早すぎた帰宅
「ただいま…。」
祝原悠助は自宅ドアをくぐり抜けて、少し乱雑に靴を脱ぐ。
仕事鞄を玄関先に放り出して、面倒くさそうにネクタイを緩めた。
「今日はすき焼きか…。」
台所から立ち上る香ばしい匂いを嗅ぎ取り、そう呟き声を漏らす。
大きな鍋の中で、肉も野菜も一緒くたに煮込む祝原家独自のレシピ。
甘辛い味がたっぷり染み込んだ豆腐をおかずに、思いっきり白米をかき込むのが彼の一番の贅沢だ。
そんな、身も心も温まる一家団らんを囲むであろう家の中で、悠助は異様な雰囲気を微かに感じた。
「…母さん、帰ったぞ!」
薄暗い影のベールに覆われたかの様な、壁という壁に、少し大きめに張り上げた彼自身の声が反響する。
虚空の彼方から、無言の圧力じみた沈黙の木霊が跳ね返って来る。
「…誰もいないのか…悠!」
再度の呼びかけにも、応じる声はない。
悠助は仕事から帰って来た背広姿のままで、居間に立ち入る。
「出かけているのか…。」
軽い囁き声を漏らしつつ、彼はドアをくぐり抜けた。
「……………………!」
ほんの一瞬の、恐慌。
心身の全てを地の底に投げ出されるかの様な、衝撃。
一瞬の狼狽の後、破裂して制御不能になった心が、生涯に渡って一度も発した事がないであろう大絶叫を、細長い喉を通じて発した。
「ーーーーーーーーー!!」
目の前に、愛する妻の顔。
そのすぐ隣に、また同じ顔。
そのまた隣にも、顔。顔。顔。
見慣れた柔和そうな顔が、いくつも立ち並んで、積み重なっていた。
まるでシャンパン・タワーの様に。
居間のテーブルを覆って隙間なくビッシリと。
そして閉じられていた、二つずつの眼が一斉に開いて、恐怖に慄く悠助の顔を、楽しそうに見つめた。
そして…
「おかえり。」「おかえり。」「おかえり。」「おかえり。」
「おかえり。」「おかえり。」「おかえり。」「おかえり。」
「おかえり。」「おかえり。」「おかえり。」「おかえり。」
「おかえり。」「おかえり。」「おかえり。」「おかえり。」
積み上げられた果物の様な“それら”は一身不乱に口をパクパク動かして、悠助に“出迎え”を言うのだった。
「わぁあ、ああああああああ!」
「イーアペトスよ、地獄で焼かれろ!」
大絶叫にも近い娘の叫ぶ声がして、目の前が業火に包まれた。




