11 王太子の正体(前編)
土鍋のほかほかポトフをみて、食べたい、おいしそう、と言った人に、食べさせないなんてできない性分。
しょうがない、と私は陶器のお皿にポトフを盛り付けて、レオンハルトに渡した。
彼はありがとうと言って受け取ると、躊躇なく口に入れた。
え、毒見は……。
「おいしいね、とても。……この卵、セシルが育てたもの?」
「ひっ、は、はい」
「味が濃くておいしい。食べたことが無いくらいに、うまみがある」
「まぁ! 本当ですか!」
卵を褒められてテンションが一気に上がった。
でしょうよ、うちの卵は世界一ですからね!
でへへ……と令嬢らしからぬデレ顔をしてしまう。
それにしてもこの王太子、人たらしらしい。
硬い茶色のパンを差し出した小さな女の子に「ポトフのスープにひたすのにいいね」と綺麗な所作で食べてみせ、あっという間に老若男女に囲まれた。
ぽい、と輪の外に追い出される私。
なんだろう、既視感があるぞ。
「土鍋、というのかい? 熱がゆっくり伝わるから、根菜が甘くなるんだね」
「そうなのです! 土の良さを生かしたものです!」
いつの間にか輪から抜け出してきたレオンハルトが、隣でにこにこしている。
食べ物を粗末にしない人に、私は基本的につらく当たれない。
食べ方が綺麗なら尚更。
なんだろう、この食べ方信仰みたいな気持ち。
「……王太子殿下こそ、私を王宮に召喚すれば良かったのですわ。このような場所に訪れずとも」
「あなたが大事にしているものを、見てみたくて」
むくむく、と心に広がるむず痒い気持ち。
たぶん、好意的な何かだ。
私はわざと変顔を作った。冷静になるためだ。
「令嬢なのだから、やめなさい」
「指輪をお返ししたいのですが」
「それは無理だね」
話が通じんなぁ!
「ちょっとここではあれだから」
レオンハルトに誘われたのは河川敷だった。
護衛騎士が少し離れた場所で待機し、レオンハルトが指で空中に何事かを描くと、シャボン玉のような虹色のお椀が私たちに覆いかぶさった。
「念のため、防音魔法を」
「……はぁ」
十歳で防音魔法とか、何者だ。
そっか、王太子か。
そんな突っ込みを一人で終える。
「君は察しが良いから、隠しごとをしても良いことはないと思って。……婚約者の話をしよう」
レオンハルトは対岸の地層の崖を眺めながら、淡々と語った。
グランディエ伯爵家の土魔法の令嬢が、婚約者候補の筆頭に挙がっていたこと。
土魔法しか使えない令嬢なら、この政治絡みの縁談を断れないだろうと踏まれていたこと。
なるほどね、と思った。
兄たちの『セシルの婚約者を決める家族会議』の理由を理解する。
そして五歳の私は泣いていた。どうしてこんなにも侮られなければならないのと。
「……けれど、僕は反対したんだ。土魔法の令嬢は、婚約者に向かないとね」
「なぜです?」
「土魔法使いは、不遇に耐え切れずに、だいたい性格が曲がる。僕に何かあって、妃に金と権力だけが残ったら、何をするかわかったものじゃない」
今、とんでもなく失礼なこと言われたよね?
「いや、セシルがってことじゃないよ」
変なフォローが入って、ますますカチンときた。
む、む、むかつくぅぅぅぅぅ!
イケメンだからって、何でも許されると思ったら、それ違うんだからねぇ!
――ついでに言えば、大問題がもうひとつある。
レオンハルトが王太子たる理由らしい『魔獣災害』なんてイベントを、私は知らないのだ。
私は全てのエンディングを攻略していない。
推しキャラのハピエンルートしかしていない。
つまり、このゲームをほとんど知らない。
今更ながら、詰んでいる。
「僕は、父と同じ。災禍のために祭り上げられた王太子だ。だから、あなたみたいに強い令嬢が伴侶でないと、不幸にしてしまう」
あきらめたわけでもない、ただ受け入れた表情は、十歳が浮かべるにはあまりにもつらい。
胸がずきりと痛んだ。……のに。
直前の「性格が曲がる」発言への怒りは、別腹だった。
「……実に、失礼ですわ」
令嬢は、癇癪を起してはいけないのだ。
けれど、ひどい苛立ちで反射でつま先が動いていた。
小石をちょん、と蹴ってしまう。
ほんの軽い抗議のつもりだった。
「あ……れ? 何?」
少し転がるだけのはずの小石と土が、意思を持ったみたいに集まり始める。
ぐるぐると渦を巻き、蛇のように猛スピードで、一直線にレオンハルトへ突撃していった。
ちがう。私、こんな本気攻撃してない。
誰よ! 今ちょっと魔力を盛ったの!
まさか、私!?
「なるほど」
レオンハルトは昼下がりの散歩でもしているかのような顔でそれを眺め、視線だけで護衛騎士をぴたりと止めた。
すんとした表情で片手をひらりと上げる。
次の瞬間、牙をむいた土の蛇が、ぱらぱらとただの小石に戻って地面へ崩れた。
え、なにそれ。すごい。
「……見てごらん、一つ一つが刃物みたいに削れている」
受け取った小石は、全て独楽みたいに鋭利に削れていた。
これをレオンハルトに本気で当てにいったのだ。
王族に、剣を向けたのと同義。
サーっと血の気が引く。
「土魔法の攻撃は、国家の基幹を揺るがすんだよね。だから不遇の魔法にしているのだけれど、こういう天才がたまに生まれる。……あ、これって王族への攻撃、不敬行為だね」
レオンハルトが嬉しそうに笑んだ。でも、少年らしい高い声の声音が低い。
これは、まさに『詰んだ』。
「一応ね、父上にも、陛下にも報告しないと。そうしたら、グランディエ伯爵も爵位の返上になるかもしれないね。……あ、でも。君は僕の婚約者だから、問題ないよ。これは痴話喧嘩だ」
「……」
詰んだ、別の意味で詰んだと悟った。
これから私が婚約者を降りたいと言えば、この不敬がカードとして出されるのだ。
「……策士でいらっしゃるのね」
「さっきの攻撃、とても良かったよ。制御を覚えればもっとすごいことができる」
え、あら、そうなの? と興味を持ったその時――。
グルル……と地の底から響く唸り声が、対岸からした。




