60 陛下は、ちゃんと覚えていた
巻き込まれた生徒は全員で十人ほど。本館の中央である円環の間に近い二階での出来事。放課後でなければ、もっと被害が大きかったかもしれない。
先生たちもやってきて、生徒達は医務室へ向かうように指示されました。
超・優等生のリアが皆に付き添っていくことになり、生徒たちの不安は和らいでいる様子。
私も付き添いたいものですが、ほら、私が狙われているわけで……。
標的も一緒に移動するわけにはまいりません。
アレクやロザリアもやってきて、やっと私から離れたレオも一緒に、生徒会の面々は先生と輪になって話しています。
もちろん、ロザリアは先に私に怪我が無いかを、入念に調べてくれました。
私はというと……天井をひとり仰いでいます。
吹き飛ばされた、クラスを表示したプレート。廊下側の壁に寄った、教室の中の机と椅子。ところどころ、壁紙も剝がれている。……惨憺たる状況。
私は掴んでいた窓枠を人差し指で撫でた。風の影響なのか、歪んでいる。
「……」
控えめに言って、私、退学した方がいいのではないでしょうか。
私は腕を組んだ。
襲われたかもしれないのは、修練場と、廊下。二回目だと、指折り数えます。
そして、二度あることは三度ある。……って、誰かが言っていた。
私は唇をきつく噛んだ。人を巻き込むのは、本当に嫌だ。
私は領地でいろいろな実験をしたい。米を、二毛作を成功させたい。ヒメコにもっと米作りを教わりたい。
そもそも学園にいなければ、『追放イベ』は無いわけで。
だから、私は学園に通わなくてもいい。
そこまで考えて、土魔法クラブの皆様の顔が思い浮かびました。
「……うーん」
私の表情は、自然に渋く……。
彼らを捨ておいてはいけない……。植木鉢を真面目に抱き魔力を流し続ける一見思想強め集団と化した彼らを、どうにか引き上げたいというか……。
「うーん」
渋面で腕を組んで思い切り首を捻っていると、「かわいい顔が台無し」と上から声を掛けられました。耳に馴染む、安心する声。
私が目を開けると……、蜂蜜色の髪とヘーゼルナッツ色の瞳が目に入った。
「フリードリヒお兄様!」
「セシル」
お兄様方の中で、私を一番溺愛してくれるフリードリヒお兄様だった。王立騎士団に所属し、その実力から王の身辺警護を担うという、最精鋭しか許されない役目に付いている。
お父様の次に、私にすごい修練を課したお兄様でもあります。
仕事の最中に来たのか、初めてみる深い緑を基調とした騎士団衣装の出で立ちです。
詰襟には金の徽章、片側の肩から胸に斜めに渡された飾緒が、金房を揺らしています。二列の金釦、袖や裾の金縁の刺繍は格を示しているのだと、思う。
腰に提げた長剣、絞られた体躯、兄でもかっこいい。
どうして学園に、と尋ねる前に、何のためらいもなく私を抱き上げてくれた。
身体がふわっと浮いて、鍛えられた肉体にしっかり抱っこされる至高タイム。
「久しぶりだね、セシル。美しく成長していて嬉しいよ」
「お兄様の美しさに比べたら、私なんてまだまだですわ」
お兄様達は本当に私に甘いです。
ロザリアと言う超絶美女もいるのに、いつもそう言ってくれる。本当に、優しい。
うーん、そういえばリヒャルトお兄様はロザリアに首ったけになるはずなのだけれど、今のところ、そんな素振りないですね……。
レオとアレクがこちらを見たので、フリードリヒお兄様は私を下ろして礼を取る。
「両殿下に挨拶申し上げます」
「……楽にして」
そう言ったのは、レオだ。
「陛下が動いたんだね」
続けてそう言うと、お兄様は話しが早くて助かるなと言ったように、にっこりと笑んだ。
「はい。今からセシルを王宮へ連れて行きます」
「……それは」
レオの言葉を遮ったのは、あぁぁぁぁっ! という甲高い声。
その声をの方を見ると、リアがぶるぶると震えていた。
生徒を医務室に送って、戻って来たらしい。
「フ・フ・フ・フリードリヒ・ノーテル様」
リアが正気を失っていらっしゃいます……。
私がお兄様を見上げると、余所行きの伯爵令息兼最精鋭近衛騎士の令嬢殺しみたいな笑顔が。
我が兄ながら、罪が深い。
「僕を知ってくれているのですか。ありがたい。……ドラッヘンフェルト公爵令嬢のヴァレリア・クロイツ様ですね。セシルをお守り頂いたと伺いました。ありがとうございます」
「わ、わたた、わたっくしの、名前を……!」
お兄様が頭を下げますと、リアが立っているのが不思議なくらい、腰砕けになってしまったのがわかります。
何を見せられているのだと視線を移すと、ロザリアはすん……みたいな表情でこの様子を見ていました。コントラストがすごい。
ロザリアは私と一緒に、お兄様にしごき倒されたのでしょうがない……。
「ロザリアも久しぶり」
「お久しぶりでございます」
ロザリアはすん、とした表情をまったく崩しません。
「あ……あああ……あぁ」
リアがついに言語を失いました。
高位貴族応接に慣れているお兄様が、リアのハートを打ち抜いたのか、勝手にリアが打ち抜かれたのかはわかりません。
ただ、エミールお兄様への仄かな恋心を、私、さっきリアから聞いたばかりな気がしますけれども……。
「あ、兄上ではありませんか! どうしてこちらに」
そこに姿を現したのはエミールお兄様。滅多に会えないフリードリヒお兄様の姿を見て、緑の目をキラキラと輝かせています。
「エミールじゃないか! 生徒会で殿下のお役には立てているか」
脇の下に手を入れて抱え上げようとするのを、エミールお兄様が後ずさって免れる。
「兄上! 僕はもう十五歳ですよ!」
「いいじゃないか。僕にとっては可愛い弟なのだから」
両手指をもぞもぞと動かしながら近づき、嫌がる弟を揶揄うフリードリヒお兄様が楽しそうです。
エミールお兄様、私も同じ疑問を抱いています。なぜ、フリードリヒお兄様が学園に来たのか……。
聞きたくても大型犬と小型犬のハートフルな絡みは終わらず、です。
「ああっ……」
リアがノーテル家の兄弟の絡みについに座り込んでしまいました。それをロザリアが助けもせずに冷めた目で見ています。助ける気、ゼロです。
私が手を差し伸べなければと一歩踏み出す前に、レオが私の横にスス……と近づいて来て、耳打ちしてきました。
「陛下が動いたから、フリードリヒ殿が来た。セシルの環境が変わると思う」
「……」
やや青ざめる私。え、これが追放イベ? 思ったより平和ですけれど、土魔法クラブの皆様にはどう説明すればいいのか……。
「たぶん、動きやすくなると思うよ」
「動きやすく……」
満面の笑顔を向けられたので、私もつい釣られて微笑み返してしまいました。
石を差し上げてからというもの、完全にレオの私への距離感がバグっています。
これを、どう受け止めて良いのかがわからない十歳の私。
すると、レオから離されるように、後ろから抱き上げられました。
振り返ってみると、フリードリヒお兄様と目が合います。
「さて、セシルは行こうか。優秀な殿下がお二人、次期聖女に、今学園で一番強いと言われるヴァレリア嬢、ベルガー先生もいる。任せよう」
いつの間にかベルガー先生もいました。教室の散乱した机と椅子を修復しながら元の場所に片づけています。
その修復魔法、私もはやく教えてもらいたいです。
下を見ると、こめかみに血管を浮かせつつの朗らかな表情で、レオに見上げられていました。
視線の先は、フリードリヒお兄様です。
「貴殿は、僕に何か思うところがあるのか?」
「そうですね。妹は殿下の婚約者『候補』ですので、過度な接触はお控えください。――では」
お兄様が右手を、誰かに振った気がした。ベルガー先生が振り返り僅かに笑んで、手を振り返している。
え、ベルガー先生って、笑えるのですか!? お兄様とお知り合い?
考えていたけれど見えていた空間が、ぐにゃりと歪むとそれどこじゃなくなりました。
「何ですか」
「大丈夫だよ」
お兄様がそういうなら、そうでしょうよ。
石置場に行くときみたいな感覚を抜けると、まったく光景が変わっていました。
壁一面が大きな窓になった、硝子張りの一室。夕焼けが差し込み、明るさを補うように、ランプが灯っています。
硝子張りの窓の向こうにはよく手入れをされた庭園。部屋の中には皮の長椅子が二つと、低くて長い卓。
窓のそばに立っている人物がひとり。
「陛下、セシルを連れてまいりました」
「ああ、ありがとう」
陛下はちりん、とベルを鳴らした。静かな空間に、清廉に響く。
纏っているのは大仰な王衣ではなく、ゆったりとした装い。藤色の上衣には、金の飾り紐さえない。胸元に王家の紋章の留め金がひとつだけ。
とても私的な空間なのだろうと思った。
「久しぶりだね、挨拶はいいから、楽にして欲しい。大変だっただろうから」
フィリップ・ルシオン陛下、アレクのお父様であり、お母様のお兄様であり、私の伯父様。
挨拶を差し上げないと、と思いつつも、驚きすぎてフリードリヒお兄様に抱き着いたままでいると、陛下は笑んだ。
「フリードリヒもここにいなさい。食事を用意させたから、それまで少し話をしようか。伯父と甥姪の交流の時間としようじゃないか」
「光栄です」
お兄様は嬉しそうに言った。
王宮に良く滞在をするけれど、今まで、そんな時間を取ったことはない。
ハッ、学園の修理代の請求でもされるのだろうか。お母様の鬼の形相を想像しながら、私は床に降ろしてもらう。
「陛下、お久しぶりでございます」
私が挨拶をすると、陛下は大きく頷いた。
「ますますマルグリットに似てきた。将来が恐ろしいな」
そこは楽しみだというところでは。お母様がやらかしたことをちょっと考えてしまいます。
陛下は私たち兄妹にソファを勧めながら、思い出したように言った。
「そうだ。セシルは褒章に土地を求めていただろう。十歳になったことであるし、名義を渡さねばな」
「!!!!!」
私の耳がぴくぴくと大きく動く。今、土地、土地って言いました!?
五歳の時にレオを助けたとして求めた褒章。あれは私が狙われたと教えられたのですが、それは陛下の耳には入れたくない事実。
頂けるものは、いただきますので!
「土地を譲る書類を交わそう」
全く忘れていなかったこと、第一位、褒章の土地。
やっと手に入るらしいです。
キタキタキタキターーーーーーーーーー!
心の中で私は、ついつい三十路バージョンで叫んでいた。




