12 王太子の正体(後編)
※血が出ますのでお気を付けください。
対岸に姿を現したのは、三匹の異形の獣だった。
「魔獣じゃないか」
レオンハルトの声は平坦だった。
肋骨が浮き出るほど痩せているのに、眼だけが異様に光っている巨大な灰黒色の狼。
背中に棘のような骨が突き出た、ひと回り小さい一匹。
三匹目は異様に静かで、低く身を伏せ、じっとこちらを測っている。
次の瞬間、防音魔法が解け、三人の護衛騎士が王太子の前で剣を構えた。
「下がって」
レオンハルトの命令は、私に向けられていた。
――本当に、本当に魔獣はおいしいのか。
そんなことを考えているとは、きっと誰も思ってはいないだろう。
とはいえ、初めて見る魔獣の容貌に、頭は真っ白、足はガクブル。
やっぱり経験が無いことには、体が動かないわー。
モブ令嬢のスペック普通すぎて草生える……とか考えて気を紛らわすしかない。
「リオネルは、セシルを守って」
「はっ」
栗色の短髪の若手騎士が、速くしなやかに私の前にやってきた。
狼が地面を蹴る。砂礫が爆ぜ、一直線にレオンハルトへ。
銀灰の髪を束ねた副官格のアルヴィンの剣が閃き、金属音と共に火花が散った。
棘の魔獣が横から滑り込むのを、濃紺の髪の巨躯・ガレスが半歩ずれていなし、レオンハルトも軽やかに後退する。
え、魔獣、めっちゃ強いじゃないですか……。
「殿下……」
レオンハルトは剣を持っていない。魔法を使おうともしていない。
一人にすべきではない要人が、がら空きだ。
嫌な予感がした瞬間、動かなかった三匹目の口元がわずかに開いた。
吐き出されたのは、針。
無数の黒い針が、空気を裂いて、まっすぐレオンハルトに向かっている。
「危ない!」
私が叫んでいた。
レオンハルトの横顔が脳をよぎった。
諦めながら、笑んでいる表情。
でも、私と喋る時は、会話を楽しんでいる。
――人との会話に、飢えているような。
王太子殿下を、守らないと。
孤独な十歳の男の子を、守らないと。
三十歳の私が、強く願った。
河原の湿った土が、ぶわりと持ち上がる。
粘土だ、と思った。
空気中で瞬時に固まり、分厚い壁となって王太子の前に立ちはだかった。
「セシル! 駄目だ!」
レオンハルトが叫ぶ間も、針が次々と壁に突き刺さっていく。
三匹目が顎がないのではと思うくらいに口を開け、数百本の針をさらに吐き出す。
粘土の壁が! ハリネズミに!
ということは……。
――助ける、ことができている?
ちょっと、嬉しい。
だが、三匹目がこちらへ飛び跳ねながら走ってきた。速い。牙が迫る。
「セシル様!」
リオネルがその首を切って捨てた。
他の魔獣は……とレオンハルトの方を見た。
「殿下……?」
右目を金色に、左目を紫色に染めたレオンハルトが、両手を上げていた。
右手には光を、左手には闇を。
一匹の魔獣は光に霧散し、もう一匹は闇に四散していく。
影も形もなく、消えていく。
とても、静かだ。
「な……」
何の魔法? そういえば、王太子の魔法って、何?
「セシル様、今のことはご他言無用に願います」
リオネルが膝をつき、深々と頭を下げてきた。
私、秘密って知りたくない。だって、リスクだから。
その時、視界が白く弾けた。
鼻の奥が熱い。
ぽたり。赤い雫が、河原の白い砂礫に落ちた。
自分の血だと理解するのに、少し時間がかかった。
魔力の問題か。あの粘土の壁、制御が荒すぎたのだ。
「セシル!」
焦った、年相応の少年の声。
いつの間にか、目の前にレオンハルトがいて、私は倒れているのだと知った。
泣きそうな顔をしている。
なんだ、人間らしい顔をできるじゃないか。
「……殿下、女性には正論より、ちょっと優しい言葉のほうが効きます」
「あぁ」
「女性を追い詰めると、かみ砕かれますよ」
「僕は、僕をかみ砕くくらいの女性がいいんだ」
ドMすぎます。
瞼が重い。
もういいかな。どうせゲームの世界だし。
追放されるモブだし。
中身、三十路だし……。
どんなに令嬢ぶっても、庶民なわけで……。
「……セシル、献上された米と醤油を持ってきたんだ。貴方が、興味をもっていたから」
「米……?」
良いなぁ。米。
でも、足りない。
「……魔獣も、食べたい……」
自分でも何を言っているのかわからない。
けれど、悔しい。まだ味見していない。
「わかった、この魔獣は食べれるように解体するから」
土鍋、米、炊き立て。卵、醤油。魔獣の、肉。ジビエ丼?
暗闇の中、夢のように白い湯気が立つ。土鍋だ。ぐつぐつと何かが煮えている。
――もう少しだけ。
魔獣って、ジビエみたいなものかなぁ。
あぁ、畑を耕して、たまに獲ったイノシシとかシカの肉を貰う。
そんな生活、あこがれたなぁ。
……もう少しだけ、がんばってみようか。
がんばる理由なんて、たいてい、ささやかなのだ。
口に瓶の口が当てられた。生臭い水が流れ込んでくる。
「まっず……!」
私の意識が完全に途切れた。




