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速すぎて騎手が続かない竜少女と、元戦闘機乗りの異世界空戦記~全速は十二秒、帰還は二人で~  作者: 他力本願寺


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第12話 護衛には、追い越せない敵がいる

大気が悲鳴を上げていた。


 切り立った岩壁が両側から迫る峡谷の最狭部。その空間を塞ぐように、目に見えない人工乱流の壁――『風壁』が渦を巻いている。


「陣形を崩すな! 絶対に間隔を空けるなよ!」


 先頭を飛ぶガルドの怒声が、強風を切り裂いて響いた。


 だが、その声も虚しく、避難隊の三騎は峡谷の入り口に差し掛かった途端に凄まじい風圧にあおられ、木の葉のように上下左右へと揺さぶられた。


 とりわけ深刻なのは、右翼を痛めている最後尾の第三騎だった。


 不規則な突風を翼でいなすことができず、機体が大きく傾く。そのたびに、竜鞍に縛り付けられた負傷者から、苦痛に満ちたうめき声が漏れた。鞍越しに聞こえてくるその生々しい声は、彼らが運んでいるものがただの荷物ではなく、今にも消えそうな命であることを隼人に突きつけていた。


「……教官! このまま力押しで突っ込めば、最後尾は岩肌に激突します!」


 隼人は竜鞍の上で周囲の空間を俯瞰し、瞬時に判断を下した。


「俺たちが少しだけ先行して、突破可能なルートを探ります。索敵距離は前方三百メートル、時間は三分に限定。もし突破不能と判断した場合は、俺が貸与された信号灯で赤の魔力光(シグナル)を出します。それが見えたら、全騎即座に後退して陣形を再編成してください。いいですね!」


 明確な制限時間と、撤退の合図。戦場においてパニックを防ぐための最も確実なルールだ。


「分かった、三分だけ待つ! 頼んだぞ!」


 ガルドの了承を得て、隼人は鞍の前の相棒の背中を軽く叩いた。


「行くぞ、アルヴェイン。三分以内に、あの見えない壁の隙間を見つける」


『任せて!』


 リュシアは銀翼を翻し、猛り狂う風壁の真正面へと進み出た。


 全速力は使わない。彼女は速度を時速百キロ以下にまで落とし、空中で停止するかのようなホバリングに近い姿勢をとった。そして、目を閉じ、全身の羽毛と翼の先端をセンサーのようにして、大気の流れに意識を没入させる。


 風壁は、ただの均一な強風ではない。複数の人工的な気流が複雑に絡み合い、ぶつかり合って生じる乱気流の集合体だ。だからこそ、岩肌の起伏や気流同士の干渉によって、必ず『風のよどみ』が生まれるはずなのだ。


『……見えた!』


 一分後、リュシアが目を見開いた。


『峡谷の右下、岩肌スレスレの高度帯! そこに、空気が上に抜けずに横へ流れている細い道があるわ!』


「よし。俺たちが先導する。第三騎にあのルートをトレースさせろ!」


 リュシアが右下の岩肌へ向けて滑り降りる。


 第三騎の輸送竜が、痛む翼を庇いながら、リュシアの真後ろへ必死に食らいついてきた。


『もっと右! 岩に擦るくらい寄せて!』


 リュシアは共感回路を通さず、直接大声で後ろの竜に叫んだ。


 輸送竜が指示通りに岩肌へ身を寄せた瞬間、その真横を、目に見えない風の断層が凄まじい勢いで通り過ぎていった。もしルートが数メートルでも左にずれていれば、叩き落とされていただろう。


「抜けるぞ……!」


 隼人の目の前で、視界を覆っていた不自然な大気の歪みがふっと晴れた。


 一番遅い輸送竜が、ついに風壁の最狭部をすり抜け、峡谷の奥の比較的安定した空域へと躍り出たのだ。


 後続の二騎とガルド隊も、同じルートを通って無事に風壁を突破した。


「全騎、前方の洞窟で一時待機。小休止とする!」


 ガルドの指示により、一行は峡谷の岩肌に開いた巨大な風穴へと避難した。


 風の届かない洞窟の奥で竜鞍を下ろし、観測員たちが負傷者の手当てに走る。


 隼人は持参したノートを開き、現在の時刻と航程を記録してから、避難隊の物資の状況を確認して回った。


 そして、顔を曇らせた。


「……教官。避難隊の物資が、想定以上に消耗しています。観測用の機材と記録箱を守るために、荷物をかなり切り詰めてきたようですね」


「ああ。特に、負傷者のための痛み止めの薬と、彼らに食わせる消化の良い食糧が底をつきかけている。……だが、俺たちの携行食は硬い干し肉と黒パンだけだ。負傷者の胃袋にはきつい」


 ガルドの言葉に、避難隊の観測員たちが暗い顔でうつむいた。ただでさえ強風にあおられて体力を削られているのだ。このままでは、安全な空域に出る前に負傷者の命が尽きてしまう。


 重い沈黙が流れたその時。


「はい、これ使って!」


 明るい声と共に、リュシアが自分の巨大な背嚢(リュック)をドサリと床に置いた。


 中から出てきたのは、白い布に包まれた大量の食糧だった。それも、騎士団の配給品のような硬い保存食ではない。柔らかく煮込まれた肉のパテ、蜂蜜漬けの木の実、そして高カロリーで栄養価の高い、少し高価な携行用の焼き菓子。


「アルヴェイン、これは……」


「私のおやつ! お肉ばっかりじゃ飽きるから、市場で買っておいたの。これなら、怪我してる人でも食べやすいでしょ?」


 リュシアはニコニコと笑いながら、観測員たちの手に次々と食糧を押し付けていった。


 観測員たちは泣きそうな顔で何度も礼を言い、負傷者のもとへ走っていった。


 だが、その光景を見ていた隼人の表情は、決して明るくはなかった。


「……おい、アルヴェイン」


 隼人はリュシアを洞窟の隅へ呼び寄せ、声を潜めた。


「あれは、お前の魔力回復に必要な『燃料』だろう。あんなに気前よく渡して、お前自身の身体は大丈夫なのか?」


 以前の日常で、彼女が常人の数倍の食事を平らげるのを見た。それは単なる大食いではなく、圧倒的な速度と魔法を維持するために不可欠なカロリー摂取なのだ。


「平気よ。少しダイエットになるし、ちょうどいいわ」


 リュシアは冗談めかして笑い、自分の薄い腹をぽんと叩いた。


「それに、今は私が一番元気なんだから。私だけがお腹いっぱい食べて、あの子たちを飢えさせるなんて、そんなのカッコ悪いじゃない」


 彼女の笑顔に嘘はなかった。本当に心から、彼らを助けたいと思っているのだ。


「……分かった。ただ、君の帰還分も確保する。柔らかい食料を渡した分、俺たちの保存食を回そう」


 リュシアは頷き、ガルドと一緒に残りの食料を数え直した。最低限の量は確保できたが、いつものように食べる余裕まではない。


 食べればすぐ魔力が戻るわけでもなかった。ここまでの精密な飛行で削れた分を、短い夜営だけで取り戻せるか。隼人は休息の時間も書き足した。


(俺の戦術で、彼女の魔力消費を極限まで抑えるしかない)


 隼人はノートの端を強く握りしめた。


 その日の夜。


 洞窟の入り口近くで、隼人は小さな魔力ランタンの灯りを頼りに、明日の航路図の微修正を行っていた。


 見張りを兼ねた静かな時間。岩の外からは、依然として気味の悪い風の唸り声が聞こえてくる。


 ふと、隣で布の衣擦れの音がした。


「……まだ起きていたのか」


「うん。交代の時間まで、もう少しあるから」


 リュシアが、隼人のすぐ隣に腰を下ろした。肩と肩が触れ合いそうな、ごく自然な距離感。昼間は竜の姿で背中に乗っているが、こうして人型の彼女が隣に座ると、少しだけ甘い香りがした。


「何書いてるの? また、私には読めないミミズの這ったような文字?」


「ミミズとは失礼な。これは俺の国の『漢字』と『数字』だ」


 隼人は苦笑しながらノートを見せた。


「明日のルート計算だ。今日切り抜けた風壁のパターンから、峡谷の出口付近に発生する乱気流の位置を予測している。……それと、君の魔力残量の推測値もな」


 隼人がそう言うと、リュシアは少しだけ申し訳なさそうに視線を落とした。


「……怒ってる?」


「いいや。君のあの行動は、護衛対象の生存率を上げるためには正解だった。ただ、相棒としては君のコンディションが心配なだけだ」


「大丈夫よ。私の翼は、黒瀬さんが思っているよりずっとタフなんだから」


 リュシアは強がるように笑い、そして、そっと自分の頭を隼人の肩の近くへ寄せた。


「ねえ、黒瀬さん」


「なんだ」


「私、少しずつ分かってきた気がするの」


 ランタンの薄明かりに照らされた彼女の青い瞳が、優しく揺れた。


「速く飛ぶだけが、強いってことじゃないのね。……一番遅いあの子を守って飛ぶのも、悪くないわ」


「……ああ。そうだな」


 隼人は短く応え、彼女の気配を隣に感じながら、再びノートへ視線を落とした。


 過酷な護衛任務の最中、張り詰めた糸が少しだけ緩む、静かな夜のひとときだった。


 だが、安息の時間は長くは続かなかった。


 翌朝。短い夜営を終え、峡谷の出口を目指して再び飛び立った彼らの視界に、それは不意に現れた。


 峡谷の先、少し開けた空域。昨日の風壁を越えて回り込んできたと思われる、黒っぽい羽竜の姿があった。


 軍の標識を外した、所属不明の風術騎士。


 だが、その配置は明らかにおかしかった。部隊であれば複数騎で網を張るはずなのに、視界にいるのは、峡谷の出口のど真ん中にぽつんと浮かぶ一騎のみ。


 こちらを挑発するように、ゆったりと翼をはためかせている。


「……教官、罠です」


 隼人は竜鞍の上で目を細め、冷たく言い放った。


「あいつは囮だ。通路を開けるには邪魔ですが、迂闊に追いかければ、別働隊に背後を突かれますよ」


 観測記録を狙う見えない敵との、真の防衛戦が始まろうとしていた。

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