第27話:決戦の夜
運命の夜が、ついに訪れた。
ネット界隈の熱気は、完全に二つの大きな潮流に二分されていた。
ひとつは、日本最大手プロゲーミングチーム主催の格ゲー大会『REIGN CHAMPIONSHIP』。
もうひとつは、個人勢事務所Vスタが届ける一大プロジェクト【#音無すず3Dお披露目ライブ】。
開始10分前。大型レンタルスタジオの楽屋で、みあは姿鏡の前に立っていた。
弦が寝ずに組み上げた最新のモーショントラッキングセンサーが、みあの手首、足首、腰、そして頭部にしっかりと装着されている。
ミラー越しに見えるモニターの中には、担当絵師が魂を込めて三面図を描き上げ、超一流のモデラーが骨組みを入れた、息をのむほど美しく躍動する『音無すず』の3D姿が映し出されていた。
柔らかな髪の揺れ、布地の質感、そして瞬きひとつに至るまで、みあの呼吸と完全に同期している。
「みあ、心臓出そうか?」
パイプ椅子に腰掛けた蓮が、コントローラーを指先で弄びながらニッと笑いかけてくる。
蓮の手元の画面には、すでに格ゲー大会のオンラインロビーが映し出されていた。
「……うん。すっごく怖いです。……でも、それ以上にワクワクしてます」
みあは両手を胸の上で強く握りしめた。
この1ヶ月、足がもつれて倒れても蓮に体幹をしごかれ、声が掠れるまで駆に歌唱の軸を鍛え直され、弦の手によって完璧な『光の衣』を与えられた。
かつて声が出なくなり、暗闇の中で自分を責め続けていたあの日の自分は、もうここにはいない。
「ハッ、いい顔だ。俺も隣の別室で暴れてくる。……お互い、世界にVスタの名を刻むぞ」
「はいっ! 蓮さんも、いってらっしゃい!」
蓮が背中を叩いて部屋を出ていくと、入れ違いにモニターブースから駆と弦が顔を出した。
「みあ、同接は配信開始5分前ですでに8万人を破竹の勢いで突破した。準備はいいな?」
「いつでもいけます、織田さん!」
「よし……行け、音無すず。お前の歌で、世界を叩き起こしてこい」
——夜8時整刻。配信の火蓋が落された。
暗転していた画面が一瞬にして眩い光に包まれ、ステージの中央に『音無すず』が舞い降りる。
『うおおおおおおお始まった!!!』
『3Dモデル凄すぎるだろ!! 髪の揺れも指の動きも完全に生きてる!』
『すずちゃん可愛いいいいいい! 歌うますぎる!!』
1曲目『Re:BIRTH』の重厚なイントロが響き渡った瞬間、みあの指先がしなやかに空を舞った。
ステップを踏み、旋律に合わせて跳躍する。
1ヶ月間の血の出るような特訓は、みあの身体に完璧な体幹とブレない重心を刻み込んでいた。激しいダンスで全身を躍動させながらも、マイクへ通る歌声には一切のブレがない。
透き通るような伸びやかなハイトーン、サビで弾ける圧倒的な声量と感情の渦。
画面の向こうの10万、15万を超える観客たちが、一瞬で彼女の『声』と『存在』に魅了され、チャット欄は圧倒的な熱狂とスパチャの弾幕で画面が見えなくなるほど埋め尽くされていく。
みあは、輝いていた。
スポットライトを全身に浴びながら、歌う喜びを爆発させ、ステージ狭しと駆け巡る。
同接は瞬く間に20万人を突破。コメント欄の流れる速度が早すぎて判読不能になるほどの狂乱。
時を同じくして、隣の配信部屋。
『REIGN CHAMPIONSHIP』の公式配信画面では、実況アナウンサーが悲鳴のような声をあげていた。
『な、なんだこの立ち回りはぁぁぁッ!? VTuber・あかぎ蓮! 現役のプロランカーを相手に一歩も引かないどころか、完全に画面端へ追い詰めている!!』
「ハッ、プロだか何だか知らねぇが……声だけでかくて動きがぬるいんだよッ!!」
狂暴な笑みを浮かべた蓮の指先が、アーケードコントローラーのボタンを凄まじい精度と連打速度で叩き打つ。相手の微小な硬直を見逃さず、最速の目押しでフルコンボを叩き込む。
『勝者、あかぎ蓮! 破竹の勢いで準決勝進出だぁぁぁッ!!』
音無すずの圧巻の歌声と、あかぎ蓮の不屈の拳。
Vスタの二人が、間違いなく今夜のネット世界の熱量を完全に二分し、支配していた。
そして——3Dライブは、いよいよフィナーレとなる最後の曲を迎えようとしていた。
全身から汗を流し、息を荒げながらも、最高に晴れやかな満面の笑顔でカメラを見つめるみあ。
「みなさん……今日は本当に、本当にありがとうございました! 最後の曲、聴いてください……っ!」
みあが胸に手を当て、ラストナンバーのタイトルを口にしようとした、まさにその瞬間。
——ガチャンッ!!
「……え!?」
スタジオを照らしていた全ての照明が、突如として激しく落とされた。
完全なる漆黒。
「え……弦さん? 駆さん……!?」
みあが動揺して袖のモニターブースを見やる。だがイヤモニから流れてきたのは、事前に何度もリハーサルしたトラックではなく——重厚なストリングスと、胸を打ち鳴らすようなドラムが織りなす、あまりにも聞き覚えのある旋律。
それは、みあが声の出なかった絶望の夜、一人押し入れの中で擦り切れるほど聴き続けた『あの曲』のイントロだった。
みあの体が、凍りついたように固まる。
次の瞬間——ステージ上手に、眩い一筋のスポットライトが突如として照射された。
光の渦の中に浮かび上がったのは、繊細で豪華な衣装を身に纏ったアバター。
世間が失踪と退所に揺れ、二度とその歌声を聴くことはできないとファンが絶望していた……。
『天月ルナ』だった。
「……っえ…………!? 天月……さん……!?」
みあのマイクを持つ手が、ガタガタと震え出す。
配信画面の向こうのコメント欄が一瞬だけ完全にフリーズし、次の瞬間、YouTubeのサーバーを崩壊させるほどの弾幕が爆発した。
『え??????????????』
『嘘だろ!? contest!?!?!?!』
『ルナちゃん!?!? なんでそこに居るの!?!?』
『天月ルナだあああああああああああああッ!!!!』
混乱と衝撃で世界が静止する中、ルナが静かにマイクを口元へ寄せた。
まっすぐに見つめてくるルナの瞳。
そこには迷いも恐怖もなく、「音無すずへ全力をぶつける」という強い覚悟の光が宿っていた。
ルナの口から解き放たれたのは、天を突くような、圧倒的な旋律の歌声。
「あ……あぁ……っ……!」
みあの瞳から、大粒の涙がぼろぼろと溢れ出した。
夢にまで見た、自分を救ってくれた憧れの歌声が、今、自分と同じステージの上で響いている。
ルナが歌いながらみあへ一歩ずつ歩み寄り、優しく、けれど力強く手を差し伸べた。
(来なさい、すずちゃん……! あなたの歌を私にぶつけて!!)
言葉のないルナの叫びを受け止めたみあは、涙を袖で叩き切ると、マイクを両手で握りしめ、魂の底から絞り出すような歌声を爆発させた。
二人の声が、重なる。
歌姫・音無すずと、女王・天月ルナ。
1ヶ月間血の汗を流して掴み取ったみあの歌声が、ルナの圧巻の歌唱と互角に渡り合い、互いを高め合い、喰らい合うような奇跡のハーモニーとなってスタジオ全体を揺らしていく。




