


「分かりません! ですが、峡谷の出口付近に、明らかに小隊規模を超えた複数の編隊が集結しつつあります。彼らは、我々が輸送部隊を動かすのを待っている構えです!」


 作戦室の空気が、一気に張り詰めた。


 敵も馬鹿ではない。銀翼の機動と、過去の偵察の動きから、こちらが大規模な輸送作戦に出ることを完全に察知し、待ち伏せの網を分厚くしているのだ。


「……薬の発送期限は、明日だ」


 隼人が重い声で呟く。


「敵がどれだけ待ち構えていようと、俺たちには、その罠の中に飛び込んでいく以外の選択肢はない」


 猶予はない。


 十箱の命を乗せた輸送隊と、それを阻む所属不明騎の大部隊。


 全速を封じられた我慢の空戦が、すぐ目の前まで迫っていた。

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