番外編:お嬢様と番になりたい(ロザリア視点)
「汚いわ……」
貧民窟にたまに、貴婦人がぞろぞろとやってきた。
彼女たちは『神殿』の『信者』で、恵まれない私たちに、『施し』をするためにくるらしい。
頬がこけ、疲れ切った様子の老婆が、生気の無い目で彼女たちを見ながら、教えてくれた。
貴婦人たちはハンカチで鼻を押さえ、早く帰りたくて仕方がないといった表情を隠さず、従者に馬車から降ろした箱を開けさせた。
そこには、ぬいぐるみや、お皿や、服や、いろいろが入っていた。一緒に、食べ物……、パンも入っていた。
群がる私たちを蔑みの目で見下ろす彼女たちの視線。
あの、目が貴族の証明だと思っていた。
貴婦人たちがまたやってきたある日、私にいつもついてくる、私より小さな子が転んだ。
少し大きな子どもに、突き飛ばされたのだ。あの箱に一目散に駆け寄って、振り向きもしない。
膝をすりむき、涙をこらえてその子のそばに私は膝を付いた。
「見せて」
スカートを膝まで捲って、血が滲む膝小僧に手を当てた。
傷が治っていく。
私はこの力で、少しの食事を得ていた。貧民窟でも生き残る術を持っていた。
誰もが私を囲いたがった。けれど、誰かがそれを防いだ。
だから、私はひとりだった。
小さな子が付いてくるのは、私のそばなら生きていけると思ったからだろう。
それでも、ひとりより良かった。
ひとりより、二人がいい。
傷が治った、とほっとしていると、影ができた。
驚くこともなく見上げると、貴婦人たちに囲まれていた。
「この子、聖女候補じゃないの」
「神官様に褒めていただけるわ」
「私たちの施しを、天が見ていたのですわ」
従者の男の腕を引っ張られた。
痛いと叫んだ。
小さな子も泣き叫んだ。
「臭いわ」
空になった箱に押し込められた。
真っ暗だった。
叫んだ。もう生きることも諦めていたのに、叫んだ。
叫び疲れた頃、箱の蓋が開いた。
「臭いな」
白い衣装をまとった年嵩の男の人たちが言った。
井戸のそばに連れていかれて、水を何度もかけられた。何度も、何度も。
それから肌を擦られ、水を掛けられた。
着替えをさせられて、また白い衣装をまとった年嵩の男の人のそばに連れていかれた。
「お前は聖女候補だ。修業に励むように」
私は、知らない内に聖女候補にされた。
〇
週に一回の奉仕の日は、私が一番働かされた。
聖女候補は序列があった。
貴族出身、お金持ちの平民、平民、越えられない壁の下に私がいた。
「貧民窟出身?」
そう言って私の施術を嫌がる人もいた。
けれど、怪我や不調を必ず治すので、渋々ながら私の施術を受ける人は徐々に増えていった。
周りの人が私に、優しくなることはそう無かった。
半地下の湿気のひどい部屋、少ししか具の無いスープ、硬いパン。
あの、貴族に向けられる目もそのまま。
食べるものと、雨風をしのげる場所がある。
それだけで十分だった。
ただ、あの小さな子は無事だろうか。それだけが心配だった。
〇
「あんた、来なさい。街へ買い出しに行くわよ」
貴族の令嬢や、お金持ちの子女は、学園に入るか、神殿に祭女として花嫁修業するか、どちらかを選ぶらしい。
その祭女たちは、花嫁修業の子だ。
「……許可なく外には出られません」
「いいから!」
神殿の決まりがある。
聖女候補は、街に出ることができる。
祭女はできない。
聖女候補と一緒なら、祭女は街にでることができる。
ただ、貧民窟出身の聖女候補である私は、実質外出禁止されていた。
でも、大人しくついていくことにしたら、あの小さな子に会えるのではないかと思ったのだ。
しかし、そんなに甘くは無かった。
彼女たちは市場の真ん中で、私を指さして叫んだ。
「あんた! お金を落としたわね!」
次に突き飛ばされた。
ただ、ついてきただけなのに、意味が分からない。
祭女たちは、買い物を頼まれたと言っていた。
けれど、その買い物が始まることなく、途中で有名だというお菓子を買って食べていた。
ああ……。
絶望で目の前が真っ暗になった。
自分たちは神殿のお金でお菓子を食べるつもりだったのだ。
祭女はお金を持つことを許されていないから。
無くなったお金は私が無くしたことにすればいいのだと。
そんな知恵を働かせたのだ。
最近は、私を指名して施術を受けに来る人も増えていた。
私にもっといい服をと寄付した人が、すり切れた服のままの私を見て首を傾げることもあった。
貧民窟出身で、人気が出てきた聖女候補。
私の罪にすれば、きっとどうにでもなると思ったのだろう。
「だから、あなたがお金を落としたのでしょう」
「買い物を頼まれたのに、何も買えないわ」
「あなた、どう責任をとるつもり?」
「ひとりで鞭で叩かれてくださいね」
たくさんの人に囲まれて、目から涙がこぼれていた。
貧民窟で生まれ育ったから、私はこうやって虐げられるのだ。
ああ、消えてしまいたい。
生まれ変わったら、雲にでもなって、漂い続けたい。
そう祈った時だった。
「ごきげんよう。わたくし、通りすがりの者ですけれども、王都の祭女は、聖女候補にこのような扱いをするのですか?」
美しい蜂蜜色の金髪、ヘーゼルナッツ色の瞳、肌は透き通るくらいに真っ白。何よりも、愛くるしい整った顔立ちに、自信に満ち溢れた表情。
大人になったらどれほど美しくなるのだろう。
きっと、とてもお金持ちか、身分が高いはず。
思わず見とれてしまった美しい子が、私と祭女の間に仁王立ちで立ちはだかった。
初めてだった。
大人でも庇ってくれないのに、その人は私と年齢は変わらない見た目なのに、一歩も引かずに祭女を言い負かしている。
涙を流しながら、見つめるしかできない私を、お嬢様は振り返った。
「あなた、泣いているだけでは、問題解決しません。犯人にされるだけですわよ」
びっくりした。誰も私を人として見てこなかったから。
初めて会った子が、私を人として扱ってくれている。
私は、勇気を振り絞った。自分は無実であることを訴えた。
もしかしたら、手のひらを反すかもしれない。そういう大人はたくさんいた。
けれど、本当に真っすぐな瞳で、お嬢様は言った。
「そう。ならば、あとは神殿にそれをお伝えして。あなたは聖女候補。この国を護る役割を担った方だから、耳を傾けてもらえるでしょう。あなた方に課せられた役割は尊い。こんなことに負けないで」
感動で声を失った次の瞬間、お嬢様の腕が燃えていた。
「お嬢様!」
けれどお嬢様は冷や汗を浮かべながら、とうとうと法を述べた。
お嬢様は身分を明かさず、法によって祭女達を諫めた。
心を、射抜かれた。
腕が燃え、臭いが立ち込める中、堂々と、法を述べたのだ。
「面白くない」
次に現れたのは、眉目秀麗な少年たちだった。
一人、お嬢様が「レオ」と呼んだ人は、怒りで我を失っているように見えた。
「――おい、そこの聖女候補。我の名において命ずる。――治せ。完全にだ」
低く、静かな、為政者の声だった。
誰かなんて聞かなくても、何となくわかった。
でもそんなことよりも……。
「言われなくても!」
私は、聖女として傷を治すことに集中した。
そして、お嬢様の土魔法の美しさを知った。
――豊穣の宴。
これは、伝説になるような、美しく強い魔力だ。
この方を守りたいと、私は心の底から願った。
傷が綺麗に治った後、レオンハルト殿下は小さく頷いた。
「よくやった」
それから私は神殿へ、殿下の配下の方に送ってもらうこととなった。
〇
神殿での私の扱いが変わった。待遇が、まったく違ったものとなった。
聖女候補を無下に扱ったことが、王家に知られた。
それは神殿が自ら弱みを握らせたということ。
おまけに、あのお嬢様が、レオンハルト王太子殿下の婚約者だったのだ。
神殿は、今までのことは水に流せと、私を暗に脅してきていた。
「あの、お嬢様にお会いできませんか」
神殿に現れたレオンハルト殿下を捕まえた。
「お前、しつこいね。なぜ、会わせないといけないんだ」
彼は私を無視していこうとしたが、一瞥した後、面倒くさそうに言った。
「ついてこい」
「はい!」
お嬢様に会えると思ってついていった広間には、そこにはいかにも軍人のような方がいた。
纏う空気が違いすぎる。
こちらを見た瞬間、私は足元から震えあがった。
畏怖の対象、その一言に尽きた。
その人は「お前が、娘が助けた聖女か」と尋ねてきた。
こくりと頷くと「お前には助けられたな」と、言って視線を戻した。
そこで、あのお嬢様の父親なのだとわかった。
なにもわからない私にも、お嬢様がとんでもなく地位の高い家柄なのだと、わかった。
こっそりと、殿下が伯爵だと教えてくれた。
「殿下」
「僕が、任されましたので」
そこには三人の祭女がガタガタと震えながら床に座り込んでいた。
三人の家族と見られる人たちと、神官長と。
家族たちも真っ青な顔をしていた。
殿下は時間が惜しいとばかりに早口で言った。
「僕はセシル・ノーテルのように、優しくない。お前たちの行動は、看過できるものではない。腐った性根は、腐ったままだ」
「悪気は無かったのです!」
悲痛な叫びを、誰かがした、瞬間――。
伯爵が鞘に入った剣を、床に打ち付けた。
それを中心に鋭い風が起き、その場にいた人たちは全員転んだ。
叫んだ男は尻もちをつく。
私が倒れなかったのは、殿下が襟首を掴んでくれたから。
扱いが雑だけれど、助けてはくれたようだ。
「悪気の無い遊びで、我が娘が腕を使えないほどの負傷を負うのか。聖女候補。傷はどうだった」
伯爵が静かに尋ねてきたので、私は答えた。
「肌は焼けただれ、真っ赤な肉が見えている状態でした。焼けただれた指はくっつき、あのままでは……」
伯爵は大声で叫んだ。
「これが、悪気の無い遊びか!」
家族たちが黙った。
「あなた達、今まではお金で解決してきたみたいだね」
レオンハルトは右手に光を纏わせた。
「この件に関しては、陛下から一任されていてね。フェイ・ドラゴンの卵の件もあるし。君たち全員、王族とノーテル家、神殿を敵に回したよ」
ひぃ、と息を呑む音がいろんなところから聞こえた。
それから、私は見てはいけないものを見せられる気がして、目を逸らした。
だが、それは許されなかった。
「おい、次期聖女。見ておけ」
殿下は、無情にも私に言った。
祭女が叫んでいた。助けてと叫んでいた。誰かにそう言われても、止めなかった彼女が、そう叫んでいる。
三人が涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしていた。
私を見て助けてと叫んだ。聖女でしょうと、すべてを許して助けなさいと。
「これからお前が通る道だ。お前は、助けても、助けなくても、恨まれ、責められる。覚えておけ」
そして、彼女たちは光に包まれ、砂になった。
本当に、真っ白な砂がこんもりとそこにあるだけ。
家族が慟哭して、駆け寄り砂をすくい上げ泣いた。
私は、ただ茫然と立っていた。
〇
ノーテル家に住むようになって、私は人として生きなおしている気がした。
ずっと気になっていた貧民窟の小さな子の話をお嬢様にしたら、すぐに探し出してくれた。
領地内の子を無くした夫婦に引き取られ、鶏舎小屋で働くことになった。
神殿はノーテル家で人を癒してはならないと言った。
けれどセシル様は領地内の神殿で、人を癒すことを許可させた。
私がいなくなって困った人たちは、領地までくれば施術が受けられるようにした。
お嬢様が月に二回王都へ行く際は、私もたまに同行して王都での施術も続けられるように手配をしてくれた。
レオンハルト殿下は、私を空気のように扱う。
セシルお嬢様にまとわりつくものは、すべて排除したいようだ。
残念。
私はセシルお嬢様と一生を添い遂げたいくらいに、人生を捧げる覚悟がある。
番となって、世界を旅してまわる。
それが私の夢だ。
だから、治療魔法をしっかりと学んで、お嬢様がどんな秘境にいっても大丈夫にならないといけない。
伯爵からは「セシルを頼んだ。怪我をしたら直してくれ」と。
夫人からは「あの子を止められるのはあなたですから」と。
養女は政治的な関係でできないといいながらも、お嬢様を守るため、学園へ通わせてくれている。
ありがたいことだ。
「セシル様!」
私はセシル様の右腕に抱き着いた。
制服姿のセシル様も、かわいい。
「どうしたのですか?」
「今日も美しいなと」
「……ロザリアの方が美しいですわよ……」
セシル様は困った顔をする。
頭の上にいるフェイ・ドラゴンの幼獣は、柔らかな金髪と馴染んで、二つの目はティアラの宝石みたいに見える。
こういう髪飾りが流行り出したことを、セシル様はいつ知るのか……。
そこに知らない生徒がやってきた。
やけに生真面目そうな、同級生。
「セシル様!」
「はい。どちら様ですか」
「話しかける無礼をお許しください。土魔法クラブを立ち上げました! ぜひ、入会をお願いしたいのです!」
「な、なんですって!」
セシル様は目を輝かせた。
「シリィ!」
どこからともなく殿下が現れ、慌てて駆け寄ってくる。
私は思わず笑ってしまった。
お嬢様は、今日も人気者です。




