第40話:因縁の獣と限界の先
「……嘘、だろ……」
モニターに表示された対戦相手のIDを見つめた瞬間、蓮の背筋に氷のような戦慄が走り抜けた。
『REIGN CHAMPIONSHIP』決勝戦。
Vスタの看板を背負って挑んだあの大会で、蓮が手も足も出ずにパーフェクト完封負けを喫したトラウマの主。世界の頂点に君臨する怪物、VULCAN。
「まさかこんな所で鉢合わせるとはな。奴はEVO JAPANの優勝賞金と話題をかっさらうために、わざわざ別名義で日本のオンライン予選に潜り込んでいたらしい」
OUKAが冷たく言い放つ。
あの日、大勢のリスナーが見守る配信で、一かすりもできずに画面端で叩き潰された屈辱と絶望の記憶が蘇り、蓮の華奢な指先がガタガタと震え出す。
「……あいつ、Vスタの……アタシのこと、一小擦りもしないで殺した奴だ……」
「ビビってんのか、蓮」
駆の低い声がスタジオに響く。
蓮はビクッと肩を揺らすと、自分の両頬をパチィンッ!!と激しい音を立てて張り飛ばした。
「ハッ……! 冗談言うなよ!! 震えてんのは恐怖じゃねぇ……あいつを噛み殺せる歓喜で身体が痺れてんだよ!!」
ギチッ、とアケコンを握り締める指に血が通う。
狂犬の瞳に、爛々と燃え盛る執念の炎が灯った。
『GAME 1 —— FIGHT!』
画面が切り替わった瞬間、息をのむような超高速の牽制戦が始まった。
ヴァルカンの使うキャラクター『ゼウス』の圧がスタジオの空気を激変させる。間合いを詰める一歩、技を置く一秒の隙すらない。
「くっ……相変わらず固ぇな、クソ野郎が!! あの日とは違う……! 今のアタシには、OUKAと叩き込んだワザがあるんだよ!!」
ヴァルカンは蓮のガードの隙間を突くべく、しゃがみ中パンチからの微ダッシュ崩し、さらには空中からの表裏二択をノータイムで仕掛けてくる。
だが、蓮は数日間の地獄の特訓で培ったフレーム知識と野生の勘で、相手の技の終わり際に完璧なジャストガードを合わせ、反撃の隙を与えない。
『な、なんだぁぁぁーっ!? あのVULCANの怒涛のラッシュを、あかぎ蓮が全ガードしているぅぅッ!!』
公式配信の実況が絶叫する。
『Vスタの蓮マジかよ!?』『あのヴァルカン相手に互角!?』と、配信画面の『チャット欄』は大炎上を起こしていた。
しかし、ヴァルカンもまた怪物だった。
蓮が確定反撃のしゃがみ強パンチを叩き込もうとした瞬間、あえて技の硬直を投げ技でキャンセルする超技術『遅延グラップ』を発動。蓮の反撃の0.02秒の隙を逃さず、超反応のカウンターをねじ込んでくる。
「ぐあぁッ!?」
第1ゲームは、ミリ単位の読み合いの末にヴァルカンが先取した。
続く第2ゲーム。蓮の思考はさらに加速する。
「遅延グラップで反撃を潰す癖……見切ったぜ!!」
今度は反撃の技を直接叩き込まず、一瞬だけ間合いを外す『誘い』を見せる。
ヴァルカンの空振った投げモーションの硬直に、溜め込んでいた最大火力のハイパーコンボを叩き込む。
完璧なフレーム消費からの起き攻めでヴァルカンを完封し、第2ゲームを取り返した。
『GAME 2 —— WINNER:REN AKAGI!(セットカウント 1 - 1)』
「ハァ……ハァ……ハァ……っ!!」
防音スタジオの中は、エアコンが効いているはずなのに熱湯のような熱気に包まれていた。
BO3の最終第3ゲーム。互いに1ラウンドずつを取り合い、残された最終ラウンド。
お互いの体力ゲージはどちらも残り1ミリ。あとパンチ一発、いや削りダメージの一撃でもかすれば死ぬ、完全なる限界状態。
「……手が、動かねぇ……っ」
激しすぎるコマンド入力の連続で、蓮のバンテージを巻いた指先は完全に感覚を失いかけていた。視界が明滅し、酸欠で頭が激痛に苛まれる。
「蓮! 集中を切らすな!」
背後からのOUKAの怒号すら、水の中にいるように遠く聞こえる。
画面の向こう、ヴァルカンもまたモニターの前で汗だくになり、獰猛な笑みを浮かべていた。あの『REIGN』の時にいたただのVTuberではない。目の前にいるのは、自分の命を刈り取りに来た本物の怪物だと理解したからだ。
ここでヴァルカンが仕掛けたのは、この土壇場での『精神的揺さぶり』だった。
間合いを一切詰めず、じりじりと後退する。
あと一撃で勝てるという焦りを誘い、蓮に無理な突進をさせ、そこに迎撃技を置くハメ技の構え。
「チッ……誘ってんのか……? 焦って突っ込んだら迎撃されて終わりだ……。けど、このまま削り合いになれば回線とフレームの理で有利なのはあっちだ……!」
秒針が刻一刻と削られていく。
残り時間はわずか5秒。
「理を捨てろ。最後に残るアタシの武器は——相手を喰らい尽くす野性だ!!」
ヴァルカンが迎撃技のボタンを押す『1フレーム手前』。
蓮はガードも引き足も捨て、自らのキャラクターを相手の懐へと一直線に突進させた。完全に相手の思考の裏をかく、狂気の超近接特攻。
「死ねぇぇぇっ!!」
ヴァルカンが焦って技を出そうとした瞬間、蓮のキャラがその懐に入り込む。
勝負を決める、渾身のコマンド入力——!
「あぁぁぁぁぁッ!! ぶっ飛べぇぇぇぇぇッ!!!!」
勝った。絶対に勝った。
誰もがそう確信した、その絶対の勝利の瞬間。
ヌルッ。
激闘の末にびっしょりと汗をかいた蓮の親指が、アケコンのレバーの頂点で滑った。
「な……ッ!?」
カチャッ、と虚しく響く小さなプラスチック音。
入力されるはずだった波動拳コマンドの最後の斜め入力が一瞬だけ抜け、コマンドが成立しない。
技が出ないまま、蓮のキャラクターは無防備な無敵切れの隙を晒してヴァルカンの目の前に飛び込んでしまう。
「あ……」
ヴァルカンの指が反射的に動く。
『勝者——VULCAN!! GAME SET!!』
画面いっぱいに躍り出る「YOU LOSE」の惨酷な赤文字。
「……あ」
蓮の細い指先が、アケコンの上でピクリとも動かなくなった。
スタジオを支配したのは、あまりにも静かな無音。
『チャット欄』には『マジか……』『今のコマンドミスか!?』『最後滑ったろこれ……』『うわあああ惜しすぎる!!』というコメントが途方もない速度で埋め尽くされていく。
画面の向こう、勝利したヴァルカンすらも、信じられないものを見たようにカメラ越しに絶句していた。実力でも、立ち回りでも、駆け引きでも負けていなかった。ただ最後の最後、自分の身体が流した「汗」に足をすくわれたのだ。
「……クソっ」
ポタポタと、アケコンの天板に蓮の涙と汗が落ちていく。
「……クソッ!! クソがぁぁぁぁぁッ!!!!」
アケコンに突っ伏し、少女は悔しさのあまり全開の地声で泣きじゃくった。
その背中を、OUKAは冷たく突き放すこともなく、ただ静かに見つめていた。
「……ルーザーズへ回るぞ、蓮。……次は、滑らせるな」
狂犬の爪は折れていなかった。
敗北の悔し涙を血肉に変え、あかぎ蓮の本当の地獄からの逆襲が、ここから始まろうとしていた。




