49. 塩結びの問題
角を曲がったその時、生徒会室の扉が開いた。
レオに塩結びを渡せる、と私の表情が明るくなりました。
けれど、そこにいたのはエミールお兄様。
私の急いていた足が、ぴたりと止まる。
な、なんという、ことでしょう。
エミールお兄様は、レオと生徒会室に残りました。
私は生徒会室に戻ります。
さて、塩結びはいくつ必要でしょうか!
私は立ち止まったまま、手の中にあるおにぎりを見つめました。
………………なんという、簡単な算数の問題。
私の手には、布に包んだ塩結びがふたつ。
私と、レオの分。
いつ、どこでとは覚えていませんが、魂に刻み込まれています。
余裕を持っての、備えが肝要だと。
私はぐっと奥歯を噛みしめました。
脳筋とは、このこと!
お父様の子だから、しょうがないとして、もう否定できない!
視線に気づいたエミールお兄様と目があった。
眉間にわずかに皺を寄せた後、しょうがないといったようなため息を吐く。
「セシル。戻ってきたのかい。一人で? あまり、一人で行動をするのは控えてくれないか。この間も話しただろう?」
「ごめんなさい……」
素直に謝ったからか、エミールお兄様が驚いたように瞬きをした。
ごめんなさい、お兄様。
お兄様の塩結びを忘れたこと、本当に悔やんでも悔やみきれない……。
新米の美味しさを、皆と分かち合いたい気持ちは変わりありません。
炊き立てのご飯で握った塩結びを、食べていただきたい。
それなのに、レオに渡すことばかりを考えて、お兄様のことを忘れていました。
エミールお兄様が、にっこりと微笑みながら近づいてくる。
知性を感じる、穏やかで涼やかな微笑み。
お兄様ももう十五歳。
婚約者の話が出てもおかしくないなぁと、美麗なお顔を見ながら思います。
その視線が、すすす……と私の手元の包みに落ちた。
「それは?」
「こ、これは……」
私は咄嗟に、ぱっと包みを胸に抱えた。
そして、ハッとした。この抱え方は、隠しごとをしている人のそれだ。
私はコホンと咳払いをして、にっこりと微笑みました。
「お兄様とレオに、食べていただきたくて。お二人に塩結びをお持ちしました」
お母様とクラリスに仕込まれた、礼儀正しい笑顔。
エミールお兄様は、ふむ、と包みを見て、それから私の顔を見た。
「殿下とセシルで食べるために、できたものをすぐに持ってきたんでしょう?」
「……」
「そ、そのような」
さすが、魔法の調律が得意なお兄様。観察力が細かいかもしれない。
それに引き換えこの私、言い訳がまったく出てこない。
レオならスラスラ何かを言っていそうなものですが。
「大丈夫だよ。母上から僕も米は頂いているから」
「え?」
初耳すぎて、きょとんとしてしまう。
「きっとセシルは米を送った分、全て誰かしらに振舞うだろうから、僕にも預かっていて欲しいと、手紙にあったよ。女子寮と男子寮はそれぞれ独立しているし、おいそれと出入りできないものだしね」
「……う」
行動が単純なせいか、お母様には完全に分析されていますね……。
「愛されているね、セシルは」
「お兄様だって愛されていますわよ。何でしたら、信頼付きですわ。私と違って」
これに関してはするする出てきた。
ノーテル家は、愛が深い。お父様もお母様も、惜しみなくそれを子どもたちに与えている。
お兄様はふっと笑んだ。
「レオはやっと落ち着いたよ」
エミールお兄様が、生徒会室の中にいるだろうレオを見つめる目で言った。
「一緒に食べてあげて。僕には、あらためて作って」
「お兄様」
私はとても真面目な顔で言った。
「米は炊くもので、塩結びは握るものですわ」
「……よくわからないけど、気を付けよう」
エミールお兄様は、安堵したように笑んだ。
なんで安堵? と首を捻った。
「レオンハルト王太子殿下」
コンコン、とエミールお兄様が生徒会室の扉を叩いた。
返事はない。
「セシルが入ります」
お兄様がそう付け加えた瞬間に、扉が開く。
「シリィ!」
レオから、張り詰めた気配がほどけていくのがわかった。
疲れの滲んだ瞳が、私を見た途端にやわらかく緩んでいく。
私の胸が、なぜだかチクリと痛む。
なぜ痛むのだと思いながら、私は塩結びを差し出した。
「これは?」
「先ほど、食堂で炊いていただいたお米を、塩結びにしたものです」
「シリィが?」
「はい。本当は、TKGを召し上がっていただきたかったのですが、新鮮な卵がありませんの」
「シリィ……」
私はギリィィィっと奥歯を噛んだ。
新鮮な卵を、運ぶ方法。これ! というものにまだ出会わない。
まず、道が悪い。魔法を使うと運搬費用が高くなる。味の劣化も認められた。
コストは値段に連動する。高くておいしくないものが流行るわけがない。
王都でノーテル家の卵を流通させるには、ブランドだけでは難しい。
道の整備、クッション性の高い馬車の開発、同じクオリティの緩衝材の開発……。
いろいろ、やることがあって、忙しい。
考えるだけでは、アイデアはただの机上の空論ですので。
とにかく、実践あるのみ、なのに!
学校本当に行かないといけない? ていうのが、本音です。
お母様から、すっごく怒られるので言わないですけれど。
私は塩結びをレオに掲げたまま、話し続けた。
「領地ではTKGパーティをしているかと思うと、もう済んでいるかと、納得しがたいものはあるのですが……。え、いや、でもですね。米を作ってくれた人たちにどんなおいしいものを作ったかを味わってもらうことには、何の文句も無いのです。すごいものを作ったんだぞ! って、わかってはいただきたいですから。そして、うふふ……またがんばって、うふふ……耕作地を増やすつもりなので、うふふふふふ……もっと、もっと頑張ってもらわないといけないので、食べていただくくらい全く問題ないのですわ。――でも、なんでしょうか、この、とんでもなく文句を言いたくなる気持ち」
私は眉間に皺を寄せて、口角をぐんっと下げた。
ちょっとこの話になると、令嬢外面とか、遠くの方に投げてしまいます。
新米と、新鮮卵のTKG。
収穫の時と、入学式が被るとか、本当に意地悪が過ぎます。
私が天を恨んでいると、上からも、横からも、笑い声が聞こえた。
顔を上げると、エミールお兄様だけでなく、レオも笑っている。
とても仲良しなことが伝わってきて、こちらまで嬉しくなる。
「ほら、セシルはこれですから、大丈夫でしょう?」
「そうだね、あまりにも美しく成長しているから、心配をした」
二人は、納得したように、話している。
脳筋もここまでくるとびょーきだな。
また、声が聞こえた。
でも笑顔で会話をしている二人をみて、私は安心しました。
ちょっと闇を背負いがちなレオにも、クールなエミールお兄様にも。
心を許せる友ができたのは、私には喜ばしいことです。
決して、友情的BLなんて、少っしも、思い浮かんでないですから。
……と、三十路の私が、どこかで言い訳をしていた。




