第5話:守るためのルール
その日の夜。白雪みあの自宅とディスコードを繋いだ駆の表情は、いつになく険しかった。
『あの……織田さん? 何だか、すごく怖い顔をしていませんか……?』
画面の向こう、アバターを通してもみあが不安そうに身を縮めているのが分かった。初配信で1万人以上の登録者を得て、さぞかし夢見心地の夜を過ごしていたのだろう。だが、駆はプロのマネージャーとして、あえて冷徹なトーンを崩さなかった。
「みあちゃん。浮かれているところに水を差すようで本当に申し訳ないが、今から『Vスタ』の所属ライバーとして、最も重要で、最も恐ろしい話をさせてもらう。背筋を伸ばして聞いてほしい」
『は、はいっ……!』
みあの声が緊張で強張るのを確認し、駆は本題を切り出した。
「単刀直入に言う。君の昨夜のバズを受けて、業界最大手の『Live:CLOWN』が裏で動き始めた。彼らは今、血眼になって『音無すず』の中の人——つまり、君の現実の身元を特定しようと調査班を動かしている」
『え……!? らいぶ、くらうん……って、あの誰もが知っている大手の……? どうして、私なんかを……?』
「君の才能が、彼らにとってそれだけ脅威だからだ。大手のプライドは、個人勢のポッと出のライバーに一晩でトレンドを奪われたことを許さない。そして、もし君の背後に元チーフマネージャーの俺がいると知れば、彼らは手段を選ばず君を潰しにかかるだろう」
駆は画面共有で、かつて自分が大手時代に処理してきた「ライバーたちの生々しいやらかしと被害の資料」をみあに見せた。プライバシー保護のために名前は伏せてあるが、そこに並ぶ文字はどれも凄惨なものばかりだった。
「これは脅しじゃない。ネットの悪意と大手の情報網を舐めないでくれ。VTuberの身バレなんて、素人が思っているより遥かに簡単に起きるんだ」
駆はキーボードを叩き、具体的な危険因子を画面に列挙していく。
「例えば、君がSNSに何気なくアップする画像だ。コンビニで買ったスイーツの写真一枚でも、パッケージに反射した部屋の景色や、窓の外の光の角度で、君の住んでいる大まかな地域が特定される。それだけじゃない。瞳のレンズのハイライトに映り込んだスマートフォンの形や、部屋の間取りからアパートの構造を割り出す特定班も実在する」
『ひとみの……映り込み……!?』
「そうだ。さらに厄介なのは音だ。配信中に外を走った救急車のサイレンの音、選挙カーの声、あるいは近所の独特な鳥の鳴き声。これらが他のユーザーの投稿と合致した瞬間、君の住所は秒単位でネットの掲示板に晒されることになる」
みあの息を呑む音が、スピーカー越しに聞こえた。一晩で手に入れた栄光の裏側に、これほどまでにどす黒い深淵が広がっていたなど、彼女は想像すらしていなかったのだろう。
『あ……う、あ……』
回線の向こうで、みあが恐怖のあまり小さく震え、呼吸が浅くなっているのが分かった。
少し厳しく言い過ぎたかもしれない、と駆の胸が痛む。しかし、ここで甘い顔をして彼女の人生を壊すことだけは、絶対に避けたかった。
「怖がらせてしまってすまない。でも、これが『人気ライバー』になるということの、逃れられない宿命なんだ」
駆はトーンを少し落とし、包み込むような優しい声に変えた。
「だからこそ、俺が用意した『Vスタ』の防衛ルールを完璧に守ってほしい。スマホのカメラレンズには常にシールを貼ること。外で写真を撮る時は背景を完全にぼかすか、特定不可能な場所だけにすること。そして——何か少しでも不審なことや、不安なメッセージが届いたら、どんなに小さなことでもすぐに俺に報告すること」
駆は画面の向こうの彼女を見つめるように、真っ直ぐに語りかけた。
「大手がどれだけ汚い手を使ってこようが、ネットの悪意が君を囲もうが、関係ない。君の身の安全も、その誰よりも綺麗な歌声も、俺がこの命に代えても守り抜く。君の後ろには、プロのマネージャーである俺がついている。だからみあちゃん、俺を信じて、君は安心して『うた』のことだけを考えていてほしい」
しばらくの間、静寂が流れた。
やがて、画面の中の『音無すず』のアバターが、ぽろぽろと涙を流すモーションを見せた。中ののみあが、泣いているのだ。
しかし、それは恐怖の涙ではなかった。
『……はい。織田さん……』
みあは涙を拭い、鼻をすすりながら、力強く頷いた。
『わたし、すごく怖いです……。でも、織田さんがそう言ってくれるなら……私、何も怖くありません。織田さんの作ったルール、絶対に守ります。私を守ってくれる織田さんのために……わたし、もっともっと、いい歌を歌いたいです……!』
その言葉には、ただのマネージャーと所属タレントという関係を超えた、絶対的な信頼——そして、かすかな、けれど確かな恋心の熱が宿っていた。
「ああ、ありがとう。一緒に歩んでいこう、みあちゃん」
深く息を吐き、駆はミーティングの終了ボタンを押した。
ひとまず、第一の矢への防衛網は張れた。みあの防犯意識が高まっただけでも、大きな収穫だ。
みあとの通話を切った後、駆は事務所のデスクで一人、冷えたコーヒーを口に含んだ。
時計の針は間もなく深夜一時を回ろうとしている。
「さて……みあちゃんの防衛と並行して、攻めの手も緩めるわけにはいかないな」
大手が『音無すず』に人員を割いて混乱している今こそ、第二の矢を放つ絶好の好機。
駆は手元の資料を見つめた。そこには、まだ見ぬ次なる「原石たち」のデータが並んでいる。
「待ってろよ、Live:CLOWN。お前たちが使い捨てたパーツを集めて、誰も追いつけない最強のグループを作ってやる」
駆は静かにノートPCを閉じると、大きく背伸びをした。
覚醒した脳を冷ますため、そして明日からの激闘に備えるため、少し夜の街へ散歩にでも出ようと、駆は黒いトレンチコートを羽織って事務所の扉を開けた。
外は、冷たい深夜の静寂に包まれている。
しかし、駆の胸の奥で燃える闘志の炎は、これまでになく熱く燃え上がっていた。




