第26話:二人の迷い子と、背中を押す手
すずの3Dお披露目ライブ、そして蓮のプロ大会出場まで、あと15日。
Vスタが借り切った都内のレンタルダンススタジオには、荒い息遣いと、床を激しく蹴る足音が響き続けていた。
「ハッ……ハッ……うぐっ……!?」
鏡の前でステップを踏んでいたすずの足がもつれ、激しく床へ倒れ込む。
全身は汗で濡れそぐい、息はあがりきっていた。
「おいすず! 動きが縮こまってんぞ! 歌に集中しすぎて体幹の軸が右にブレてんだよ!」
パイプ椅子に座った蓮が、手元の動画用タブレットを叩きながら容赦ない声を飛ばす。
すずは膝をガクガクと震わせながら、必死に床へ手をついて起き上がろうとした。だが、その瞳には焦燥と恐怖の色が濃く滲んでいた。
(ダメだ……全然動けてない……! 歌声を乗せようとすると体がついてこない……っ)
すずの頭をよぎるのは、画面の向こうで150万人を魅了し続けてきた天月ルナの圧巻のステージだ。
完璧なダンス、揺れない歌声、圧倒的なオーラ。
それに引き換え、今の自分は少し踊っただけで息が乱れ、声がかすれてしまう。
「……蓮さん。私……本当に1ヶ月で、みんなが納得するような3Dライブなんてできるんでしょうか……っ」
ぽつりと漏れたすずの本音。
「声が出なくなって……駆さんに拾ってもらって……やっとここまできたのに。もし私がヘマをして、Vスタの看板を汚しちゃったら……っ」
不安に押し潰されそうなすずの前に、ドカッと大きな影が落ちた。
「バカかお前は」
蓮がすずの頭を、ガシガシと雑に、けれど優しく撫でまわした。
「誰がお前ひとりに全部背負わせてるって言った? お前がステージで歌う裏で、俺は格ゲーのプロどもを全員ぶっ潰すんだよ。お前はただ、目の前のアバターに魂吹き込んで、思いっきり歌えばいいんだ。……駆が選んだお前が、下手なライブ見せるわけねぇだろ」
「蓮さん……」
「ほら、立つぞ。もう一回だ」
その日の深夜。
港区の片隅にある静かなウィークリーマンションの一室。
カーテンが締め切られた暗い部屋で、天月ルナは一人、膝を抱えてスマートフォンを見つめていた。
画面に映っているのは、SNSで『#音無すず3D』がトレンド入りし、ファンたちが期待を寄せる書き込みの数々。
「(私が……本当に、あのステージに立っていいのかな……)」
ルナの胸を押し潰していたのは、申し訳なさと恐怖だった。
退所報道以降、世間は自分の失踪で大騒ぎしている。
そんな中、血の滲むような努力で3Dライブを作り上げているすずちゃんの晴れ舞台に、自分が突如として乱入したらどうなるか。
「すずちゃんのライブを奪った」「話題作りでしゃしゃり出てきた」と叩かれるのではないか。何より、一生懸命準備しているすずちゃんを傷つけてしまうのではないか。
暗闇の中で震えるルナの肩。
その時、トントン、と静かなノック音が部屋に響いた。
扉を開けると、そこには缶コーヒーを二つ持った駆が立っていた。
「……織田さん」
「顔色が悪いな、ルナ」
駆は部屋に入ると、ルナに缶コーヒーを渡し、パイプ椅子に腰掛けた。
「織田さん……私、やっぱり不安です……」
ルナは俯き、握りしめた缶コーヒーの表面に視線を落とした。
「すずちゃんは、毎日夜遅くまでダンスや歌の練習をしてるって……弦さんから聞きました。そんな大切な、すずちゃんにとって一生に一度の初3Dライブなのに……私が急に割り込んだら、すずちゃんの努力を台無しにしちゃわないでしょうか……っ」
震える声で吐露されたルナの葛藤。
駆は静かにコーヒーを一口あおると、淡々と言い放った。
「お前は、すずを舐めているのか?」
「……え?」
ルナが弾かれたように顔を上げる。
「すずはお前を倒すために、お前の背中に追いつくために、毎日本気で吐くまで踊ってる。お前が日和った生ぬるい覚悟でステージに立てば、それこそすずの努力への侮辱だ」
駆の鋭い瞳が、ルナの恐怖を真っ直ぐに射抜く。
「すずが暗闇の中にいた時、その背中を照らし続けたのは、他でもない天月ルナ……お前の歌だ。お前がステージで本物の歌声をぶつけてこそ、すずは本当の意味で『過去の自分』を超えられる」
「私……の歌が……」
「すずの晴れ舞台を奪う覚悟で来い、ルナ。……お前たちがステージで互いの存在をぶつけ合った時、Vスタは本当の意味で世界を喰う」
駆の言葉が、ルナの胸の奥で燻っていた不屈の炎に火をつけた。
ルナは溢れそうになる涙を拭うと、まっすぐに駆を見つめ返した。
「……はいっ! 私……逃げません。すずちゃんに、世界に……私の全力をぶつけます……っ!」
「よし。明日は弦と3D割り込みトラッキングの最終テストだ。喉を休めておけ」
立ち上がり、部屋を出ていく駆。
夜風が吹き抜けるマンションの廊下で、駆は胸ポケットからスマホを取り出し、画面に表示された『音無すず・3Dモデル完成データ』の通知を静かにタップした。
「準備は整った……」
すずの成長、ルナの覚悟、そして弦の技術。
パーツはすべて揃った。世界を激震させる『その日』が、ついに目前まで迫っていた。




