58 悪意の突風
昨日の戦いから一夜明けた。
何事も無く放課後になり、土魔法クラブに顔をだそうかしら……と思ったとき、ドアがスパーン! と開きました。
「セシル様! お迎えに参りました。昨日の戦いは見事でした。今度は私が勝ちますわよ!」
「リア様」
教室に現れたリアにざわつく教室。
そう、宣言通り、ヴァレリア・クロイツこと、リアは本当に私と放課後を過ごすことを、決めてくれたらしい。
まさか、本当に、公爵家令嬢が伯爵家の私を守ってくれるとは……。
人の視線より、公爵家令嬢に守ってもらうことに、あれ……、胃がシクシクと。
お父様とお母様に手紙を書かなくては……。
昨日、私たちが対戦をしたことは知られておりましたが、勝者はリアだとされていました。
けれど、リアが迎えに来て「今度は勝つ」と言った。このことは学園に駆け巡り、明日が大変になるかもしれません。目立ちたくありませんのに……。
そのまま教室を出てリアと廊下を歩いていると、悪意が飛んできました。
土属性の癖に。
リアがいるのに、と深くて重いため息を、私は飲み込んだ。
土属性が、いったい何だというのでしょう。本当に驚いてしまう。
私はコソコソしませんので、しっかり声がした方向を見ました。
男女合わせた上級生五名が、何人か固まっていました。
私、入学したばかりの、下級生ですよ?
おひとりでは何もできませんのね、と笑顔だけでお返事することは忘れない。
笑顔でも殴ることができますからね。
皆さま、目を逸らしたり、鬼のような形相で睨んできたり、顔を赤らめて口をぽかんと開けたり、反応はそれぞれ。
そんな私を見ていたリアに、くすくすと笑われてしまう。
「ああいう人たちの神経を逆なでするのが好きなの、わかりますわ」
気が合いそうで良かったです。
さて、私がベルガー先生に無理やり入会させられた攻撃魔法クラブですが、リア曰く、本来は魔力量が多くて発散場所が無い生徒のためのものだそう。
勉強も上位に食い込むことで、学校側に修練場を練習に使わせてもらっているそうです。
エリートのみが入れると言われる所以ですね。
……天才のチートも鶏につけてもらえば良かった。
「リア様」
私はあまり腹の中にいろいろ抱えていられない質なので、歩きながらリアに尋ねました。
「何でしょうか」
夕焼けを受けた赤い髪が艶やかに光って本当に美しい。そんなにノーテル家に売り込み婚活をしなくても大丈夫じゃないかと思うくらい、美しい。
申し訳ないけれどお兄様の縁談は、家同士が決めるもの。私にできることは限られている。
「あの……。お兄様の婚約は、両親が決めることなのです。私ができることは、とても少なくて」
「セシル様って……」
リアは目を大きく開いた後、にっこりと微笑んだ。
「気持ちの良い方ね。貴族で裏表がない方、珍しくてよ」
これ、褒められていると信じよう。
「ノーテル家って縁談を断ることで有名なのよ。ご令息、ご令嬢、共に丁重にお断りするの。だから、セシル様から私を知ってもらえるように、伯爵と伯爵夫人にお話をしていただけるとありがたいの」
縁談を断る。それは、知らなかった。
その昔、私の縁談を決めようとしていたけれど。
レオの婚約者候補の書類にはサインをしていたけれど。
うーん、お父様とお母様の考えていることはわからない。
「それに、私、レオンハルト殿下が好きではないのですよね」
「……」
レオのどんどん見目麗しくなる容貌に心が動かないとは。
リアは苦虫を嚙みつぶしたような、苦々しい表情で答えました。
「レオンハルト殿下は、二人の時とても無愛想で腹が立つのですわ。あの、婚約者候補との交流のための昼食の時間が嫌なのは、自分だけだという勘違いが、本当に、嫌。私だって嫌なのです」
めちゃくちゃ、嫌がられている……!
わ、私も最初はなんて会話ができない人だろうと思うこと多々ありました!
ポーションの種をくれないとか、いじわるもされました!
でも、レオは使用人にも丁寧に接しますし、彼こそ裏表がないと思う。
複雑な気持ちを抱えつつ、私はまた尋ねた。
「……その、お兄様なら誰でもいいのでしょうか」
「……」
リアが一瞬、立ち止まりかけた。動揺が歩きに出てしまったよう。
息を吸うと、また歩きはじめる。
「皆様に、失礼な話ですわね」
「エミールお兄様は、同じ学年ですよね?」
「……ええ」
リアは寂しさを湛えた、苦笑を浮かべる。
「とても冷静で、お優しい方です」
「では、エミールお兄様と、たくさんお話をされてみては」
自由恋愛の両親なので、もしかすると、もしかするかもです。
すると、リアは笑みを潜めて、影を落とすように俯いた。
「レオンハルト殿下の婚約者候補である私が、殿下のご学友とされているエミール様と親しくするのは、さすがによくありませんので……」
ちゃ、ちゃんと空気が読める方だったのですね……。
こんな良い方、お母様、大好きだと思います。
私もお姉さまとお呼びしたい……。
頭の中がいろんなことをこねくり回し始めます。
月曜日、ランチ、個室、一緒、来週、塩結び。
あ! 来週月曜日は、学食、塩結びの日! 結びの日!
「リア様、月曜日、皆で、絶対に、昼食を取りましょうね!」
私はリアの目を見つめて、にっこりと笑んだ。リアの表情が柔らかく緩んでいく。
エミールお兄様も呼んで、皆で食事会にすれば良いのです。
「セシル様、……本当に気持ちの良い方ですね」
そうですか? と聞き流しながら、人数変更の連絡は誰にすればいいのだろうか……と考えてしまいます。そもそも学食にある個室の収容人数って何人なのでしょう。
こういう時、断りなく三十路の私がぬっと出てくる。
昼食会参加者の顔を思い浮かべていた時だった。
そばの教室から突風が吹いた。近くにいた生徒たちが転んだりして、叫び声が上がる。
「学園内で……魔法?」
リアが信じられないものを見るように、転んだ学生を見た。
転んだ子を助け起こしにいきたくても、風はどんどん強くなって立っていられない。
身体を持っていかれるような強風が、突然、私に襲うように吹いた。
「……あっ」
巨人の手のような風の壁に、身体が押される感覚に足元が浮く。
「……っ!」
「セシル様!」
リアが叫んだ。
身体が窓枠を越える前に、私はどうにか枠に掴まって耐える。
学園内で生活魔法以外が禁止されているのは、こういう時、本当に困る。
今、風の壁でした。それならば、土壁の一枚でも出せれば、対抗できるのに。
窓の向こう側に見えるのは、大きな噴水。
なるほど、あそこに落とす気ですか、と冷静に思った。
水浸しになるだけなら、まぁ、髪も乾かせば。
……制服の替えが、何枚かいりますわね。
とにかく、リアが巻き込まれないといい。
これ以上、生徒の皆様に被害が及んではいけない。
ロザリアもいなくてよかった。自分を犠牲にしてしまうので。
おじさまは安全を第一にと言いますが、こういった場合の安全は何でしょう。
レオが、また心配をしてしまう。
風の強さに耐えかねて、白くなった指先に力が入らなくなっていく。
とりあえず、飛ばされますか……。
「セシル様!」
リアが諦めた私の身体を抱きしめ、窓枠下の壁に両足を付け踏ん張り堪えてくれた。
けれど苦しそうだ。
公爵令嬢に、怪我をさせるわけにはいかないのです!
「離してくださいまし!」
「嫌です!」
このままでは、リアまで噴水に落とされてしまう。
どこのどなたか存じ上げませんが、ちょっと悪戯の範疇を越えましたわよ!
怒ったその時――。
「ごめんね、遅くなった」
窓枠に着地するように現れたのは、レオだった。びっくりしたけれど、名を呼んでいた。
「レオ」
澄んだ深い蒼、金色の光が煌めく瞳と、目が合った。安心させるような優しい色が滲んでいる。
濃い茶色の髪が風に吹かれて、形のいい額が見える。眉間に刻まれた、皺は深かった。
「怖かったね」
「……はい」
湧き上がる安堵に、窓枠に引っかけていた指先から力が抜けた。
レオは窓から飛ばされそうになった私を体で受け止めてから、ポケットから人差し指ほどの長さの刃物を出した。
「みんな、落ち着いて、頭を下げて、何かに身体を預けて。大丈夫、助けるから」
生徒に良く響くのに優しい声で叫んだ。生徒の顔に、泣きそうな希望が走った。
風に押された私が、レオの身体に体当たり状態ですのに、レオの何たる余裕よ。
「今から魔法を止めるから、少し変な感じがすると思う。けれど、慌てないで、その場にいてね」
レオは皆にそう言うと、刃物……サバイバルナイフ? で文字通り風を切る。
びっくりした顔をした私に、にこりと笑んだ。
「あ、これ魔道具だから、心配しないで」
驚くほどピタリ、とあんなに強かった風が止んだ。
「セシル様!」
リアはレオがしっかり守ってくれていた私を、窓枠から廊下に下ろしてくれる。
私たちはずるずると廊下に座り込むと、レオは窓枠から廊下に着地した。
「みんな、大丈夫?」
レオは、廊下にいるとくに転んでいる生徒に駆け寄る。
私も……と立ち上がろうとすると、リアがぎゅっと私を抱きしめてきた。
やわらかい……。
「これは、許されないことです」
私の髪に顔を埋めるリアの声が震えています。
怖がらせてしまったようで、申し訳ないです。
「ここは、学園であって、修練場ではないのですから」
そう、学園内で属性の魔法を使うこと自体が、重い違反。
それを承知で、誰かが私に風をぶつけた。明確な、ルール違反です!
「巻き込んで申し訳ありません。リアに、怪我はないですか?」
「ありません。生徒たちにも、今のところは、見当たりません」
そう尋ねると、リアに更に力強く抱きしめられた。く、苦しい……。
リアは、私を強く抱きしめつつ、生徒に無事を確認するレオを見ながら、無事な子に先生を呼ぶようにお願いをしている。
仕切り慣れています。
そんなリアのそばに膝を付いたレオが彼女に話しかけた。
なぜか左手は私の背中を撫でてくれているけれど。
「シリィを守ってくれてありがとう。この魔道具を渡しておく。魔力を文字通り切れるから、学園内で役に立つはず。――お願いしてもいいかな」
「……も、もちろんです。確かに、お預かりしました」
リアが恭しく、その、サバイバルナイフみたいなのを受け取った。
それ、私が欲しいのですが……。
リアが私から離れ、怪我が無いかを確認したあと、そのナイフをさっと検分した。
それから私に断りを入れて立ち上がると、生徒一人一人に声を掛け始めた。
なんだか、王子妃の素質を感じます。
私も……と立ち上がろうとした私を、今度はレオが私を軽く抱きしめてきました。
「!!!」
男女の抱擁は、だめ! とレオの胸を押そうとしますが、びくともしません。
案の定、きゃぁ! みたいな黄色い声が上がります。
「ここ学園、学園、ここは学園です……」
「ん。そうなんだ、学園なんだ。だから、許せないなぁ」
レオが私の髪に頬を擦り付けました。
今度は、きゃ―っ! と真っ黄色な声が上がった。
ああ、恥ずかしい……。もう風のこととかあっちの方へいきそうです……。
私はお米と卵を大事にしたいだけの、生存したい、追放予定モブ伯爵令嬢。
最近、悪目立ちが過ぎるようです。




