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31 真夜中の紅茶

 首根っこ掴まれた猫の気分だ。半ばずるずると引きずるように連れていかれている。

 おかしいです。護衛騎士には笑顔で見送られました。あなた方、私の護衛になったのでは……え、聞き間違い?

 アレクシスはというと、レオンハルトにキラキラした目を向けたままで、助けるどころか、うらやましいなみたいな目で見てくるし。


 ずるずると連れていかれながら、学園でのお兄様達の話を聞いた。それにはちゃんと答えてくれる。

 まずはヨヒアムお兄様について。プリンを食べていただいてから会っていない。


「入学式当日に話しかけられたよ。楽しい方だよね」


 ヨヒアムお兄様は陽キャの極みといいますか。社交性が高いだけあって、自ら王太子に話しかけに行ったようで……。想像はしていましたが、ちょっと引いてしまいます。

 それでもまたプリンを「すごくおいしい」と食べていただきたい。


「エミールもユリウスも元気だよ」


 やはり一緒に行動しているらしい。『御友人』というカテゴリーですね。その中には、他の貴族の方もいらっしゃるらしい。

 あの二人なら、きっとうまくやっていると思う。


 とりあえず、お兄様がたが元気で良かった。

 あー良かった良かった。

 ……で、終わるわけでもなく、王宮の中でも奥まった場所にあるレオンハルトの部屋に、私はぽいっと通された。


「どうぞ」


 広い。とにかく広い。私のカントリーハウスの部屋の三倍はある。

 天井まで届く本棚が壁を埋め尽くし、窓辺には星図と地図が無造作に広げられたままの机。隅には剣が立てかけてある。


 これが十歳の部屋……?


 調度品はどれも一流だが、温かみをどこか感じさせない。生活感がないようで、でも確かにここで考えごとをしている痕跡がある。

 片付いているようで、片付いていない。人が暮らしている気配は薄いのに、頭を使っている気配だけが、やけに濃い部屋。

 優秀な孤高の王太子の部屋という感じだ。


「ソファに座って」


 辞退しようとしたけれど、笑顔の圧で私は腰を下ろした。

 すごい重力が肩に乗った気がする。


「王都に来て、二日目だよね」


 レオンハルトはティーセットが乗ったローテーブルを挟んだ、前にあるソファに腰かけながら、何気なく聞いてきた。

 お? ちょっと肩透かし。

 愛称とかで詰められるのかと思ったから。


「魔力はどう? 領地にいた時くらいに、外に出せてると思う? 体調は?」

「あ、えっと」


 質問づくしである。


「苛立ったり、人に攻撃的になったり、いきなり悲しくなったり、そんな精神を含む体調変化は」


 クラリスの真っ赤な顔を思い出してしまった。

 彼女を責め立てたのは、攻撃的の範囲内か、否か。

 私は黙ってしまった。

 すると、レオンハルトは言った。


「魔力過多の話、覚えているかな。魔力の制御はどんなかんじ? 感覚で僕に教えて。自分に魔力を流す、できるかな?」

「……」


 でっきるーかな? みたいな、流し目。やけに大人の色気のある、こちらの反応を全て観察するような、あまりいい感じのしない視線。

 かっちーん、と頭に血が上りました。あ、これがイライラしやすいってこと?


「できますけれども!」


 私は自分に集中をして、魔力を流した。魔力を体に流すのは、呼吸に似ている。力むと息苦しくなるし、手放すように体の力が抜けていく。土がほんのり温かくなる感覚が、身体に広がる、はずだった。


 身体の中にちょっと、ピリピリとした痺れを感じる。棘? みたいな。息が苦しくなって、頭がどんどん冴えていく。


 目の前では、レオンハルトが静かにお茶を淹れていた。魔法で沸かしたお湯が、細い弧を描いて茶器に注がれる。魔法って、こんなことにも使えるのか。

 湯気がゆらりと立ち上り、紅茶の甘く深い香りが部屋をやわらかく満たしていく。

 砂時計をひっくり返す仕草も、どこか儀式めいて美しかった。

 王太子が、手づからお茶を淹れてくれる。レオンハルトがすると、これ以外の正解がないような気がしてしまう。本来なら、私がやることだ。

 砂が落ちきるのを待つ間、彼はこちらを向いた。

 相変わらず、蒼の目が美しい。


「どう?」


 なんだか悔しいが、強がっても仕方ない。


「ピリピリします」

「その感覚、魔力過多の初期症状だよ。覚えておいて。これから王都へ来るのであれば、毎朝毎晩、自分の魔力をちゃんと感じて」

「……はい」


 思っていたのと違う。どうしてアレクシスには愛称で呼ばせて僕は、みたいな変な喧嘩になるかと思っていた。

 魔力の話か。はーん、魔力ね。いいんですのよ、全然。

 真剣な目に吸い込まれそうで、私は思わず砂時計に視線を落とした。


「アレクシスとゴーレムを作っているんだって?」


 あ、きたかな。なんで弟と遊んでいるんだみたいな流れ。

 でも、意外にもレオンハルトは怒っていなかった。


「いいと思う。変にここ(王宮)の土地に魔力を流すよりはね」


 そういえば、私が魔力を流した肥料を狙って「土ごと、肥料を掘り起こそうとする輩」を引き寄せるみたいな話を聞いたような。


「ゴーレムを作る場所は、あの東屋周辺にしておいて。あの場所は、本当に王族しか行けないから」

「はい」


 私は壊れたからくり人形か。はいはいとしか言っていない。

 ただ、叱られにきた妹みたいだ。


 砂時計が落ちて、レオンハルトが視線を上げた。ティーポットが、音もなく浮いた。琥珀色の紅茶が、細くまっすぐに、私のカップへ落ちていく。一滴も、ぶれない。さすがだな、と思った。

 魔法ひとつでも、レオンハルトはレオンハルトだった。


「どうぞ」

「ありがとう、ございます」


 真夜中の紅茶は思いのほか美味しかった。緊張で忘れていた眠気が少しずつ瞼を重くする。


「で、どう? 僕と結婚する?」

「ぶっ」


 おもわず紅茶を吹き出しそうになった。

 茶器を置き、レオンハルトに差し出されたハンカチで口元を拭いた。

 レオンハルトは、とても楽しそうに笑んでいた。目は、本気に見えるけれど。


「僕と結婚したくなったかなと」

「な……な……」


 なりませんわよ、とも、なりました、とも言えない。

 私は、レオンハルトを好ましく思っている。


 けれど、私は五歳だ。

 前世の記憶がある三十路が混ざっているとはいえ、この身体は五歳なのだ。

 好ましいとか、嫌いとか、そういう感情の整理が、まだ、追いついていない。

 レオンハルトを見た。蒼の目が、静かにこちらを見ている。

 怒っていない。焦っていない。ただ、待っている。

 この人は、いつもそうだ。策士のくせに、こういう時だけ、妙に辛抱強い。


「……レオ」

「うん」

「私、自分の気持ちが、よくわからないのです」


 正直に言った。

 レオンハルトは少し目を細めた。怒るかと思ったけれど、違った。


「そう」


 たった一言だった。責めない。急かさない。ただ、それだけ。


「……怒らないのですか」

「なんで怒るの。セシルが真面目に考えてくれているんだから、それでいい」


 レオンハルトは自分のカップを持ち上げて、紅茶を一口飲んだ。

 何事もなかったような顔をしている。

 今日は、肩透かしばかりを食らっている気がする。

 私をからかって、遊んでいる顔ではないのだ。

 でも、この人の本当と嘘は、私にはまだ、見分けがつかない。

 私はカップを両手で包んで、紅茶の温かさを確かめた。ほんのり甘い香りがする。


「レオ、ひとつ聞いてもいいですか」

「どうぞ」

「なぜ、私なのですか」


 レオンハルトは少しの間、黙った。長い沈黙ではない。でも、考えている沈黙だった。


「セシルは、とても面白いし……僕を怖がらないから」


 レオンハルトは、ふっと笑った。初めて聞く、力の抜けた笑い声だった。少しだけ、本音を見せてくれた気がする。

 なんだか、悔しい。でも、その笑い声は、嫌いじゃなかった。

 眠気が、また瞼を重くする。紅茶のカップが、少し傾いた。


「眠い?」

「……眠くない、です」


 完全に嘘だった。

 レオンハルトがそっとカップを取り上げてくれる気配がした。


「ここで寝ていきなよ。僕は、学園に戻るから」


 部屋の静けさが、不思議と、落ち着いた。

 好ましいのか、信じていいのか、この胸のむずがゆさが何なのか。

 ぜんぶ、わからない。

 でも、淹れてもらった紅茶は、美味しかった。

 私は、レオンハルトの手首を掴んでいた。


「あなたは、ずるいです。私に指輪をしても、レオはしていない」

「……それは」


 眠いからだろうか。レオンハルトが少し泣きそうな顔をした気がした。


「それに、私がアレクシスと仲良くしても怒らない」

「……」

「あなたは」


 これは三十路の私が喋っている。


「私を利用しているのではないですか」

「シリィ」


 シリィって、勝手に愛称をつけて……そんな不満は、瞼と一緒に落ちる。

 レオンハルトの手が、私の手首をそっと掴み返した。


「僕と君が、本当に年頃であれば、僕は無理やりにでも結婚していたよ」


 閉じる瞬間、レオンハルトの蒼い目の中に、強い光を見た。


「男性の部屋で、二人きりになってはいけない」


 私、五歳ですってば。


「体を、大事に。大きな魔力は、身体を蝕むから」


 悲しい声。

 私はいっきに深い眠りに落ちていった。

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