【侍】×KILL 弐
暗闇。
空も地面も全てが黒く染まっている。
どこまでも続く空間に“彼”は立っていた。
その場所を彼は知っている。
彼は何度もこの場所に来たことがある。
何度も来ているが決して来たい場所ではないことも、彼は知っている。
「早く行かなきゃ。」
自分に言い聞かせて歩みを進める。
どこに辿り着くでもない。
道があるわけでもない。
それでも歩かなければその場所からは抜け出せない。
息が苦しい。
この場所は駄目だと彼に教えてくれている。
次第に歩くペースが上がる、同時に息もより乱れる。
しばらく歩いて、彼は足を止めた。
目の前には“あの人”がいた。
いつもこの場所で出会うあの人。
いつものことだが、暗闇で姿はよく見えない。
でも彼にはわかる。
あの人のことはよく知っている。
「何をやっている。」
あの人が問いかける。
見えていないのに、少し険しい表情でそう言ったのが彼にはわかった。
「僕には、何もできない。」
少し言葉を詰まらせて、彼は答える。
その答えにあの人は笑った。
「いや違うな。」
彼にはわかっていた。
あの人が言いたいことも、次の言葉も。
「お前は何もしないだけなんじゃないか?」
すぐには答えられなかった。
彼は俯く。
何度も言われている言葉に何度も答えようとした。
だが答えは出なかった。
どうすれば良いのか彼にはわからなかった。
「何をすれば良いのかわからないんだ。」
あの人がまた笑った。
「それを自分で考えるんだ。」
そう言ったあの人の足元から暗闇が溢れだす。
影が実体となり、あの人の体を包み込むように大きくなった。
まただ。
また奴が──。
「考えろ。」
その言葉を最後にあの人は姿を変えた。
巨大な影の生き物。
妖怪。
彼はそいつを知っている。
人の心の闇を喰らう影の生き物──“カゲロウ”と人々は呼ぶ。
この場所に来るたびにあの人と会い、会話を交わした後にあの人は必ずカゲロウになる。
そして、彼に試練を与えるかのように襲いかかる。
「やめろ──。」
見上げるほどの巨大をもつカゲロウを目の前に、彼の足は少しずつ後退する。
「やめてくれ!」
後ろに振り返り、走りだす。
彼に合わせてカゲロウは唸り声を上げた。
鋭い目を光らせて、逃げる彼の後を追う。
「やめてくれ──!」
カゲロウは本能のままに行動する。
彼の言葉は理解できていない。
それ故に、彼を踏み潰そうと足を振り下ろす。
彼はできる限り走る速度を上げて、思い切り跳んだ。
地面に滑り込むと同時に強い衝撃で彼の体はまた宙を浮く。
一回、二回──数十回、彼の体は回転し、地面に叩きつけられた。
痛みがあるような、ないような、不思議な感覚が彼を襲う。
だが間一髪でカゲロウの攻撃を避けることができたのが幸いであった。
彼はすぐに立ち上がって構えた。
彼の腰には刀の鞘が付けられている。
勿論、刀も納刀されている。
これは彼の刀だ。
彼は侍であり、彼の刀だ。
“抜刀”すればこのカゲロウとだって戦える。
彼は刀の柄に手を掛けた。
「やってやる。」
力強く、刀を引っ張った。
だが、刀は抜けない。
とても重い。
もう一度、力強く引っ張る。
それでも抜けない。
何かに引っかかっているわけじゃない。
まるで始めから抜けないかのように、刀は全く動かなかった。
「どうして──。」
刀は抜刀して始めて武器としての意味を成す。
抜けなければ意味はない。
「どうして!!」
彼の叫びを掻き消すようにカゲロウは唸り声を上げた。
次の一撃の合図だ。
右手を高く振り上げる。
次に振り下ろされた時、彼は避けることも防ぐこともできないだろう。
彼の脳裏にあの人の言葉が過ぎる。
“なにをやっている”
今の彼にはその言葉がとても重く感じた。
「わかってるよ!」
自分にも言い聞かせた。
刀はびくともしない。
「けど──何もできないんだ!」
叫びは虚しく届かず。
カゲロウが右手を振り下ろした。
刀はやはり動かないままだ。
彼は目を閉じた。
全てが終わると思ったから。
何もできなければ、この闇の世界からは抜け出せない。
この冷たい世界からは。
その一瞬に、彼は気付いた。
背後から温もりを感じる。
それは暖かいとも言い切れない温もりだった。
誰かが背後にいる。
彼は感じたが動けなかった。
その誰かは彼を後ろから優しく抱きしめた。
「安心しろ──。」
美しくて、悲しさを感じる声色だ。
彼の心臓の鼓動の高鳴りが速くなる。
「恐ることはない──。」
この声もこの言葉も彼は聞いたことがある。
「心を我に委ねよ──。」
その意味はわからない。
だが聞き捨てることもない。
「そうすればお前は奴を──。」
彼は小さく頷いた。
いつの間にか彼の瞳は紅く光り、そして黒い波動をその身に纏っていた。
彼自身それがいつからかはわからない。
ただ今は心のままに行動すれば良い。
そうすれば──。
「お前を斬ることができる──!!」
そう言い放った彼は次の瞬間、刀を引き抜いた。
引き抜くと同時に水平に振り、カゲロウの腕を切り落とす。
カゲロウは悲鳴のような叫びを上げる。
彼は止まない。
今度は両手で柄を握り力強く振り下ろす。
素早く、綺麗にカゲロウの腹を切り裂いた。
悲鳴が掠れていき、カゲロウの肉体は消滅を始める。
終わるのは彼ではなく、カゲロウの方だ。
彼は紅い瞳を光らせたまま黙って消滅を見届けた。
肉体が全て消えると、その後にはあの人がいた。
彼にはよく見慣れた姿だった。
あの人の腹がカゲロウと同じように斬られ、大量に出血している。
口からも血を吐いている。
彼は戸惑った。
どういうことだ、と驚愕する。
彼が斬ったのは“間違いなくカゲロウだった”。
でも目の前にいるのはあの人だ。
彼が斬ったのはカゲロウではなく“あの人だった”。
彼は言葉が出せなかった。
この光景は何度も見ている。
何度も、何度も。
この世界に来るたびに彼はあの人をその手で斬ってきたのだ。
目の前で血を流し倒れていくあの人の姿。
これで何度目だろうか。
「“また”殺ったな?」
背後の声はそう言って微笑んだ。
そうだ、この世界は──。
彼は全てを思い出した。
そして、またこの世界にやってくるだろう。
その時にはまた全てを忘れて、再びあの人を殺してしまうのだ。
彼は考えることをやめて、世界を壊すほどにただ叫んだ。




