第6話:狂犬との出会い
「ふぅ……ひとまず、こんなところか」
みあとの通話を切った後、駆は事務所のデスクで大きく息を吐き、椅子の背もたれに深く身体を預けた。
時刻は深夜一時半。
一晩で手に入れた『音無すず』の大バズと、古巣『Live:CLOWN』の不穏な動き。そして親友・神代弦との電撃的な合流。怒涛のように過ぎ去った一日のせいで、駆の脳は完全に覚醒してしまっていた。今から布団に入ったところで、とても眠れそうにない。
「少し、頭を冷やすか……」
駆は黒いトレンチコートを羽織ると、四畳半の事務所を後にした。
駆が事務所を構えているのは、豊島区・池袋の片隅にある年季の入った木造アパートだ。深夜の池袋は、昼間の賑やかさとは打って変わって、ネオンの光とどこか退廃的な空気が混ざり合う独特な熱気を持っている。
缶コーヒーでも買おうと夜の街を歩いていた駆の目に、ふと、見慣れた緑色のアクリル看板が飛び込んできた。
『アミューズメントCC 池袋西口店』
ビルの一角にある、夜のゲーマーたちが集う昔ながらのゲームセンターだ。駆自身、大手時代にはプロゲーマーの育成やデータ分析、ゲームイベントの企画なども統括していたため、格闘ゲームの最新トレンドをチェックするために、今でも時折こうして現場の空気を吸いに立ち寄ることがあった。
重いガラス扉を押し開け、タバコの煙の匂いと大音量の電子音が渦巻く店内へ足を踏み入れた、その時。
一番奥にある対戦格闘ゲームの島から、店の騒音を突き破るような、低く鋭い女の子の声が聞こえてきた。
「ハッ、どいつもこいつもクソ雑魚ナメクジがよぉ……! 少しはアタシを熱くさせてみろってんだよ!」
あまりにもトゲのある、しかし聞き覚えのあるハスキーボイス。
駆の足が、自然と止まった。
声のする方へ目を向けると、最新の2D対戦格闘ゲーム『ブラッド・レボリューション』の筐体の前に、その少女は座っていた。
鮮やかな赤髪のショートヘア。
だらしなく肩を崩して羽織った、ア〇ダスの赤ジャージ。
そして、ゲーム画面を睨みつける、肉食獣のように獰猛で鋭い瞳。
「あかぎ、蓮……?」
駆は思わず、声に出さずにその名前を呟いた。
間違いない。ここ数日間、駆が『Vスタ』の第二の矢として目をつけ、動画や配信をチェックしていた、あの個人勢のガチ喧嘩格ゲーVTuberだった。
まさか、自分が息抜きに立ち寄った近所のゲーセンに、本物がジャージ姿のまま座っているとは。まさに運命の巡り合わせだ。
彼女は信じられないような速度でレバーを回し、ボタンを弾いていた。その指の動きは、もはや人間の反射神経の限界を超えているようにすら見える。
画面の中の彼女のキャラクターが、一瞬の隙を突いて完璧な即死コンボを叩き込み、対戦相手の体力を一瞬で消し飛ばし、画面に大きく『WIN』の文字が躍る。
対面に座っていたサラリーマン風の男が、悔しそうに、そして彼女の放つただならぬ「狂犬」のオーラに怯えるようにして席を立ち、逃げるように去っていく。
これで、彼女の連勝数は『22』に達していた。
周囲にいたギャラリーのゲーマーたちも、彼女の圧倒的な強さと、何よりその近づきがたいガラ悪さに気圧され、次の一歩を踏み出せずにいる。
蓮は退屈そうに首を鳴らし、スマホをいじり始めた。
その横顔には、どれだけゲームで勝っても満たされない、焦燥感と苛立ちが張り付いている。
ゲームの腕はプロ級。トークのキレも抜群。
なのに、誰も彼女の本質を認めない。配信では環境のせいで本気が出せず、「ただの口の悪い痛い女」として消費され、海の底で燻っている原石。
(可哀想に。檻が狭すぎるんだよな、この娘は)
駆は不敵に微笑むと、コートのポケットから、100円玉を1枚、指先で弾いた。
チャリン、と硬質な音が響く。
誰もが挑戦を躊躇うその筐体の対面席に、駆は迷いのない足取りで歩み寄り、静かに腰を下ろす。
レバーを握り、コイン投入口に100円玉を滑り込ませた。
夜のゲーセンの静寂を破るように、挑戦者を告げる鋭い電子音が鳴り響く。
駆はマイクの繋がっていない筐体の向こう側、画面のクリアパネル越しに、怪訝そうな目を向けてきた赤髪の少女を見据えた。
「格闘ゲームの腕はプロ級。なのに、配信じゃただの不快なキレ芸扱い。……もったいないね、あかぎ蓮さん」
「……あ?」
筐体のスピーカー越しではない、駆の生身の声が、蓮の鼓膜を叩いた。
隠しているはずのVTuberとしての名前を言い当てられた少女の瞳に、一瞬で、本物の殺気が灯る。




