72 秘密
話をするなら良い場所がある。
エーリヒがこっち、と案内してくれたのは、学食の厨房の奥にある小さな部屋。
三人が一緒に入れば狭い! くらい小さい。
壁に向かったテーブルと椅子。
隅には木箱が積み上げられ、食材が入っているみたい。
本棚にも食材や本が所狭しと並べられている。
貴族らしい装飾もない機能的な秘密の場所という感じ。
昼休みの後、クラスが自習で良かった。
エーリヒも、自習らしい。
アレクに「なぜついてきたのか」と聞けば、エーリヒが答えてくれた。
「レオンハルト殿下が、すごい顔をしていたからだと思う」
そういえば、挨拶をせずに出てきました。
レオの不調には石を渡しているので大丈夫。
それよりも、米。
私の頭は米で占領されています。
「ここは、僕が使わせてもらっている」
学食の厨房の奥の部屋を使わせてもらっている? 私は首を傾げる。
エーリヒは床に置いてあった、食材の籠を木箱の上に積み、空間を広げた。
それから折り畳みの椅子を出してくれる。
「座ってください。殿下は立ったままでいいですか?」
尋ねているというか、形式的に聞いた感じだ。
アレクは「いいよ」と言って、私に椅子をすすめてくれた。
「エーリヒは、学食の監修をしているんだ。ほら、王都で有名なカフェがあるだろう? あれもエーリヒがレシピの提供から監修をしている」
「……まぁ!」
カフェの名前を聞けば、エレナとも行ったことがある、チョコレートがおいしいカフェでした。
あのお店のチョコレート、前世三十路バレンタイン、百貨店でセルフで買った高級チョコそのままの味だったのですよね。
……それの監修? 十歳くらいの時に? 謎すぎます。
エーリヒはテーブルの前に立つとアレクを見た。
「……出て行ってください、というのは、聞き届けられませんよね」
お米の話はとても大事ですが、そんなに秘密でもありません。
私が大げさなと思っていると、アレクはちょっと怒って言います。
「当然です。貴族の男女が個室で二人きりなんて、許されるはずがないでしょう」
認めたくないけれど、アレクが私よりどんどん大人に……。
「他に聞かれたくないのなら、防音魔法はかけます。でも、僕はこの場にいます」
「わかりました。では、お願いします。他言無用でお願いしますよ」
エーリヒは苦笑しながら頭をかいた。
アレクはサクッと魔法をかけた後、腕を組んでドアに背を預けている。
まぁ、いいや。
来年の米は学食で必ず握り飯を出す。
そのために手で食事をするという行為を、「普通なこと」にしなくてはいけない。
もちろん、お米の安定供給が第一ですけれども。
第一歩の食べ物は、何にすべきか。
私が本題に入ろうとしたところで、エーリヒが口を開いた。
「僕は今から、変なことを言います」
「はい」
エーリヒから緊張が漂ってくる。
とんでもなく、深刻そう。米に、問題があったのでしょうか。
え、どうしよう。コクゾウムシがいた? カビや異臭があった? だから、焼いた?
米にまつわる問題とか、考えたことも無かった!
「意味が分からなかったら、忘れてください。殿下も、お願いします」
エーリヒは、緊張を逃すように、大きなため息を吐いた。
虫が湧いた米を、学食に渡していたのかと、私は不安で震えている。
米の保管方法も考えなければ。やっぱり、高床式倉庫でしょうか……。
エーリヒは、私に切羽づまった目を向けてきた。
「実は」
「はい」
私は生唾を飲みこんでいた。
「僕は日本で」
「……二ホン?」
馴染がありすぎる国名に、脳がフリーズする。
「料理人をしていました」
「りょ」
「このゲームをコンプした五十代の男です」
耳から入ってきた情報の意味を理解するのに、たっぷり十秒。
三十路ならぬ、五十路……。
「コンプ!!!」
「大団円の次、隠しルートもまで攻略済」
「大団円!! 隠しルート!!!」
情報が濃すぎて、私は文字通り椅子から崩れ落ちた。
ちょっと、ちょっとちょっと。
これって、私の疑問を全て答えることができる人なのでは!?
その反応に、エーリヒはほっとしたのが伝わってきました。
微笑みながら、助け起こしてくれる。
「温泉とか言い出すから、最後のピースがはまった気がして。やっぱり、日本人か」
「ドッ」
変な声が出てしまった。
魔獣災害のことも知っている? レオはどうなるの? これはどういうルートなの。
私は、プチパニックです。
まず、猛烈に、レオは、助かるのですか? と聞きたい。
アレクは何の話かわからないといった顔をしています。
エーリヒは「日本人はすぐに温泉と言い出す」と前置きして、静かに話し始めた。
健康診断の精密検査を無視していたら、ある日シんだ。
料理人といえば、豊満な腹囲な印象はある。
気づいたら、ハマりにハマってプレイしていた乙女ゲームの中に生まれていたらしい。
ここからが、エーリヒと私の大きな違い。
エーリヒは、生まれた時から前世の記憶があった。
「僕は次男なんだけれどね、貴族は働ける場所が決まっている。騎士団とか、学者とかね。料理人なんて無理だ。厨房に出入りすら難しい。それでも、小さな頃からコックに食べたいものを伝えていたら、父が興味を持ってね。カフェの監修という形で、僕を関わらせたんだ。そういうのもあって、レオンハルト殿下の『ご学友』に選ばれた」
つまり、カフェが爆発的な人気が出た。それがエーリヒの格を上げたらしい。
情報が濃い。
エーリヒは私に一冊のノートを渡してきた。
「忘れるのが嫌で、思い出したレシピを書いていた」
中を見ると、オムライスとか、ハンバーグとか、いろんな懐かしいメニューが並んでいる。
ケチャップが乗ったオムライスのイラストに、国旗が刺さっていた。
これは、間違いなく、日本の文化。
ノートを眺めるエーリヒの表情が柔らかい。
「洋食のコックさんだったのですか?」
「まぁ、洋食」
エーリヒは嬉しそうに頷いた。
「学校では監修に関わらせてもらっているけど、自分で料理をするわけにはいかなくて。僕は、貴族だからね。コックは僕が料理をしても見て見ぬふりはしてくれたけれど」
貴族だから。その言葉がちょっと重い。
エーリヒは骨の髄まで、この世界の人な感じがある。
ずっと厨房に出入りしていた私の両親は、だいぶ大らかだったらしい。
縦巻きロールも、遠く思い出せば祭女も、貴族としての意識が高いとは感じる。
「だから、お金持ちの女性を見つけて、婿にしてもらおうと思っていた。平民でもいい。そうすれば、自由に料理できると思って」
女性への愛ではなくて、料理への愛で結婚をしようとしていたのか。
貴族でも料理ができるように、それが許される人と結婚。
まさに契約結婚。
平民でもいいってどういうこと……と、何とも言えない気持ちでいると、エーリヒは私に微笑んだ。
「そう、良い人が現れたと思ってね。レオンハルト殿下の婚約者候補なら、親も納得するだろう。そう思ってアプローチの機会をうかがっていたら――君が、やけに日本人っぽく感じた」
私、ロックオンされている。
推しに好意を仄めかされているのに、心がときめかないのはなぜ。
それは、明らかに私の追放時の生存資金を狙っているのがわかるから。
私はハッキリと伝える。
「私、結婚しませんけれど」
というか、私は追放回避しながら、レオを救わないといけないのです。
「つれないね。せっかく可愛いのに」
「ツレナイネ……」
ネタ晴らしをした安心感からか、おじさん感を隠せないエーリヒ。
私、追放される令嬢だし。
レオを救わないと、フェイ・ドラゴンから何されるかわからない身だし。
「私、十歳ですから。結婚はしません」
私がエーリヒにノートを返すと、彼はパラパラとそれをめくる。
「婚約で良いよ。……セシル・ノーテルなんてキャラいなかったけど、ノーテル家の令嬢が悪役令嬢の取り巻きにいたな、とこの間思い出した」
エーリヒ、コンプしているだけあって、私よりゲーム設定を知っている。
レオが、レオが助かるルートはあるのか。
ごくり、と生唾を飲みこんでいた。
私の喉は、緊張に震えている。
「き、聞きたいことがあります」
「いいよ。でも、僕からもお願いがある」
「何でしょうか」
「僕と結婚しない?」
軽い。水素くらい軽い。私の緊張を返してください。
明らかに料理、すなわちお金目当てでむしろ清々しい。
確かに私はお金持ち。お母様にお金を握られているので、自由にできないけれど。
私が再び同じ返事をする代わりに、ドアから身を起こして、怒ったのはアレクでした。
「何を言っているのですか。セシは兄上の婚約者ですよ」
「婚約者『候補』、だよね」
エーリヒがアレクに微笑むと、アレクは言葉を飲みこんだ。
リアだって、レオの婚約者候補の一人だ。
縦巻きロールも、顔も覚えていない取り巻きもそう。
私は、四人の中の一人にすぎない。
政治が絡んでいるのでしょうけれど……。
「セシル嬢には、僕との結婚、考えていて欲しいな」
「嫌です」
私が即答すると、エーリヒは肩を竦めて、棚から籠を下ろした。
「気持ちは変わるものだからね。――そして、これからが本題なんだけれど」
本題? エーリヒはその籠の中身を私に見せてくれる。
中には、いくつかの香りが濃い草が入っているのが見えます。
初めて見る香草です。
「単刀直入に言う。カレーを食べたい。僕の悲願なんだ」
私に、雷が落ちたような衝撃が走りました。




