第25話:双翼の特訓
『天月ルナ、Live:CLOWNを退所』
ネット上がその衝撃ニュースで未だ荒れ果てていた翌日。
ボロアパート『Vスタ』の狭い事務所には、重苦しい緊張感が漂っていた。
「……急に集まってもらってすまない。結論から言う」
駆がパイプ椅子から立ち上がり、黒いレザーファイルから2枚の資料を取り出してテーブルへ滑らせた。
「今からちょうど1ヶ月後、Vスタは同時に二つの大きな勝負に出る」
「二つ……?」
すずが身を乗り出し、資料へ視線を落とす。1枚目の紙に躍っていた文字を見て、すずの息が止まった。
「……っ!? 『音無すず・3Dお披露目ライブ開催決定』……えっ、1ヶ月後!?」
「は? おい駆、冗談だろ」
ソファに深々と腰掛けていたあかぎ蓮が、肘を膝について体を前に乗り出した。
「3Dモデルの制作なんて、普通は三面図のデザインからモデリング、セットアップまで半年はかかる。スタジオの押さえだって半年前から予約で埋まってるのがこの業界だろ。1ヶ月でできるわけがねぇ」
「フフッ、蓮ちゃん甘いなぁ」
モニターの影から神代弦がメガネのブリッジを押し上げながら、ニヤリと笑う。
「すずちゃんのママさんへの3D素体用データの発注は、駆さんがとっくに全額ポケットマネーで前払いで済ませてあるんだ。僕も特注のLive3Dシステムのトラッキング調整、裏で8割方終わらせてるよ」
「な……ッ!?」
すずは目を丸くして駆を見上げた。
「じゃ、じゃあ……私に黙って、ずっと裏で進めてたんですか!?」
「当たり前だ」
駆は表情ひとつ変えず、冷徹なプロデューサーの目ですずを見下ろした。
「世間は今、天月ルナの退所で大騒ぎしている。だが、だからこそだ。他社が激震に揺れている今、ウチの看板であるお前が圧倒的なパフォーマンスを見せつければ、業界の視線は一気にVスタへ傾く。……だがすず、今のままの甘い意識でステージに立てば恥をかくだけだ」
駆はびっしりとマス目が埋め尽くされたレッスン表をすずの前に突きつけた。
「今日から毎日、ダンスレッスンと体幹トレーニング、発声練習を叩き込む。逃げ出すなら今のうちだぞ」
「逃げ……逃げ出すわけないじゃないですか……ッ!」
すずは唇をかみ締め、握りこぶしを強く握りしめた。
「声が出なくなったあの日、私に居場所をくれたのは駆さんです……! 1ヶ月だろうが何だろうが、やってやりますよ!」
「言ったな、すず」
蓮がニッと口角を上げ、首の骨をポキリと鳴らした。
「体幹鍛えねえと3Dの動きで声がブレて死ぬぞ。よし、ダンスのスパルタ指導は俺がしごいてやる」
「蓮さん……! お願いします!」
頼もしい二人を横目に、駆は静かに『2枚目の資料』——高級な黒い招待状を指先で弾き、蓮の目の前へ滑らせた。
「すずの心配をしている余裕があるのか? 蓮」
「……あ?」
「すずの3Dライブと同じ日の夜。国内最大手プロゲーミングチーム『REIGN』が主催する、招待制の格闘ゲーム大型大会——『REIGN CHAMPIONSHIP』が行われる」
蓮の眉がぴくりと動いた。駆は畳みかけるように、低く鋭い声で言葉を紡ぐ。
「お前宛てに、特別枠としての参加オファーが来ている。相手は現役のプロゲーマーやトップランカーばかりだ。断ってもいいぞ? 『配信者の遊びじゃプロには勝てない』と逃げるなら、俺から断っておくが」
一瞬の静寂。
蓮の瞳の奥に、ギラリとした野性的な殺気が宿った。
「……ハッ。相変わらず嫌味な言い回しすんな、駆」
蓮はソファから立ち上がると、招待状を引ったくり、不敵な笑みを浮かべた。
「俺を焚きつけようとしても無駄だ。……プロだか何だか知らねぇが、全員画面の向こうでボコボコにしてやるよ。駆、お前が仕掛けたこの盤面、絶対に勝たせてやるから覚悟しとけ」
「期待している」
駆は短く答え、口角をわずかに上げた。
すずと蓮が熱気を帯びたままレッスン室へ向かった後、事務所には駆と弦の二人だけが残された。
弦がキーボードを叩く手を止め、駆へ視線を送る。
「すずちゃんと蓮ちゃんを同時に仕掛けるだけでも大勝負なのに……本当にやるの? 『アレ』を」
「フッ……やらない理由があるか?」
駆の目が、恐ろしいほどの策士の光を帯びる。
「すずの3Dライブのフィナーレ。世間も、すず本人すらも知らないタイミングで、潜伏中の『天月ルナ』を突如降臨させる。割り込みシステムの設定は完璧だな?」
「もちろん。僕の腕を疑わないでよ」
弦は苦笑しながらも、楽しそうに目を輝かせた。
「すずちゃんの驚く顔と、ルナちゃんの復活……そしてネットがひっくり返る瞬間、想像するだけでゾクゾクするね」
「1ヶ月後……VスタがVTuber界の歴史を塗り替える」
狭いボロアパートの事務所で、世界を揺るがす二重三重の心理戦と仕掛けが、静かに息を吹き返し始めていた。




