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38 指輪

「お父様、落ち着いてくださいませ!」


 旅路用の服のマントを翻し、あっという間に部屋から出てしまったお父様。私はお父様の背中に叫んだ。

 こんなに怒りに満ちているお父様は初めてで、ちょっと慌てている私です。

 追いかけようとしたのを、ひょいっとレオンハルトに後ろから抱かれて持ち上げられた。


「レオ!」


 つま先が浮いてしまい、ジタバタしていると、何かの魔法を使ったようで、ふわりと浮いた体を横抱きにされ……。

 何でしょう、この魔法……。

 虚を突かれた私。

 けれど、上から見下ろすレオンハルトの笑顔の圧に好奇心は萎む。


「君、寝間着で学園を歩く気?」

「ここ、学園でしたか……」


 レオンハルトは頷いて、私をベッドの上に乗せた。

 王宮に引き続き、またもやレオンハルトのベッドで寝ていたとは……。

 男子の部屋で寝ているなど言語道断。

 さすがに二回目だと怒るお母様が想像できます。今回は特に令嬢が喧嘩を自ら勝った結果の負傷ですので……。


「お父様、なんて早い到着……」

「伯爵が馬を変えながら早馬で駆けてきたのだから、そんなにおかしくはないかな。ただ、あの年齢であのお元気さは尊敬しかない」


 レオンハルトは眩しそうな、少年ぽい笑顔を見せた。大人びた表情ばかりするから、こういうときとってもほっとします。

 ……が、あれ?


「私、何日寝ていましたか?」

「丸三日」

「まっ……みっ……」


 丸三日って、そんなに眠っていたとは……。


「陛下もご立腹だから」

「なぜ、陛下まで……」


 しかも陛下までお怒りとは……でもなぜ?

 私は眉根に皺を寄せながら、首を傾げる。

 レオンハルトは呆れた顔で言った。


「君に何かあって、フェイ・ドラゴンが、孵らなかったらどうするの」

「……」

「国の損害だよ」


 私の額を嘴でツンツンツンツンした鶏のキッ! みたいな顔が浮かびました。

 あの狂暴の卵なら、難なく孵るのでは……。

 そんなことを考えていると、レオンハルトは私の額を、手の甲でゆっくりと撫で始めた。

 え、なんですか! 急に! か、顔が近い!


「……ねぇ、なぜ急に魔獣災害が気になったの」


 闇に漂うレオンハルトを思い出して、顔が引き攣った。

 レオンハルトはそんな私の反応に片眉を上げて、さわさわと額に触れた後、頬に、輪郭と、手が移動していく。

 夢の中で、私も一生懸命に「目覚めて」と言いながら触れ続けていた。


「ねぇ、あの聖女をノーテル家に養女にするのは、――君の代わりに……婚約者候補にしようとか、考えてないよね」


 身体がびくりと震えてしまいました。なんて察しの良い十歳なのでしょう。

 私の反応を見て、レオンハルトが表情を強張らせる。


「そうか……。君は、政治のことも考えるようになったのか」


 寂しそうな笑顔。私の心が、ざっくりと切り付けられました。

 政治ではありません。あなたが生き延びられるように。あなたがずっと幸せでいられるように。あなたが、ひとりですべてを抱え込まなくて良いように。

 そう考えれば、最強の布陣だと、思ったのです。

 でも、言葉は出てこなかった。

 私が見たものを、私は認める勇気はないから。

 レオンハルトの手が離れる。

 ひとりぼっちみたいな顔をしないで。

 私まで、悲しくなるから。


「レオ……」

「殿下、セシル」


 礼儀のよいノックがして、レオンハルトは「入れ」と答えた。

 入ってきたのは、フリードリヒお兄様だった。

 碧の目が私を見つけて、優しく微笑んだ。

 胸に光る、騎士団章。王立騎士団の紺の制服に、使い込まれた革のベルトを締めていた。正装ほど堅苦しくないけれど、騎士としての矜持を纏っていた。

 オレンジがかった赤い髪が、日差しを受けてわずかに輝いていた。

 フリードリヒお兄様が真面目な表情でレオンハルトに最敬礼を取る。


「殿下、聖女候補はノーテル家の庇護下に入りました。伯爵と共に、明日には領地へ旅立つ予定です」

「わかった」


 あれ? あれれ? 話が早くない?


「庇護ってなんですか、お兄様」

「ああ、難しい言葉だったね。大事なお客様として、屋敷に住んでもらう」


 五歳児扱いが新鮮……ではなくて、養女への道が!

 目をパチパチさせている私を、レオンハルトに目配せで許可を貰って、フリードリヒお兄様が抱き上げてくれた。

 こつん、と額と額がぶつかった。怒っていると、フリードリヒお兄様も碧の目が語っている。


「セシルの行動はノーテル家として、間違ってはいない。だが、無茶をしてはいけない」

「はい」

「わかったのなら、いい。――父上が隊を率いて、神殿を破壊する前に、すべて整い終えていて良かったよ」


 破壊……。

 ノーテル家は、五年戦争の武功で、小規模な隊を持つ権限を得ている。表向きは、マルグリットの降嫁を機に、隊の規模と権限が正式に拡大された。

 本当の理由は、王家にとってノーテル家は、次の魔獣災害における最前線の要だからだろう。

 小規模とはいえ精鋭揃いなためにそれだけで王都は陥落することは可能な強さ。

 それを率いて、お父様は神殿を破壊しようとしたらしい。

 娘愛が重い。


「殿下、助かりました。さすがに、神殿を破壊するのは、ノーテル家への非難も避けられない。セシル、全ては殿下の取り計らい。父上が一人で神殿に喧嘩をしにいくだけで済みました。感謝します」


 フリードリヒお兄様が、私に頬ずりしてきた。

 私はお兄様に可愛がられながら、レオンハルトを見た。

 彼の顔に浮かんでいるのは、心の奥底に闇が広がっていくような、うわべだけの笑み。


「シリィは、僕が選んだ唯一の婚約者ですから」


 その言葉は、陰鬱な重さで耳に残る。

 私は唇を引き結んだ。

 なんでしょう。あんな夢を見せた鶏が、不愉快でたまりません。

 私はお兄様の熱烈頬ずりを受けながら言った。


「レオ、私が触れても良い土はどこにありますか」

「学園に?」

「ええ、学園に」


 レオはしばらく考えて言った。


「量は?」

「私の体重くらい」

「ならば、持ってこさせよう」


 何に使うの、なんて誰も聞いてこない。

 ほどなくして、木の箱の入れられた土がやってきた。

 フリードリヒお兄様は興味津々といったように、私が躊躇なく土の中に手を突っ込んで、感触を確かめているのを見ている。

 レオンハルトは、黙って見守ってくれていた。


 粘土の壁を作った時のことを思い出す。

 あの時は、レオンハルトを守ろうと思った。

 今も同じだ。彼を、あんな目に遭わせたくない。私のひどい想像だったらよいけれど、字が読めるようになっているから、八割がた事実なのだろう。


 私は、願った。


 レオンハルトが自分自身を犠牲にしないこと。

 生きることに執着するものが生まれること。

 闇に沈む選択肢しか残されなくても、足掻いて、足掻いて、足掻きまくって、天から他の選択肢が下りてくるまで踏ん張ってくれること。


 そんな執着が、彼を守ってくれる。

 足掻こうと思うような、何か。


 私は土に魔法を流した。

 彼を、守りたいと、守ってほしいと、小さな手で魔法を流した。

 どれくらいしただろうか、土の中から呼ばれた気がした。

 ここだ、ここだと騒いでいる。

 私はその硬いものを掴んで、土を払った。

 出てきたのは、指輪だった。

 表は金色なのに、裏側は、黒い。


「レオ!」


 私はレオンハルトに顔を向けて、まだ土がついているそれを掲げた。


「私からのプレゼントです。指につけろとは言いません。ネックレスにでもしてください」

「……土から金属を取り出して、指輪にした……」


 横でフリードリヒお兄様が呆然と呟いたのはあまり気にならなかった。


「これで、指輪のお揃いですね」

「シリィ……」

「私は、国土を豊かにしたい」


 稲穂が風に揺れる黄金の風景。柔らかくふかふかな黒土。おいしいお米に、卵。

 TKG。

 それが当たり前に食べられる世界。


「シリィ……僕は……」

「それができるように、守ってほしいです」


 私はむりやりレオンハルトにそれを握らせた。

 レオンハルトは言葉を失って、それを見つめている。


「セシル!!!」


 そんな雰囲気を打ち破ったのは、お兄様だ。


「誰にも、誰にも言ってはいけない」

「何をですか」

「土から金属を出すことだ」


 えぇ……。土壁もダメだって言われたな……。


「でも、土鍋みたいなものですわ」

「全然、違う……」


 お兄様は頭を抱えている。


「大丈夫ですわ! 私、卵とお米作りに一生懸命なので」

「そういう問題じゃないんだよ、セシル……。可愛い妹の守りが足りない……」


 フリードリヒお兄様はお父様に相談してくるといって、殿下に敬礼をした後に出て行った。

 お兄様も忙しいですね……。

 そう思って、レオンハルトをみると、微笑んでいた。


「セシル」

「はい」

「未亡人には、しないから」


 心臓が、ばくん! と大きくなった。


「だから、君はずっとコメを作って。僕に、TKGをご馳走してよ」


 レオンハルトが、笑った。

 少年ぽいのに、一気に大人になったような、とても力づよく、優しい目だった。

 私は目を輝かせて返事をする。


「もちろん、お任せくださいですわ!」


 さぁ! 米栽培の道、突き進みますわよ!

 なぜだか私はとっても満たされていた。

次から、少し大きくなったセシルです。

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