73 魅惑のカレーライス
「食べたいだろう! カレーライス!」
五十路、あらためエーリヒが目をカッと開けて私に叫びました。
カレーへの執着がやばい人がいるのは知っていますが、異世界まで持ってきたのかという感じです。
えっと、どちらかというと、私はライスに比重が……。
「私は、それよりも、米……TKGが食べたいのです」
「なっ、カレーだろう!」
ゴオッと風が起こりました。エーリヒは風魔法の人でした。
熱意は届きましたので、落ち着いて欲しい。
「……セシ、行こう」
アレクは私の腕に触れてきました。
我に返った私が顔を上げると、アレクがエーリヒを不信感丸出しの目で見ています。
それは、そうです。
意味が分からない話をしているのですから、当然かもしれません。
「兄上に報告する」
「立派なことで」
エーリヒは嫌味たっぷりな口調で言いながら、私が出て行くことを阻止するように、アレクを睨みました。
「殿下は、セシル嬢が僕の婚約者になったら困るのでしょう? 今みたいに、当然のようにそばにいることはできないから」
「……っ」
「レオンハルト殿下の婚約者でなくなったとして、従兄妹同士の貴方たちが婚約者として名を連ねることはない。慌てるのはわかりますが」
「うるさい!」
アレクが感情的に大きな声を出しました。とても珍しい。
二人とも、落ち着いて欲しい。
私は耳を撫でながらアレクを安心させます。
「アレク、落ち着いてくださいな。ゴーレムへの熱意はわかります。私たちのゴーレムの絆が無くなることはないのですから、安心してください」
「……」
アレクが私を見た後、笑みながら溜め息をつきました。
「そうだね。確かに」
「そうですよ。そしてエーリヒ、今、アレクに意地悪を言いましたね。私、意地悪は嫌いです」
はっきりと目を見て言うと、エーリヒはたじろぐ。
本当に、意地悪は、うんざりです。
土属性の魔力というだけで、この学園に入って知らない方に見下される機会も増えました。
「私は意地悪な方の婚約者になることはありません」
お金目的もそうですけれど。
エーリヒは苦し紛れに口を開いた。
「……レオンハルト殿下だって、性格が歪んでいると思うけれど」
これに関しては、私は堂々と言い返す。
「レオは意地が悪いのではなくて、達観しすぎて正論ばかり言っているだけです。単に悪いのです。正論は人を追い詰めますので」
「……」
アレクが私を見てボソッと「兄上がかわいそうだ」と言ったけれど、これ以上どうフォローしろと。
違う世界線では、自分一人を犠牲にして、世界の歪みを受け入れるくらいに、レオは達観している。
私はコホンと咳ばらいをした。
「カレーに戻りますけれど、スパイスがあるのであれば、作ればいいじゃないですか」
「ターメリック、コリアンダー、チリはある。クミンが難しい。温泉と言っていただろう? だったら、この四種類を地熱ハウスで栽培して、安定供給できないだろうか」
クミンが無いと、カレー味にならないということか。
エーリヒは早口だけでなく、目も血走っている。
「カルダモン、フェヌグリークもできるだろう? シナモン、クローブの木は見つけられないか? 将来的には、二十種類のスパイスが欲しいんだ」
「……」
カレーオタクだったのでしょうか。熱いです。
私は斜め上に視線を移動させました。
私はお米を食べるなら、絶対にTKG派。
レトルトカレーに冷凍野菜をトッピング、黄身を乗せれば、もう幸せ派。
エーリヒは、椅子に座っている私に詰め寄ってきました。
「下賜された土地って、すでに開墾されて、畑があるよね」
エーリヒの圧が止まらない。
荒地の契約書にサインをしただけだと伝えたいのに、その隙間をくれない。
「君の土属性の魔力で、魔法で、香草を畑で栽培してもらいたい。場所と、知恵を貸してほしい」
「……」
正直、香草の栽培というか、地熱ハウス栽培という発想が面白そうすぎます。
いちごとかのアレですよね。果物狩りツアーとか、お金になりませんかね。
けれど、下賜されたばかりの、開墾されていない、荒地が脳裏に浮かべました。
「大事なお話なのですが、開墾はされていません。荒れ地を頂きましたので」
「え? 下賜された土地が、荒地?」
エーリヒが籠を胸に抱いたまま唖然としました。釣られて私もハッとする。
陛下からいただいた土地が荒地って、確かにおかしい。
アレクが気にしてか、少し申し訳なさそうな表情をしています。
土魔法クラブの皆様で、魔法を実践で使ってもらいながら開墾をしようと興奮していたせいで、そこまで思い至らなかったです。
おまけに、居座り精霊もいますしね。
ま、土地は土地なのでいいですけれども!
エーリヒは、真顔で私を見ました。
「……まさかだけど、貴族の生徒に、開墾させる気?」
籠を置いたエーリヒが私の答えを待っている。
土属性の魔法使いなのに、土に触れてこなかった、触れられなかった属性。
土と魔力の親和性を高めてもらうには、いいかなと思ったのですが……。
「そのつもりでしたが」
「無理だよ!」
エーリヒは立ち上がって、きょとんとする私の肩を掴んだ。
掴む力が、とても強いです。私の顔が痛みに歪みます。
「エーリヒ!」
それを見たアレクが叫びましたが、エーリヒも同じくらいの大きさの声で言いました。
「彼らは労働を良しとしない、貴族なんだ! 土なんて……触らない!」
「離れろ!」
「……貴族なんだよ」
アレクは興奮したエーリヒの肩を乱暴に押して、私から遠ざけた。
私はエーリヒに掴まれてじんじんする肩を撫でます。
アレクは私の顔を覗き込んできました。
「大丈夫?」
「はい、ありがとうございます」
エーリヒは瞬きもせずに、「ごめん」と言った後、悔しそうに唇を噛んだ。そしてもう一度、「ごめん」と言った。
よくわからないけれど、彼なりに深い何かがありそうです。
「……僕も、料理人にはなれない。貴族とは、そういうものだから」
エーリヒは生まれた時からこの世界にいるので、苦悩も深いのかも。
私の鶏舎掃除を許していたノーテル家はちょっとおかしかったのですね。
もっさりとした作業服と、つばの広い帽子はマストでしたけれど、お母様も反対はしませんでした。
自由にさせてもらったことに、改めて感謝です。
けれど、エーリヒの言うことは、正しいのでしょう。
学園に通う人はほぼ全員貴族、あとは都会育ちのお金持ち一般の人なのも事実。
ほんの小さな虫も怖いかもしれない。
土魔法で壁! とか、土吹雪! とか、かっこいい魔法を思い浮かべて、クラブに入ったのかも。
私は腕を組んで、うーんと首をひねった。
ま、しょうがない。まずは私が全てを整えましょう。
初心者が魔力になれるための、綺麗な箱を作ると考えればいいでしょう。
正直、私が一人でした方が早いですし。
私は椅子から立ち上がって、アレクに尋ねます。
「アレク、いつでも土地に行けるって言いましたよね」
「ああ」
「陛下に、今から行ってもいいかを尋ねたいのですが、最速でどれくらいでお返事をいただけますでしょうか」
アレクは即答した。
「今から、行ける」
私の目が驚きで開かれました。
「え、本当に?」
「セシならそう言うだろうと、教えてもらっていた。君が寝込んでいる間に第一の『扉』は作ったようだよ」
さすが、陛下!
心の底から、土地の開墾を望まれているのはわかりました!
「では、今から参ります。私がした方が、畑は早くできますしね。アレク、『扉』はどこでしょうか」
「王宮なんだけれど」
「王宮ですね!」
私が踵を返すと、エーリヒに二の腕を掴まれた。
すぐに触れてきますよ、この中身五十代は。
「スパイスを……頼みたい! 地熱があれば加温のビニルハウスが可能なはずだ! 温泉って言っただろう!」
エーリヒの必死な姿に、自分を重ねてしまいました。
私が、追放されることを思い出して、TKGを極めてやると思ったように、エーリヒにとってのそれが料理なのですね。
しょうがない。私は息を吐きました。
「わかりましたから、あまり触れないでくださいまし」
私がピシッと注意すると、エーリヒははっとした表情になりました。
冷静になったようです。
「令嬢に、失礼を……。申し訳ありません」
自分の手を、信じられないものを見るように見つめています。
そうです、反省してください。
でも、目的が達成できそうなときに、理性を失ってきたのは私も同じ。強く責めることはできません。
ただ……推しとはいえ、私はあまりエーリヒを可哀そうだとは思えない。
「はっきり言わせていただきますけれど」
私は立ち上がった。
「先ほどから、貴族だから貴族だからと仰いますけれども、そんなに料理がしたければ、貴族でなくなればいいのですわ。家出でもして、国を出て、料理人になればいいのですわ」
エーリヒは、可哀そうなくらいに言葉を失った。アレクも、口を半開きにしたまま動かない。
「特権も、やりたいことも。すべてを欲張ること、私は良いかと思います。けれど、あなたは奥様の持参金だとか、そういうものに頼って、『特権』も維持しようとしている。悪いことではないと思います。でも、どうせなら、皆が認めざるを得ないくらいの、新しい『特権』を作るくらいの、それくらいの気迫で取り組む方がいいのではないでしょうか」
エーリヒが、カタン、と後ろのテーブルに身を預けるようによろめいた。
「あと、そんなに他人のお金が欲しいなら、お金持ちの老未亡人のパトロンでも探せばいいのですわ。……どこか、あなた、熱意が緩い。そんなことでは、幸運の女神は、微笑みませんわよ?」
私は鶏舎を泥糞まみれで掃除をしたからこそ、皆が付いてきたのですよ。
たぶん……。ついてきてくれていますよね!?
エーリヒが何か言い返そうと口を開き――けれど、言葉は出てこなかった。
そのまま、黙って項垂れる。
アレクが私の背中を小突く。
「言いすぎだよ」
そうでしょうか。こちとら、追放予定令嬢。
時に三途の川を渡りかけながら、五歳の時から本気でやっていますよ。
そこらのボンボンとは気合いが違う。
私はアレクを見上げます。
「アレク、土地に案内をお願いしたいです。自習時間中ですし」
「学校を離れて良いってことではないと思うよ?」
小言を言うアレクはお母様みたいです。
「お小言は後からいくらでも聞きます。王宮へ行きましょう」
「……兄上が、セシならそう言うと言ってね」
アレクはポケットから鍵を出した。
「この『扉』を出してくれる魔道具を作ってくれた。使えるのは三回までと、兄上から聞いている」
レオが短時間でこの魔魔道具を作ったらしい。
感謝と、むずがゆい気持ちが湧きあがる。
いつも、一番大事な鍵をくれるのはレオだ。
「とりあえず、セシが学校を脱走しないように、行こうか」
アレクはクラスに帰ると見せかけて、王宮に行きそうな私を見抜いています。
アレクはまるで空中にあるドアの鍵穴に、鍵を差し込むようにして回します。
光の線で扉の枠が浮き上がりました。
美しいと思う間もなく、キィ……と、勝手にドアが開く。そんな中、エーリヒが叫びました。
「僕も、僕も連れて行って欲しい。手伝う!」
腹の底から声を出したのか、小さな部屋に声が響き渡る。
陛下は許可制だと仰いましたので、私は判断を仰ぐように、アレクを見ました。
アレクは、はぁ、とため息をつきました。
「エーリヒは、生徒会に入っている時点で大丈夫だよ」
「では!」
私の脳内にある構想を、とにかく早くあの場所に作ればいいのですね。腕が鳴ります。
貴族だとか何だとか知りませんが、私は目の前のやることをやるだけです!
すべてはTKGのために!
……ただ、カレーカレーと言われて、口がカレーになっています。これはエーリヒには内緒です。




