番外編:保護者説明会(エミール視点)
本日2回目の更新です。
その日、僕――エミール・ノーテルは、生まれて初めて背筋を凍らせていた。
魔法学園の大会議室。
飛来した剣が生徒を傷つけかけた数日後、修練場にいた生徒に飛来した長剣の一件を受け、緊急の保護者説明会が開かれることになった。
レオンハルト殿下は、妹のセシルを狙っていたと言った。
正確には、王太子殿下を狙っていたかもしれないが。
あの場に居合わせた生徒の保護者が、ずらりと一堂に会している。
物々しい空気だ。
王家の紋章。公爵家、侯爵家、並みいる大貴族。
誰もが緊張の面持ちで、陛下や殿下が座る上座を気にしている。
その上座、陛下と並ぶような形で、なぜか、我が伯爵家もいた。
アルフォンス・ノーテル。
我が父にして、竜殺しの英雄の血を継ぐ、脳筋の中の脳筋。燃えるような赤い髪。金と碧のオッドアイ。旅装ではなく正装に身を包んでいるのに、纏う気配は完全に戦場のそれ。
父が剣を杖のようにして立て柄に両手を置き、殺気を撒いている。父はいつもそうだ。セシルが関わると、特にそうだ。
学園は帯刀禁止なのだが、「生徒を守れない学校に、剣を持ち込むなと?」という圧力で認めさせた。
僕も含め、兄弟全員、セシルを守らないといけないという、強迫観念のようなものがある。
今回、本当にこれは深刻だと思ったのは、父の横にお母様がいることだった。
マルグリット・ノーテル。降嫁した元王女。僕たちの母。
そして――五年、いや、もっと長い間、屋敷から一歩も出ない人。
社交シーズンにも王都に行かず、セシルの学園入学にも付き添わず、ずっとカントリーハウスにいた人。
その、お母様が、屋敷を出ている。
僕の背筋にずっと冷たいものが、駆けめぐっている。
父が暴れるのには、慣れている。だが、お母様が動くのは――違う。
「エミール、そんなに固くならないの」
僕の緊張を見透かしたように、お母様が扇の陰で、上品に微笑まれた。
眩しいほどに美しいのに、なぜだろう、逃げ出したい。
「……お母様は、どうして、こちらに」
「ロザリアの保護責任者でもありますからね。あの子も、あの場にいたのですよ」
そうだった。聖女候補のロザリアの親代わりは、我がノーテル家だ。
つまりお母様は、セシルの母として、そしてロザリアの親代わりとして、二重の資格でここにいる。
……理屈は、通っている。通っているのだが。
「それに、セシルをこの場に連れてこないようにする根回しが必要でしたから」
お母様は、ちらりと父を見た。
殺気を撒き散らし、周囲の保護者を軒並み青ざめさせている、我らが父を。
「あの子がこの場にいたら、お父様は、もっと野生に近づきますので」
「……」
否定できなかった。
父はセシルが視界に入ると知能が半分になる。半分以下かもしれない。ノーテル家の周知の事実だ。
だからお母様は、学校側に手を回しセシルをこの場に呼ばないよう、あらかじめ手配したのだろう。
……手回しが、完璧すぎる。実際、ノーテル家の全てを掌の上で転がしているのはお母様だ。
僕が戦慄している間にも、説明会は始まっていた。
学園長と、ベルガー先生が、事件の調査結果を説明している。
僕は、姿勢を正した。
僕は水魔法属性で、得意なことがある。魔法調律。目に見えない音が視える。
物が高速で空を裂くと、大気に含まれた水分が、その道筋に沿って、かすかに乱れる。目には見えない。風使いにも、感じ取れない。だが、水を読む僕には――剣の通った跡が、視えるのだ。
あの日の剣の弾道について、僕なりに分析したことがある。
ここで、共有してもいいだろうか。
「発言を、よろしいでしょうか」
僕は手を挙げた。途端に、学園長やベルガー先生を、父が威圧しはじめた。
発言させないことを許さないという、圧。
「良いに決まっている。話しなさい」
父が僕に向かって頷いた。
焦りつつ、僕は立ち上がった。
「途中まで、先生と同じです。――剣の飛来した軌道を逆算しました。発射地点は、第三演習棟の屋上、南西の角。角度と初速から、ほぼ間違いありません。ですが――その地点には誰もいなかった。目撃者も足跡もない。不思議なのは、剣にも、発射地点にも、魔力の痕跡が一切残っていないことです。魔法で射出したなら、痕跡が残る。人力で投げたにしては、初速が異常に速い。つまり、これは――」
ここまでは先生と同じ。僕がさらに続けようとすると、父が口を開いた。
「――どこのどいつだ」
ズン、と。空気が、重くなった。父だ。
「その、第三演習棟の屋上、南西の角にいた奴を連れてこい」
「お父様。ですから、その地点には、誰も」
「いないわけがないだろう。剣が、ひとりでに飛ぶか」
「魔力痕跡がないので、そこで……」
「わかっていることは明白だ。犯人は、この学園の中にいる。そうだろう?」
父の金と碧の目が、ぎらりと会議室を横目で睨みつけた。
保護者たちが、一斉に息を呑む。
……聞いていない。
父が一番、僕の話を遮っている。
水魔法の粋を超えて、弾道を割り出したのに、父の中では「犯人はどこだ」の一点しかない。
脳筋は、ここまで脳筋になれるものらしい。
「セシルが、あと少しで、死んでいたかもしれんのだぞ」
重い口調で父が言った。それには、僕も口をつぐむしかない。
実際、あの剣は、殿下が弾かなければ、危なかったのだ。
「我が娘は、この件を報告してこなかった。何もだ。何事も無かったかのように、学園生活を送っている。我が娘は、少し、そういうところがある」
お父様は、困った娘だとばかりに首を横に振る。
お母様は、「お父様に似ましたから」と、僕と一緒のことを思ったはず。
「もし。もしもだ」
父の声が、地の底から響くように、低くなった。
「セシルが、俺に泣きついてきたら」
会議室の温度が、体感で三度下がった。
「俺は、この学園を、灰にする。犯人ごと、灰だ。どうせ中にいるのだろう。ならば、まとめて、消す」
脳筋の暴論だ。ただ、本気でそう思っているし、できてしまう。
僕は青ざめて、止めてくださいと、隣に座るお母様を見た。
お母様は、本当に美しくにっこりと微笑した。
「大丈夫よ、エミール」
優しい声だった。心底、安心させるような。
「お父様は、灰にする前に、必ず一時間は、殺気を飛ばしますから。予告のようなものね。ですから、学園の皆様も、その一時間のうちにお逃げになれば、命は助かりますわ」
……理解するのに、たっぷり三秒かかった。
この人は、父が学園を灰にすること自体を止める気はないのだ。
止めないどころか、灰にする前提で、避難時間の案内をしている。
というか、一時間もあれば、犯人も逃げるのでは……?
不安で青ざめる周囲の保護者に向かって、にこやかに、「逃げる暇はありますよ」と美しい声で言った。
「お、お母様……その……」
「あら。逃げる時間を差し上げるなんて、お父様はお優しいでしょう?」
優しさの基準が、根本から狂っている。僕は天井を見上げてしまった。
これは、お母様も、相当にお怒りだ。
そして僕は、今更ながら、思い出してしまった。
お母様が、どこの生まれか、を。
――先々代王の、末の王女。つまり、現国王陛下の、実の妹なのだ。
僕は、恐る恐る、上座の別の一角を見た。
そこには、事態を重く見て自ら足を運ばれた、国王陛下がいらっしゃる。
いつもながらの、穏やかで理知的なお顔で、暴走しかけている王太子殿下を、宥めておられる。
「レオンハルト。落ち着きなさい。お前が滅ぼしては、元も子もない」
「陛下。ですが、セシル・ノーテルが狙われたのです。犯人をこの手で消さなければ」
「気持ちはわかる。わかるが、まず、深呼吸だ」
「兄上。ここは、堪えましょう。犯人を挙げるのが先です」
「陛下、フェイ・ドラゴンはどうなりますか。国家の一大事です」
「ふむ、そうだな……。まだ未知数だからな……」
「アレク、お前の研究はシリィがいてこそだろう。どうするんだ」
「……確かに」
陛下と、その隣で懸命に殿下を宥めているアレクシス殿下。
健気にあの兄君を、言葉だけで押しとどめていたのに、言いくるめられている。
僕は、気づいてしまった。
あの、レオンハルト殿下を宥めておられる、理知的な陛下。
けれど、お母様の実の兄。つまり――お母様と、同じ血。
この会議室に、血筋の面で本当に安全な大人は、一人もいないのではないか。
僕は、そっと、会議室を見渡した。
殺気を撒く父。殺気での避難案内をする母。滅ぼす気の王太子。フェイ・ドラゴンの話を出され、国家危機だと言い始めた血筋が母と同じ陛下。
……セシル。お前は、いったい、どれだけの危険な人物に守られているのだ。
セシルがこの場にいなくて、本当に、よかった。
ここで妹が「怖かった」の一言でも漏らせば、この学園は、一時間後には更地だ。
結局――。
説明会は、犯人不明のまま、皆の暴走をなんとか収めることでお開きとなった。
結局、何も解決していない。犯人も、分からずじまい。
僕の弾道解析だけが、虚しく宙に浮いている。
両親を見送り、げっそりと疲れ果てて大会議室を出ようとしたとき、視界の端に、ベルガー先生が映った。
生徒指導部の、あの銀縁眼鏡の先生。感情を見せない、氷のような人。
壁際で額に浮いた汗をハンカチで拭っていた。
我が父の殺気に、当てられたのだろうか。
僕は、先生に話しかけていた。
「先生、父が大変失礼をして、申し訳ありません」
「ああ、エミールか」
ベルガー先生は僕には普通に接してくれる。
いろいろ意見はあるが、生徒のことを考えているいい先生であること、僕は知っている。
「あの、お疲れな所恐れ入りますが、剣のことで、気づいたことが」
「ああ、途中で父上に遮られていたな」
先生は同情を表情に浮かべてくれたあと、大会議室に戻って話を聞いてくれた。
「剣は、この一点で、角度を変えているんです。何もない空中で。……ですが、魔力の痕跡がない。ではなぜ曲がったか」
僕は、証拠品として並べられていた剣の僅かな傷を指した。
「剣の側面に、真新しい傷があります。ここです。硬いものが、高速で横から当たった痕ではないでしょうか。――昨日、修練場へ行ったのです。そうしたら、石に混じって、これが落ちていた。犯人も、回収は難しかったのでしょう」
小さな、六角錐の、蒼の宝石。
「この宝石の魔力波と、剣に残った波が、同じなのです」
「そういえば、お前はこういうのが得意だったな」
ベルガー先生は、前のめりで真剣に聞いてくれる。
「魔法ではなく、物です。誰かが、この宝石を、横合いから剣にぶつけた。剣は弾かれて軌道を変えた。魔力を使っていないから、痕跡は残らない。……つまり犯人は、魔力を追う捜査を、はなから見越している。屋上の発射地点は、幻です。撃った人間は、全く別の場所から、この石を――」
そこまで言って、僕は、口をつぐんだ。
わからないのだ。その先が。
魔力も使わず、人の腕でもない速度で、宝石を撃ち出す方法。
そんなものが、この世に、あるのか。
「……すみません。ここから先が、どうしても、わからなくて」
僕が肩を落とすと、ベルガー先生は、しばらく宝石を眺めていた。
「つまり、発射場所の軌道の調査も操れるくらいに、完璧な操作ということか」
それから、僕の頭に、ぽん、と手を置いた。
「よくやった。ここまで割り出せるやつは、そういない。……あとは、大人に任せろ」
珍しく、優しい声だった。
ほっとして顔を上げると――先生は額の汗を、もう一度、拭った。
「……セシル・ノーテルは、何かあったとき親に泣きつく前に、自分で片をつけようとするか?」
「はい。どちらかというと、自分で白黒つけたがるので……」
「そうか。……いや。それで、いい。それが、いい」
先生はなぜか、心底安堵したように、息を吐いた。
「それに、米があれば。あと土魔法の研究ができれば、何も言いませんよ」
「コメ? 土魔法……」
先生はありがとうといって、ねぎらってくれた。
今日はもう、とても疲れた。
僕は先生に礼をしてから、会議室を後にした。
早く帰って、セシルの顔でも見よう。
たぶん、セシルは犯人を自分で突き止めそうだ。
泣きつきもせず、たった一人で、静かに犯人を追い詰めるのは、あの子自身なのかもしれない。
「どこか、悪運が強いからな……」
僕は、なぜか、少しだけ犯人に同情してしまった。




