偽りの崩壊
神薙透子は放課後の道を、ゆっくりと歩く。
転ばない様に慎重に、ただ、ゆっくりと。
もしも転んだりして、両眼を怪我したりしたら大変だ。
また“見えない”生活に逆戻りしてしまう。
それは嫌だ。
見える事は素晴らしい。
長い月日を経てようやく、また見る事が出来た、明るい賑やかな世界。
歩行杖も介助も必要ない。
今はこの、箱庭の中の様な素晴らしい、光のある世界を、たった一人で歩いて行ける。
素晴らしい。
失いたくない。
元の状態に、戻りたくない。
彼女は思った。
“もっと安心したい”
あのカフェで、クラスメイトである悠達から聞いた、異界に住まう邪神及び、それに対抗して闘っているという“影”の話。
余りにも荒唐無稽に過ぎるその話を、透子は説明された通りに、すぐ信じた。
彼女は周りの人々から言われた事を、すぐに受け入れる質だ。
信じるしかない。
任せるしかない。
頼るしかない。
今までの透子の世界は、他者がいなければ成立しない物事の連続だった。
しかし今は…
一人で歩いて行ける。
一人で立てる。
一人で生きていける。
もう、他人の手は必要ない。
そう思った。
…今度、また機会があれば聴きに行こう。
ダエーヴァと、それからアフラの話を。
そして善と悪の闘いに、自分も参加して強くなろう。
自分の身を守る為の、力を身に着けるのだ。
安心する為の、力を。
薄暗い時間帯の、ぼんやりとした空気の中で、彼女はぐっと右手に力を込めて握った。
両眼を近づけて、その浮き上がった細い血管の微細を、しばらく眺める。
…不意に視界が端からぼやけ始めた。
「……!?」
慌てて周りを見回す。
周囲の人や物の光景が、牛乳瓶の底を通して見るかの如くぼんやりとして彼女の目に、映った。
甲高い金切り声が、透子の喉の奥から響き渡る。
「太歳を食べなきゃ!」
彼女は学校指定の靴で地を蹴った。
そして、通学鞄を放り投げんばかりの勢いで駆け出す。
自宅へと。
「見えなくなっちゃう!」
罠に掛かって、身動きを封じられた狐の様に狼狽しながらも、彼女は走った。
グニャグニャと歪んでいく光景を振り切って、透子は走り切り、自宅のドアのドアノブを握る。
「お父さん!たいさ…」
悲鳴じみた高い声が、ドアを空けた先に踏み込んだ瞬間に窄む。




