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36 チート発動

 目を覚ますと、そこは知らないベッドの上。

 涙がすっと一筋、耳の方に零れ落ちた。

 それをぬぐいつつ、嫌な夢だったと思う。


 それにしても、知らないベッドの上で目覚めるの、多すぎますわね……。

 令嬢としての嗜みに、私としても問題を感じます。

 本当に、後味の悪い、変な夢を見ました……。

 私はむくりと起き上がり、ベッドの側にあった水差しから水をコップに注いで飲む。


「……」


 腕が、動きます。

 私は喉を潤した後、慌てて着替えさせられている白い夜着を捲って腕を確認した。――何も、無い。


 痛い記憶は、ある。

 焼かれた痕は、どこにもない。


 え、夢?


 ややあって、体に巡る穏やかな魔力に気づいた。

 これは、聖なる魔力だ。だったら、あの小さな聖女候補が助けてくれたのだ。


「お礼を、お伝えしなくては」

「まずは絶対安静」


 顔を上げると、レオンハルトがベッドの足元に立っていた。

 なんだか、ホッとして、また目頭が熱くなった。

 いけません、変な夢に引っ張られています。


 さて、神出鬼没なのはもう驚きません。

 ただ、穏やかな顔をしているのに、深く、怒っているのがわかります。

 レオンハルトは、何の断りもなくベッドの上に乗ってきて、私の横に寝転んだ。


「ご迷惑を、お掛けしました。あの」


 私が言葉を続けようとすると、レオンハルトが首を横に振る。

 心臓が、ずきりと痛みます。

 横たわったままのレオンハルトが、じっと私をみつめると、心臓がどっくんどっくんと。

 お薬を、処方していただく必要があるかもしれません……。


「まずは、無事で良かった」


 その声が、わずかに震えていた。

 安堵と、怒り。たぶん、両方だと思う。

 それから、レオンハルトは、ひとつ息を吐いた。


「君のそばにいられなかった。それが、一番、面白くない」

「……」

「シリィのことは、僕が守ると決めている。それが、できなかった」


 レオンハルトの怒りは、彼自身に向いているようです。


「私が、勝手に買った喧嘩ですわ。それを護ろうとしていたら、レオが何百人も必要になりますわよ」

「……シリィは、面白いな」


 レオンハルトは、泣きそうな顔で笑った。


「そういう、面白さがいい」


 私がいなくなるの、怖いのでしょうか。

 ゆっくり額を撫でると、レオンハルトは表情を和らげて、言った。


「シリィの兄達、怒っていたよ」

「……」


 にこにことお兄様達に怒られるのですね。でもしょうがない。悪いの、私ですから。

 レオンハルトが、私の手を握った。

 あれ、あれれ、めちゃくちゃドキドキします。


「……君がどこまで知っていたか、知らないけれど」


 手を離して、とは言えない雰囲気です。


「王家と神殿は折り合いが良くない。シリィが、護衛騎士を、最後まで出さなかったのは、正解だったんだ」


 レオンハルトは、苦しそうにため息を吐いた。


「君は、僕の婚約者候補ではあるけれど、あのノーテル家の人間だ。神殿は、ノーテル家を敵に回した構図になっている。王族の護衛騎士が出ていたら、少し面倒なことになっていた。伯爵が、今、王都に向かっている。神殿に事の次第を問いただしにね」

「まぁ……お父様が……」


 身重のお母様を置いてくるくらいのことということか……。

 悪いことをしてしまった。

 私、嵐を呼ぶ令嬢みたいになっておりますわね……。


 でもでも。


 あのまま一方的に嬲られている女子を見捨てなくてはいけないほど、私は権力や地位がないわけではないのです。

 助けることができる立場でしたので……体が動いた結果……皆様にご迷惑をおかけしまったという……。

 私はすん……と遠い目になってしまった。


「……護衛騎士が出ていたら、王族が、ノーテル家の威光を使って、神殿に喧嘩を吹っかけたということになっていたわけですね。……私の浅慮のせいで」


 レオンハルトはくすりと笑って、そして否定しなかった。


「ご明察。――君、本当に五歳?」

「その言葉、そっくりお返ししますけれど」


 私もぽすり、とレオンハルトの横に体を倒した。


「でも、たくさんの人の前で、人を罵倒してはいけません」

「時と場合によるよ。君、貴人であることを自覚した方がいいよ」


 しゅん、と少しだけ落ち込んだ。

 レオンハルトは、私を絶対的に肯定するわけではない。

 こういうのは、嫌いじゃない。


「あの祭女は」

「聞かない方が良いよ」


 レオンハルトの表情が、研ぎたての包丁みたいに鋭利になった。

 これは……聞かない方が良さそうです。

 私はにっこりと笑む。


「私も、その、気を付けます。……で、私の腕、完璧に治っていますけれど」


 気を取り直すのは早いのです。

 そしてですね……さっきから、レオンハルトは、私の手を握ったり、撫でたりしています……。

 私はそわそわしているのに、レオンハルトは淡々と続けた。

 むずがゆいけれど、我慢です。


「ああ、あの聖女候補は、特別なんだ」


 私は自分の無傷の腕を見て、でしょうね、と納得しかしなかった。

 特別なのに、なぜに虐げられていたのか。


「後ろ盾が機能していないからああなる。神殿が、彼女の後ろ盾になっていたようだ。特別だから」


 ちなみに、とレオンハルトが少し笑いを含んだ声で言った。


「あの聖女候補、君が目を覚ますまでと言い張って、そばにいようとしていた」

「……あら」

「追い払った」


 当然、といった口調。


「なぜでしょうか」

「だって、君の側にいるのは、僕の役割だ。怪我は治ったのだから、お前はお前の今なすべきことを為せと追い返した」


 なんていうか、けっこう冷淡。

 あの子、めちゃくちゃ可愛かった気がするのだけれど。


「会いたいのだそうだ。君に」

「私も会いたいですわ」


 レオンハルトは不機嫌そうに、肩をすくめた。

 私は少し考えて、それからにっこりと笑った。


「お父様もいらっしゃるそうですから、ノーテル家の養女になっていただきましょう。そうすればいつでも会えますし」


 私はさりげなくレオンハルトから手を遠ざけて、起き上がった。

 こうも撫でられたら、なんだかむずむずが止まりません。

 レオンハルトは追ってこなかった。でも、じっと私を見つめているのがわかる。

 私のトンデモ発言に突っ込む気は無さそうです。


「お父様に直接交渉ですわね」

「……神殿が、許可しないと思うけれど」


 レオンハルトはベッドの上で寝ころんだまま、私の方に腕を枕にして体を向けた。


「私、とっても心に傷を負いましたので、お父様に切々と訴えます……。ノーテル家は、いかなる災害時にも、神殿を後回しにするかもしれませんね」


 レオンハルトがくすりと笑った。

 最高戦力を持つ一家が、守らないと宣言する。これを追従する、反神殿派が続くかもしれない。

 私は部屋をうろうろと徘徊する。

 どきどきむずむずする胸を鎮めるためと、ここがどこか推測するため。


「……伯爵が、それを是とするかな」

「同じ家から、婚約者候補は二名、出せないのですよ」


 レオンハルトが、息を吸って黙った。

 私は壁一面の本棚を、目と指で辿りながら言った。


「神殿が、『特別な』聖女を手放したがらないのは、王族に婚約者候補として送り出すためではないでしょうか。自分たちの権力を拡大するために」

「良い読みだと思うよ」

「神殿が後ろ盾であったはずの、特別な聖女候補。その方をないがしろにしていた事実が今回露呈しました。戦場に立つノーテル家は、それを憂います。彼女の不遇に同情し、養女に迎えることに、何らおかしいところがありましょうか」


 私がにっこりと笑むと、レオンハルトは少し意地の悪い笑みを浮かべた。


「自分たちは関係ないと、勝手に祭女がしたと、言い張るかも」

「一番悪い謝罪方法ですね」


 謝罪会見マニュアルがあれば、一番やってはいけないことと書いていそうです。

 おバカな下の者を持つと、中間管理職は一蓮托生、管理責任を問われる、怖い世界です。


「祭女のあの聖女候補の扱いは、神殿の扱いとして、人々は噂するでしょう」

「だろうね」

「神殿は聖女を盾に寄付を募っているのにと、批判を避けられない。であるなら我が家の提案は、渡りに船。どこかの貴族が養女にして勝手に後ろ盾になって、聖女候補を婚約者候補にするより良い。決断するかと」

「なるほどね。ところで……君の魂は、いくつなんだろうね」


 どっきーん。調子に乗ってペラペラしゃべるからこんなことに!

 冷や汗を大量にかいたせいで、本の背を辿る指が止まりました。

 さんじゅっさいとか、言えない!


「まぁ、良いんだけれど。僕の大好きな君は、君だから」


 どっきーん。今度は体中が熱くなって、汗が止まりません。

 あなたこそ、百戦錬磨のプレイボーイみたいなことを言うじゃありませんか!

 私は、こほんと咳払いをして誤魔化した。


「それに、ノーテル家の養女になれば、間違いなく学園に通わせることができますわ。そのお金はありますもの。国家の視点で、聖女の力を発揮していただけるよう、願うばかりですわ」


 私に野心が無いわけではありません。

 同じ家から王家に一人しか婚約者候補は出せないのであって、一人が事情で降りることになれば、もう一人がそれになれる。

 つまり。

 私が追放されたとしても、私を助けることに躊躇しなかった子なら、レオンハルトの婚約者として相応しい。

 きっと、レオンハルトを助けてくれる。

 だって、聖女だし!

 でもでも。

 ゲームでは確か聖女は男爵家令嬢かなんかで、アレクシスの想い人になっていた……?

 もう、アレクシスはあの悪いクラリスと一緒になっていただいて……とか鬼畜なことを考えてしまう。


 あれ、あの夢に影響をされているのでしょうか。

 レオンハルトが生き残る道を一生懸命に考えています。

 でも、レオンハルトとあのかわいい聖女が微笑みあっているのを想像するのは、胸が猛烈に痛いのです。


 私は冷静になるために、一冊の本を手に取りました。


『米の歴史と栽培』


 そんな本、手に取らないなんて、できないでしょう。

 頭を冷やすのに、ちょうど良い本です。


「ここは、学園ですか? すごい蔵書ですわね。お米の栽培について、詳細に書かれていますね。まぁ、品種改良についてまで。そういば、私はどの土地を頂けるのかしら……」

「……シリィ、君、オオヤマトトヨアキツシマの言葉を読めるの?」


 レオンハルトが身を起こし、ベッドから降りてこちらに近づいてくる。

 オオヤマトトヨアキツシマ?

 キラキラした目で、私と、私が持っている本を見比べた。


「オオヤマトトヨアキツシマは米の国だよ。言葉が難解で、習得にかなり時間がかかる。父上と親交が深くて、米を献上してくれるんだ。父上曰く、イナホが実る、黄金に輝く田がある国だと」

「……」


 私は、固まった。

 大倭豊秋津島オオヤマトトヨアキツシマ

 私の前世の国の名前では……。


「もしかして、君に渡した本、全部読めた?」


 私は固まってしまった。

 読めなかったから、言語取得のためにも時間を割かないといけなくて……。


『米! あの米作りの技術書を読みたいの! どうでもいいから読み書き喋るのチートをちょうだい! 対価! 労働には対価を! 組合は無いんだから、直接交渉!』


 つまり……。

 あれは、夢ではなくて……。

 レオンハルトは、魔獣災害を抱え込み、闇を漂う運命が待ち受けている……。

 肌が黒のまだらにくすんだ、レオンハルトを撫でた感触が、手のひらによみがえった。


「……え?」


 文字通り、私は言葉を失い、本を落としかけた。

ここにきて、自ら勝ち取ったチートです!

そしてまた5000字近くなりました!

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