第49話:休日ーその➀
「……というわけでだ。お前ら全員、明日は強制休業とする!」
前日のスタジオ後始末の際、マネージャーの駆が手帳をパンッと叩きつけて放ったその一言から、すべては始まっていた。
「案件、配信、特訓……熱が入るのは結構だが、根を詰めすぎて倒れられたら元も子もない。明日は配信も練習も一切禁止。しっかり羽を伸ばしてこい。これはマネージャー命令だ。……分かったな?」
——そう言われてポカンと立ち尽くしていた三人のうち、一番最初に「じゃあさ!」と顔を輝かせたのは、音無すず……その中身である「みあ」だった。
休日当日の午前10時。
夏の名残を感じさせる柔らかい日差しが注ぐ、都内有数の商業エリアの駅前広場。休日ということもあり、待ち合わせをする人々や買い物客で賑わっていた。
「あ、蓮ちゃん! ルナちゃん! ここ、ここーっ!」
人混みの中で、すずはパタパタと大きく手を振った。
今日のみあは、普段の配信で見せる「音無すず」のおとなしいイメージとは少し違う、フリルが控えめにあしらわれたオフホワイトのワンピースに薄手のカーディガンを羽織った、可憐で上品な装いだった。柔らかい髪も軽やかなハーフアップにまとめられ、お出かけ前のワクワクが隠しきれずに頬がほんのり桃色に染まっている。
「……たく、朝早くから呼び出しやがって。アタシは家でトレモ回してた方が落ち着くんだよ」
文句を言いながら歩み寄ってきたあかぎ蓮は、黒のオーバーサイズパーカーにスキニーパンツ、足元は履き古したハイカットスニーカーという、実に蓮らしいボーイッシュなストリートスタイルだ。赤髪を隠すように黒いキャップを深めにかぶり、首にはお気に入りのワイヤレスヘッドホンを引っかけている。
「そう言いながら、集合時間の15分前には到着していたではありませんか、蓮ちゃん。カフェの場所も事前に検索していたのでしょう?」
最後に静かに姿を現したのは、天月ルナだった。
飛鳥は知的な印象を崩さないシックなロングトレンチコートに、落ち着いたネイビーのタートルネックニット。フレームの細いメガネを指先でスッと直し、すれ違う人が思わず振り返るような、洗練された大人びた雰囲気を纏っている。
「うるせぇ! たまたま早く着いただけだ、余計な分析すんな!」
「ふふ、二人とも、今日は配信じゃないんだから、いつものVの名前じゃなくて本名で呼んでもいいんだよ?」
みあがクスクスと笑うと、蓮は「あ……」と口をごもごもさせ、照れくさそうに明後日の方向を向いた。
「……まぁ、そうだけどよ。リアルで顔合わせて私服で出かけるのなんて、なんか変な感じだな」
「そうですね。画面越しやスタジオでの機材チェック以外で、こうして三人で街を歩くのは……確かに少し不思議で、新鮮な感覚です」
飛鳥も周囲の賑わいに視線をやりながら、小さく息を吐いた。
「ねえねえ! 駆さんに『羽伸ばしてこい』って言われた時、私、ずっと考えてたんだ!」
みあは胸の前でキュッと手を握り締め、二人の顔を交互に見つめた。その瞳は、年相応の少女としての「憧れ」と「ときめき」でキラキラと輝いている。
「私ね、この三人で……Vのキャラクターとしてじゃなくて、『私たち』として普通に美味しいもの食べたり、お買いものしたり、おしゃべりしたりしたかったの! ずっと、ずっとやりたかったんだよ!」
VTuberとしてデビューして以来、目まぐるしく変わる環境、数字との戦い、歌のレッスン、そしてイベントの準備。走り続けてきた日々のなかで、みあがずっと心に秘めていたのは、そんな「友達と一緒に過ごす、普通の休日の輝き」だった。
「……みあちゃん」
飛鳥が柔らかく目を細める。蓮もキャップのつばをキュッと引っ張りながら、バツが悪そうに口元を緩めた。
「……ったく。お前がそうやって目を輝かせたら、断れるわけねぇだろ」
「えへへ、ありがとう! じゃあまずね、私がいっしょう懸命リサーチした、今SNSで大人気の『いちごタルト』が美味しいカフェに行こう! そこ、内装もすごく可愛いんだよ!」
「カフェぇ? アタシはがっつりラーメン屋とかの方がいいんだが……」
「ダメ! 今日は私のプロデュースなんだから! 蓮ちゃんもルナちゃんも、私についてきて!」
みあは二人の手を左右からキュッと握ると、弾むような足取りで人混みの中へと歩き出した。握られた手に伝わる、温かさと確かな体温。画面の向こう側の存在ではなく、今ここにいる自分たちだけの時間が、ゆっくりと動き出していた。
みあに引かれて賑やかなメインストリートを抜け、少し奥まったおしゃれな裏通りへと入っていく。緑の植栽に囲まれたレンガ造りの建物が現れ、その1階にあるのがみあのお目当てのカフェだった。
ガラス張りの店内には温かみのある電球色の照明が灯り、アンティーク調の家具が並んでいる。甘い焼き菓子の香りと芳醇なエスプレッソの香りが漂う空間に、みあは「うわぁ……!」と思わず歓声をあげた。
「見て見て! 噂通り、すっごく素敵なお店! 店内のインテリアもアンティーク風で可愛いよ!」
「……うぐ、なんかおしゃれすぎて落ち着かねぇ。アタシみたいな奴が入って大丈夫か、ここ……?」
入口の看板や店内のおしゃれなカップルたちを交互に見ながら、蓮が縮こまるように肩をすくめる。パーカーのフードを目深にかぶり直そうとする蓮の腕を、みあが「大丈夫だよ!」とぎゅっと抱え込んだ。
「蓮ちゃん、すごく似合ってるよ! カッコいいストリートスタイルだから、こういう落ち着いたカフェにもぴったりだもん!」
「な、撫で下ろすようなこと言ってんじゃねぇよバカ……!」
「ふふ、席が空いているようですわ。行きましょう」
飛鳥がスマートに店員へ声をかけ、三人は奥の落ち着いたソファー席へと案内された。
大きな窓から差し込む木漏れ日がテーブルを照らす中、みあはメニュー表を広げた瞬間に「キャーッ!」と小さな悲鳴を上げた。
「見てこれ! 季節限定の『贅沢あまおうのスペシャルいちごタルト』! 写真だけでもすっごく美味しそう……! あ、でもこっちのクラシックショコラも捨てがたいなぁ……どうしよう、選べないよ〜!」
メニューの写真を指差しながら、みあは目を輝かせてウンウンと頭を抱えている。配信での大人しく澄んだ歌声を聴かせる「音無すず」とはまるで違う、等身大の女の子としての可愛らしさが弾けていた。
「落ち着きなさい、みあちゃん。ケーキは逃げませんよ」
飛鳥がクスッと笑いながらメニューを覗き込む。
「……とはいえ、確かに魅力的ですね。タルト生地の質感や、使用されているクリームの比率……パティシエのこだわりが感じられます。みあちゃんが迷うのも理解できますよ」
「飛鳥ちゃんまでスイーツをデータ分析みたいに言わないでよ〜! でも、本当にどれも美味しそうで困っちゃう!」
「アタシは……この『ブラックコーヒー』でいいや。甘いのは柄じゃねぇし」
「えーっ! ダメだよ蓮ちゃん! ここはタルトが有名なんだから、絶対に一口は食べてみてほしいの! 私が半分あげるから!」
「へっ!? お、お前の食いかけなんて……! いや、そうじゃなくてだな……!」
顔を赤くして狼狽する蓮と、楽しそうにメニュー選びを続けるみあ、そして二人のやり取りを愛おしそうに見つめる飛鳥。
日常の喧噪も、配信のプレッシャーも届かないこの小さなカフェの席で、三人だけの特別な時間が静かに深まり始める。




