第31話:不敵なる笑み
弦のプライベートスタジオは、未だ熱気と笑い声に包まれていた。
「あ、ルナちゃん! こっちのから揚げも食べてみて! 弦さんが特製ダレで作ってくれたやつなんだけど、すごく美味しいんだよ!」
「えっ、本当!? いただくね……んんっ! すごくジューシーで美味しい……!」
「ふふん、でしょー! 隠し味に生姜とリンゴを擂り下ろして入れてるんだよね。配信前の喉にも優しい仕様だよ!」
みあ、弦、そして天月ルナがテーブルを囲み、無邪気に笑い合っている。
タコ焼きを口に放り込みながら、蓮はその様子を少し離れた位置から黙って眺めていた。アケコンを抱えた腕には、まだじっとりと冷や汗が滲んでいる。
「……ねえ、ルナちゃん」
みあがグラスを傾けながら、ふと思い立ったようにルナに問いかけた。
「ルナちゃんは……Live:CLOWNにいた頃と今とで、一番何が違うって感じる?」
その問いに、ルナは一瞬だけ遠い目をした。だが、すぐに温かい微笑みを浮かべ、手に持ったグラスをそっと見つめる。
「うーん……そうだなあ。CLOWNにいた頃はね、『完璧な天月ルナ』でいなきゃいけないプレッシャーがすごくて……プロとしての数字とか、評価ばかり気にして、歌うことがどんどん苦しくなってたの」
ルナの言葉に、楽屋の空気がすっと静かになる。
「でも、Vスタに来て……みあちゃんや弦さん、駆さんと話して、みんなとバカ騒ぎする配信の楽しさを知ったの。ファンのみんなとリアルタイムで笑い合って、バカなことで盛り上がって……『ああ、歌ってこんなに自由で楽しかったんだ』って、思い出したんだ」
ルナは胸の前で小さな拳をキュッと握りしめた。
「だからね、私……欲張りかもしれないけど、どっちも諦めたくないの」
「どっちも……?」
みあが首をかしげる。
「うん。『プロとしての圧倒的な歌』を届けて頂点を目指すのも……Vスタのみんなやリスナーさんと一緒に、泥臭くバカ騒ぎする自由な時間も。どっちか一つなんて選べない。私は、両方抱えて一番になりたいんだ」
——どっちか一つなんて選べない。両方抱えて一番になる。
ルナのその一言が、蓮の脳腔を雷のように撃ち抜いた。
(……どっちか……一つ……?)
蓮の頭の中で、さっき廊下で駆に突きつけられた言葉が激しくリフレインする。
『プロになって勝ちだけを求める修羅になるか』
『このままVスタで好き放題やる気楽な配信者でいるか』
(……ふざけんなよ……)
蓮は深く俯き、前髪の隙間からギラギラとした狂暴な光を宿した瞳を覗かせた。
(なんでアタシが……どっちかを捨てなきゃなんねぇんだよ……!? 負けたまま配信で『ネタ』にして笑うのも嫌だ……! でも、Vスタのこの居場所やリスナーとのバカ騒ぎを捨てるのも……絶対に嫌だ……!!)
「……おい、駆」
低く、地鳴りのような声が響いた。
賑やかだったスタジオが一瞬で静まり返る。
部屋の隅、機材の影で静かに炭酸水を傾けていた駆が、ゆっくりと視線を蓮へ向けた。
「蓮ちゃん……?」
みあが心配そうに顔を覗き込むが、蓮はそれを手で制し、まっすぐに駆の前へと歩み出た。
胸に抱えていたアケコンを、ドカンと重い音を立てて近くのテーブルへ叩きつける。
「アタシは……負けたままじゃ絶対に嫌だ。プロになって、あの世界王者の顔面を画面越しに叩き割ってやる!!」
駆は表情一つ変えず、冷たい瞳で蓮を見つめ返した。
「そうか。では、配信者はやめるんだな」
「誰がやめるかっつったよ!!」
蓮は駆の胸倉に掴みかからんばかりの勢いで身を乗り出し、吠えた。
「プロになって世界王者を倒す! でも、Vスタのあかぎ蓮として、リスナーどもとバカ騒ぎする配信も絶対に捨てねぇ! プロの修羅も、自由な配信者も……アタシはどっちも獲る!! 両方やって、両方勝ってやるよッ!!」
スタジオ内に、蓮の咆哮がこだました。
「ちょっと蓮ちゃん!? 無茶苦茶だよそれ!」
弦が焦ってメガネを飛ばしかけながら叫ぶ。
「プロの練習量って半端じゃないんだよ!? 配信しながらプロの第一線で勝つなんて、身体が持たないよ……!」
だが、当の駆は——じっと蓮の瞳を見つめていた。
静寂が支配する空間。
蓮の荒い息遣いだけが響く中……駆の口元が、わずかにピクリと動いた。
「……くっ」
「……あ?」
蓮が眉をひそめた、その瞬間。
「……クハッ……ハハハハハッ!!」
あの織田駆が。
常に冷静沈着で、感情を表に出さず、冷徹な計算だけで動いていたあのプロデューサーが——腹の底から声を上げて、嬉しそうに爆笑したのだ。
みあも、弦も、ルナも、そして蓮自身も、あまりの光景に息を飲んで固まった。
「織田……さん……? 笑って……?」
みあが信じられないものを見るような目で見つめる。
駆はひとしきり笑うと、目元を指で拭い、口角を大きく釣り上げたまま、心底愉快そうに呟いた。
「……『両方獲る』、か。……フッ、これだからお前は面白い」
「……あ?」
「プロになるか、配信者を続けるか。俺が提示した二つの選択肢のどちらかに大人しく収まるような器なら……お前はそこまでの奴だったということだ。だが——」
駆の瞳に、ギラつくような熱い光が宿る。
「与えられた二択を蹴り飛ばし、『両方獲る』と言い放つその強欲さ。超がつくほどのわがままでじゃじゃ馬なキャラ……それこそが、俺が見込んだ『あかぎ蓮』という怪物だ」
「つっ……!!」
蓮は絶句した。
二択のどちらかを選ぶことではなく、その二択すらも自分の欲望で喰らい尽くすことこそが、駆の最初からの狙いだったのだ。
駆は不敵に微笑むと、蓮の前に歩み寄り、その頭をガシガシと乱暴に撫で回した。
「合格だ、蓮。最高に我がままで、最高に強欲な選択をしたな」
「……ハッ……当たり前だろ……! アタシを誰だと思ってんだよ……!」
蓮は乱暴に手を振り払うと、涙の跡が残る顔で、負けじと不敵に笑い返した。
その様子を見届けた駆は、ポケットからスマートフォンを取り出すと、迷いのない手つきで画面をタップした。
コール音が二回鳴り、相手が電話に出る。
『……何の用だ、駆。俺はもう、格ゲーの世界からは足を洗ったと言ったはずだぞ』
スピーカーから漏れ聞こえるのは、低く、どこか世捨て人のような掠れた男の声。
駆は口角を上げたまま、静かに、けれど断固とした声で告げた。
「お前の力を借りたい。……最高の怪物を一匹、手に入れた」
『……怪物だと?』
「ああ。プロの頂点も、配信者としてのバカ騒ぎも……『両方獲る』と言い出した、とびきり強欲でわがままなじゃじゃ馬娘だ」
電話の向こうで、一瞬の沈黙。
そして、フッと鼻で笑うような息遣いが聞こえた。
『……ハッ、バカバカしい。……明日、これから位置情報送るから、そのオフィスビルに連れてこい。化け物か、ただの身の程知らずのバカか……俺が直々に踏みつぶして確かめてやる』
プツリと切れる通話。
駆はスマホをポケットに収めると、不敵な笑みをたたえたまま蓮を見つめた。
「準備をしておけ、蓮。明日から……お前を本当の怪物に変えるための『修羅の特訓』が始まる」
大好きな仲間たちの歓喜の輪の中で、あかぎ蓮の瞳に、世界を喰らい尽くすための本物の不屈の炎が灯った。




