第13話 敵を落としても、負ける
護衛任務の二日目。
峡谷の出口へと続く空路の真ん中に、軍の標識を外した所属不明の風術騎士が、たった一騎で立ち塞がっていた。
「……教官、罠です。あいつは囮だ。通路を開けるには邪魔ですが、迂闊に追いかければ、別働隊に背後を突かれますよ」
竜鞍の上で、隼人は冷静に状況を分析した。
部隊で行動しているはずの敵が、あえて一騎だけで姿を見せる。それは明らかに、こちらの戦力――とりわけ速度に優れる隼人たち――を本隊から引き剥がすための典型的な陽動だった。
「どうする、黒瀬。無視して強行突破するか?」
ガルドの問いに、隼人は首を横に振った。
「いえ、峡谷のこの幅では、あれを放置したまま避難隊の三騎を安全に通すことは不可能です。進路を開けるには、どうしてもあの敵を退ける必要があります」
隼人は手元のノートと計時器へ視線を落とした。
「前の敵を射程の外へ押し返し、すぐ戻ります。前方三百メートルの岩角までです。……俺とアルヴェインで前路を掃討してきます」
「分かった。深追いはするなよ」
ガルドの許可を得て、隼人は鞍の前の相棒の背を叩いた。
「行くぞ、アルヴェイン。敵が囮だと分かっているなら話は早い。圧倒的な速度差で奴を射程に収め、一気に押し込むぞ」
『ええ。でも黒瀬さん、待って。さっきから風の様子が変……』
リュシアが機首を向けながら、何かを言いかけた。彼女の翼は、峡谷を吹き抜ける風の中に、目視できない微細な違和感を捉えていたのだ。
「時間がない。すぐ終わる、一気に行くぞ!」
だが、隼人は切迫感から彼女の言葉を最後まで聞かず、強引に加速の指示を出してしまった。
『……もうっ!』
リュシアは不満げな思念を漏らしたが、岩角までならと判断し、銀翼を力強く羽ばたかせて前方の敵へと突進した。
対気速度が急上昇し、周囲の空気が甲高い風切り音を立てる。
隼人たちが迫ってくるのを見た敵騎は、まともに交戦しようとはせず、すぐさま機首を翻して後退を始めた。防衛の隊列から隼人たちを遠ざけようと、距離を測りながらじりじりと峡谷の奥へと退いていく。
(やはり囮か。だが、俺たちの速度からは逃げ切れないぞ)
隼人は竜鞍の上で姿勢を低くし、敵の航跡を見極める。
「左下への降下軌道を取りつつ、敵の斜め後ろに食らいつけ。岩角の手前で射撃位置を取る!」
『分かってるわ!』
リュシアは隼人の指示通り、正確な機動で敵との距離を詰めていく。時速三百キロを超える巡航戦闘速度。敵の風術騎士は必死に気流を操って逃げようとするが、地力の速度差はいかんともしがたい。
岩角が近づく。敵はその向こうへ逃げず、射程の縁に残って風術を構え直した。ここで退けば、また輸送隊へ撃ち込まれる。隼人はあと少しだけと距離を詰め、後方を見る間隔を空けてしまった。
敵の背中が、リュシアの魔法の有効射程内にすっぽりと収まった。あと数秒直進すれば、完全に照準角が重なる。
「よし、捉えた! 撃ち落と――」
『黒瀬さん、聞いて!』
射撃の指示を出そうとした隼人の意識に、リュシアの切羽詰まった思念が割り込んできた。
『前の敵からじゃないわ。後ろの気流の向きが変わった! 強烈な人工乱流の渦が、最後尾の第三騎を狙ってる!』
「なんだと!?」
隼人はハッとして後方を振り返った。
肉眼では、遠く離れたガルド隊や避難隊の姿は峡谷の岩肌に遮られて見えない。だが、リュシアの翼は、前方の敵を追いながらも、後方で生じた不自然な大気のかき混ぜ――別働隊による魔法の兆候――をはっきりと感知していたのだ。
『別働隊がもう動いてるわ! 戻らないと、間に合わない!』
リュシアの言葉が、隼人の頭を殴りつけた。
(俺は、別働隊が動く『前に』戻れると計算していた。だが、敵は俺たちが前路の掃討に出たその瞬間を狙って、最後尾へ仕掛けてきたのか……!)
元戦闘機乗りとしての「敵を撃墜して空域を確保する」という本能が、状況の判断を狂わせていた。
今、目の前の敵をあと数秒で撃墜することはできる。確実に仕留められる位置にいる。
だが、その数秒の間に、最後尾の輸送竜が別働隊の攻撃を受ければ?
観測記録が奪われ、負傷者が谷底へ落ちてしまえば、目の前の敵を何十騎撃墜しようと、この任務は『敗北』なのだ。撃墜は、護衛任務の勝利条件ではない。
「――追撃中止! 反転、最後尾に戻る!」
隼人は唇を噛み切り、明確に仕留められる位置にいながら、敵を逃がす決断を下した。
『了解!』
リュシアは大きく右の翼を傾け、空中で鋭く旋回を行った。標的を失った敵の囮騎が、遠ざかる銀色の機影を驚いたように見送るのが見えた。
焦燥感に急かされながら、隼人たちは実戦速度で来た道を引き返す。
「アルヴェイン、加速の余力は!」
『今はないわ! 旋回の直後で風護膜の張りが不安定なの!』
岩肌をかすめるように飛び、避難隊が待機している空域へと飛び込む。
そこに広がっていたのは、隼人が恐れていた通りの光景だった。
「教官!」
ガルドとマーラが、前衛に張り出して魔法の防壁を展開している。その視線の先、峡谷の上の死角から現れた別働隊――三騎の黒っぽい羽竜が、強烈な人工乱流の幕を発生させ、避難隊の最後尾を強襲していた。
完全に、敵の別働隊の接近を許してしまっている。
「戻ったか、黒瀬!」
ガルドが怒鳴りながら、迫り来る風刃の雨をマーラの旋回で相殺する。
「俺の判断ミスです! 敵の囮に引っ張られ、復帰が遅れました!」
隼人は一切の言い訳をせず、自身の戦術的過失を認めた。別働隊が動く時間を甘く見積もり、速攻で押し返せるという己の計算を過信した結果だ。
「反省は後にしろ! 第三騎を守れ!」
隼人は即座にリュシアに指示を出し、最後尾の防衛へと回る。
だが、竜鞍の上で、リュシアの不満げな思念がチクチクと隼人の意識を刺してきた。
『だから言ったじゃない! さっき風の様子が変だって言おうとしたのに、黒瀬さんが最後まで聞かずに突っ走っちゃうから!』
「……すまない」
『平時の地上では、あんなに私の話を聞いてくれて、一緒に作戦も考えてくれるのに。どうして危ないときほど、私に何も聞かないで勝手に決めちゃうのよ!』
リュシアの怒りはもっともだった。
隼人は、切迫した危機的状況になればなるほど、「自分がすぐに最善の判断を下して彼女を守らなければならない」という独りよがりな保護欲求にとらわれてしまう。対等な相棒になりたいと願う彼女の意思を、結果的に無視してしまっているのだ。
「俺が悪かった。必ず埋め合わせはする。今は……」
隼人が言いかけた、その時だった。
敵の別働隊が放った強烈な人工乱流の渦が、ガルドの防壁の隙間を抜け、最後尾の第三騎を直撃した。
「しまっ……!」
ただでさえ右翼を痛めていた第三騎は、その不規則な突風を耐えきれなかった。
悲鳴のような羽音と共に、第三騎の姿勢が完全に崩れる。
「うわああああっ!」
竜鞍に縛り付けられていた負傷者の絶叫が峡谷に響き渡った。
観測記録の入った重い木箱と負傷者を乗せた輸送竜は、浮力を完全に失い、きりもみ状態となって暗い谷底へ向けて真っ逆さまに落下を始めた。




