51.顧問の先生
私は放課後、土魔法クラブの開設届を手に、ひとり目的地へと向かっていました。
校舎内であろうとも、ひとりで歩くなと散々言われているので、ちょっとは気にはしていますよ。
ちょっとだけど。
クラブ開設届ですが……。
顧問の先生は必ず記入って書いてあるのに、未記入なことが、目を通した時から不思議でならないのです。
凡ミスとか、目が滑るとか、よくあることですが、あれだけの熱量があって間違えるとかあるのでしょうか……。
私は頭をひねりました。ひとりで歩きながら。
そのせいで、すれ違いざま、男子生徒と接触しそうになりました。
彼、赤らめた顔で私を凝視してきます。怒らせたのかもしれません。
私はすぐに謝ります。
平和主義であることは、しっかりとアピールしていかなくては!
「申し訳ありません。考え事をしておりました。気を付けますわ」
「いえ、いえ、あ、いえ……」
男子生徒はもにょもにょ何かを言いながら、そそくさとその場を離れてしまいました。
そんなに驚かせたのなら、申し訳なかったです。
そうして辿り着いた、教員棟の一番奥にある先生の研究室の前。
あの、コロシアムまがいの修練場に私を放り込み、S級用の土蜘蛛と戦わせた、銀縁眼鏡の先生の研究室です。
優秀な先生には、研究も込みで校舎内に部屋をもらえるらしく……。
扉には、飾り気のない木のプレート。
私はごくりと唾を飲み込み、ノックをした。
「ベルガー先生。セシル・ノーテルです」
品よく名乗りましたが、心の中では「頼もーーう!!」と叫んでいました。
私の顔がにやりと歪みます。
これは、引き受けないとは言わせない、という私の覚悟の表情。
ベルガー先生の、オールバックに撫でつけた銀髪。細身で長身。感情の読めない、セバスチャンを思い出させる佇まい。
できれば二度とお会いしたくない、というのが本音。
なのに、私のクラスの担任の先生で、毎朝毎夕会う関係となりました。
人生、ままならないものですね……。
「ご相談したいことがあり、参りました」
「入れ」
抑揚のない声が返ってくる。
戦いのゴングがカーンと頭の中で鳴り響きました。
勝ち鬨をあげるぞと、私の背筋が伸びる。
「失礼します」
中に入ると、ベルガー先生は書類の山に埋もれるようにして、机に向かっていました。
壁一面が本と巻物で埋まっているだけでなくて、魔法陣の走り書きがあちこちに貼られています。
何をする魔方陣なのかしら……と、吸い寄せられそうになる足を、私は気合で止めました。
勝手に歩き回ったら、たぶん魔法で外に追い出されます。我慢です。
先生は顔も上げずに、ペンを走らせたまま言った。
「用件は」
愛想が無さすぎて、もう清々しい。
私は先生が目を落としている書類のちょっと上に、クラブ開設届をそっと置いた。
「土魔法クラブを設立いたしました」
「お前が?」
「違います。フリッツ・ハルダーさん」
「新入生、下位クラスだな」
生徒の名前とクラスを記憶している……?
私が心の中でびっくりしていると、面倒くさそうに「で、なんだ」と続ける。
「それで、顧問の先生が決まらず、開設許可が保留となっております。私も入部を希望しておりまして……。つきましては、ベルガー先生に顧問を――」
「いいぞ」
「――もう先生しか頼む人がいないと……え?」
今、いいぞ、と仰いました?
私は先生勧誘トークのため大きく吸い込んだ息を、間抜けに止めた。
断られたときの粘り方も、代替案も、涙目の作り方まで、全部用意してきたのに!
私は口角を情けなく下げてしまう。
お父様に修練場での理不尽なテストを夜な夜な思い出して夜も眠れないと訴えますわよ、とか(毎日爆睡ですけれども)。
お母様に飛んできた剣が殿下たちを傷つけるかもと怖かったと泣きつきますわよ、とか(狙われたのは私みたいですけれども)。
お父様とお母様に訴えるという脅ししか思い浮かばなかったのは、十歳の限界。
悔しいけれど、効果絶大なものをいくつか!
「……では、サインをお願いできますか?」
「ああ」
気が変わらない内に、頂けるサインは頂いておくのは大人の常識。
サラサラと名前を書いたのは、先生。
わ、本当に書きましたわ……と驚いたのは、私。
先生はペンを置いて、顔を上げた。
銀縁の奥の目が、まっすぐ私を見る。
「なんだ、俺がサインをしなければ、親に泣きつくつもりだったか」
「……」
バレておりますね……。やっぱり、この先生は怖い人のようです。
私が無言で認めると、先生はとんでもなく苦い顔で笑った。
それから書いた証拠とばかりに、私へ書類を手渡した。
神経質そうな、それでいてきれいな字。
サインをしてくれたのは事実で、ということは、頼れる大人であることに変わりない。
「土魔法の立場を知るには良いクラブだろう」
「え」
ぼそっと不穏なことを言った後、私に尋ねる間を与えずにそのまま喋り続けた。
ただ、ベルガー先生の声は一段低くなった。
何でしょう、嫌な予感がします。
「私はもうひとつ、攻撃魔法クラブの顧問もしている。現在六名。全員が、類まれな魔法のセンス、または魔力量を持っている。S級、またはSS級の練習用魔獣を倒せる奴らだ。将来は……騎士団所属になるだろう」
「へぇ、将来がもう決まっておりますのね」
私の表情が少し曇ったのは、魔獣災害の時に前線に駆り出される人員だろうと察したからだ。
あの鶏が変な未来を教えてきたせいで、私は本当にときどきメランコリックになります。
先生は書類の重なった山から、器用に魔法で一枚の紙を取り出した。
ふわふわと飛んできて、私の手の中に収まる。
次はペンもふわふわと飛んできた。
ペン? と首を傾げると、ベルガー先生は言った。
「お前も入れ」
「……忙しいです」
私は真顔で断っていた。
先生と目線が合い、火花が散る。
長期休みには米づくりに屋敷へ帰ります。
アレクとのゴーレム遊びは隠れた場所でしないといけないので、休日はわざわざ王宮へ戻らねばなりません。
ついでに、冬には祭りでおかゆをスープとして売ろうとしております。人を雇うとかいろいろと準備が。
もっと言えば土魔法クラブ設立をお願いにきて、なぜに他のクラブに入らなければならないのでしょう。
「攻撃魔法クラブで問われるのは実力だけだ。あとノーテル、お前はまず、土魔法の現実を知った方が良い。とりあえず入部届は書け。じゃないと、開設届は燃やす」
「燃やす?」
言った瞬間、私が手に持っていた、先生がサインしてくれた開設届が熱くない炎で燃えました。
「も、燃えましたわ! でも、熱くないです!」
熱くない火で紙が燃えるところを見た感動と、サインをもらった開設届がなくなったことへの混乱と。
私は泣き笑いで先生を問い詰めます。
「本当に燃やすとか、先生としてあるまじき行為ですわ……。だいたい、あのテストも、テストのテストも理不尽ですのよ!」
「まず、入部届を書け」
先生はうるさいとばかりに、手を振った。
すると魔法だろうか、私の右手からペンが離れなくなりました!
「先生って、本当に先生ですの!?」
「じゃないと、教壇に立っていないだろう」
「先生!」
「ほら、書け」
信じられません!
でも、手を幾ら振ってもペンが手から離れません。
「諦めろ」
いつか、お父様に言いつけてやりますからね。
虎の威を借る狐思考で、私は泣く泣く入部届を出しました。
また、お米と向き合う時間が減らされていく……。
土魔法は、不遇の魔法。
それは何度も聞いた話。
私も最初『土魔法だから』と卑屈な心が残っていました。
私の婚約者を探すためにお兄様達がわざわざ屋敷に戻ってきたのも、この『不遇』さに問題があったのは薄々気づいていました。
ただ……。
私は追放予定モブ令嬢であると、自分を知っているのです。
土魔法だろうが何だろうが、追放後も生き残る知恵と勇気が必要なのです。
だから足掻いているのですが。
けれど、もし。
けれど、もし、そんな未来を知らなかったらどうなっていたのか。
それを、ちょっとわかる出来事に遭遇するとは、思いもしませんでした。
ロザリアから「土魔法クラブ、開設されました」と報告を受けたのは午後。
夕方、廊下を歩いてくると、向かいから見覚えのある人がやってきました。
廊下にコンタクトレンズでも落としたのかと勘ぐるような下を向いた姿勢で歩いていたのは、そう、フリッツ・ハルダー。
私は、廊下で呼び止めました。
土魔法クラブ開設できましたよ、の報告をしたのです。
すると彼は肩を震わせ……。
聞き取れないくらいの小さな声で、息もせずに話し始めたのです。
「俺、男爵家で、属性診断で土魔法だとわかった瞬間、父に殴られ母は泣きました。兄は火魔法だから、派手でかっこいい。父は俺を無視し始めて、いつも兄の話ばかり。俺が魔法の練習をしていても、『土いじりか』って、笑うんです。……いえ、笑ってくれるだけ、まだ良かったのかもしれません。親戚が集まる日は、俺だけ、いないものみたいに扱われて。『土魔法が出るとは困ったものだ』って、聞こえるように言われて。俺のせいで、家の格が下がったと言われました。それでも、学園に入れば、変わると思ったんです。実力で評価される場所だって。入学初日のクラス分けのテストで、俺は下から二番目の棟でした。俺、勉強もできないんだって落ち込みました。円環の間を通るたびに、思い知らされるんです。俺の棟は、一番遠い。毎朝、毎朝、遠い棟まで歩くたびに、お前は下だって、校舎そのものに言われてるみたいで。勉強もできなくて、土魔法でもばかにされて。でも、ノーテルさんの戦いを見て俺、初めて、この属性を、恥ずかしくないって……っ。あなたの存在が、俺の、希望なんです……! ノーテルさんみたいにきれいな人と話せるのも、土魔法のおかげだと思ったら、なんだか……なんだか……」
フリッツが頬を赤らめ始め……私は途中から話が見えなくなりました。
土魔法クラブって、土魔法愚痴クラブ……?
でも、私は土魔法なんて! とこじらせたら、こうなっていた……?
私がどうしようかと途中から天井を向くと、上から覗いてくる顔がありました。
「んなっ」
私の可愛くない漏れた声に、にっこりと微笑んでくる、怒っているレオの顔。
「なぜ、ひとりで行動しているの?」
ビクッと固まるフリッツと、私。
レオは私の背中から鎖骨辺りに腕を回し、引き寄せました。
私の背が、レオとぴったりとくっつきます。
圧を感じます。動いたら、もっと拘束するとばかりの圧を……。
「それに、どうして男子生徒と二人で話をしているの?」
「彼が、土魔法クラブの発起人で……」
「ああ、彼がね。僕も入部届を出しているから、よろしくね」
レオが、フリッツに向かってそう言いました。
とても、優しい声で。
なのに。
さっきまで頬を赤らめて、なんだか、なんだか、と口ごもっていたフリッツが、ぴたりと止まりました。
見る間に、顔から色が引いていきます。
赤かった頬が、みるみる青くなって。
あら? どうしたのでしょう。
レオは私の後ろにいるので、表情は見えません。
怖くて、振り返ようとも思わないけれど。
ただ、レオは「よろしくね」と、とても優しい声で言っただけのはず。
なのに、フリッツは石像みたいに固まったかと思うと、「し、失礼します!」と裏返った声で叫んで、脱兎のごとく廊下を駆けていってしまいました。
「廊下は走ってはいけませんわ!」
私がフリッツの背中に叫ぶと、レオの腕に力がこもりました。
「先生に見つかって捕まって、怒られたらいいんだよ。痛い目に遭わないと、人は学習しないからね」
「……」
闇レオ登場……。
土魔法クラブ、話がややこしくなりそうです……。




