第23話:冷徹なるチェスボード
『Live:CLOWN』本社ビル、最上階の特別応接室。
眼下に都心のビル群を見渡すガラス張りの室内には、重苦しい緊張感が充満していた。
大型の革張りソファに座るLive:CLOWNの最高経営責任者・鬼塚。その両脇には顧問弁護士と人事担当役員が控え、駆と対峙していた。
かつてこの会社を去ったプロデューサー・織田駆が単身で乗り込んできたのだ。
しかし、鬼塚社長の顔にあったのは不機嫌さではなく、深い苦渋と後悔の色だった。
鬼塚は重々しく息を吐くと、ソファから立ち上がり、駆に向かって静かに頭を下げた。
「……織田。まずは、謝らせてくれ」
「……社長」
「前統括部長が……奴が君を独断で追い詰めて追放した件だ。会社を裏で支えてくれていた君に対し、あんな不当な扱いを許してしまった。私の管理不全だ。本当に申し訳なかった」
業界最大手のトップが頭を下げる。両脇の弁護士たちが驚きに目を見張る中、駆の表情は微動だにしなかった。駆は静かに視線を落とすと、淡々と口を開いた。
「頭を上げてください、社長。……勘違いしないでいただきたい。俺は、あの男に追い出されたわけではありません」
「何……?」
「俺は、俺自身の判断でこの会社を辞めたんです」
駆は組んでいた足を解き、まっすぐに鬼塚の目を見つめ返した。
「あの夜……俺はあの部屋で、会社の数字と効率のために心を踏みにじられていくライバーたちの現実を見ました。天月ルナもその一人だった。あの男は『嫌なら代わりはいくらでもいる』と言い放ち、俺はそれに反論した。……だが、会社の仕組みそのものを変えられないと悟ったからこそ、俺は自ら辞表を叩きつけ、自分の足で出て行ったんです」
駆の言葉には、一切の迷いも恨みもなかった。
「俺は自分の意志で去り、自分の理想のために『Vスタ』を創った。だから、過去の追放劇についてあなたに謝罪を求めるつもりはありません。……俺が今日ここへ来たのは、過去の清算ではなく、未来の話をするためです」
鬼塚は目を見張り、やがて苦笑いを浮かべて深くソファに沈み込んだ。
「……相変わらずだな、織田。君のそういうブレないところが、かつてルナたちの信頼を集めていたんだな。……それで、未来の話とは何だ?」
「単刀直入に申し上げます」
駆は優雅に指を交差させ、言い放った。
「天月ルナとの専属契約の即時解除、および『天月ルナ』に関わるアバター、YouTubeチャンネル、商標権、収益権を含めたすべての利権の『Vスタ』への無償譲渡を求めに来ました」
一瞬の静寂の後、応接室の空気が激変した。
「……織田、ふざけるなよ」
鬼塚の表情から温和さが消え、百戦錬磨の経営者の猛毒が顔を覗かせた。
「謝罪を受け入れないのは君の勝手だが、話の限度というものがある。天月ルナは我が社の不動の看板だ。年間数十億の価値があるコンテンツを無償で渡せだと? 狂ったか」
隣の顧問弁護士が、待ってましたとばかりに書類をデスクへ叩きつける。
「そうだ! 法的にも一切話にならない! ルナ本人には厳重な『競業避止義務』と数億円の『違約金条項』が存在する。もし彼女が他社で活動を強行すれば、即座に差し止め仮処分を申請し、損害賠償請求を起こす。彼女のライバー生命は今日で完全に終わるぞ!」
大手ならではの圧倒的な法務の壁と、数億円の違約金という鎖。
これまで何人もを屈服させてきた鬼塚の目が、冷たく駆を射抜く。
「織田、君がルナを連れ出したいなら、まずは違約金と権利買取り資金として『20億円』を積むことだ。それができないなら、ルナは一生うちの契約の檻の中で静かに腐っていくだけだ」
勝負あった、と言わんばかりの鬼塚。
だが——駆はフッと口角を上げ、鼻で小さく笑った。
「20億円……ですか。相変わらず、他人の才能に値段をつけるのがお好きですね」
駆はカバンから一冊の黒いレザーファイルを取り出し、テーブルの中央へ静かに滑らせた。
「では、社長。その20億円と、こちらの『資料』……どちらが会社にとって重いか、読み比べてみてください」
「なんだこれは」
不審そうにファイルを開いた弁護士が、1ページ目を捲った瞬間。
その顔からスーッと血の気が引いていった。指先があからさまにガタガタと震え出す。
「な……ッ!? こ、これは……っ!?」
「おい、どうした!?」鬼塚が不審そうに覗き込む。
そこに収められていたのは——前統括部長が海外の裏社会業者へ指示し、Vスタへ打ち込んだDDoS攻撃の着金証明、そしてルナに対する違法な労働強要とパワハラの音声起こし、さらには警視庁および東京地検特捜部への『組織的犯罪処罰法違反』の刑事告訴状原案だった。
「バカな……! DDoS攻撃の資金が……うちの裏口座から……!?」
弁護士の額から大粒の脂汗が吹き出す。
鬼塚は血相を変えてファイルを手にとり、血走った目でページを捲った。
「ね、捏造だ! こんなもの、前統括部長が勝手にやった個人の暴走だ! 会社は一切関与していない!」
鬼塚の怒号が応接室に響く。だが、駆は冷ややかな目でそれを見つめていた。
「個人の暴走、ですか。……では社長、この着金口座の決裁印を押した『社内稟議書』の控えも、一緒にお見せしましょうか?」
駆が胸ポケットから一枚の紙をチラリと見せた瞬間、鬼塚の言葉が喉で詰まった。
「前統括部長が暴走できたのは、あなたが彼の数字を優先し、不正を認識しながら見逃していたからです。これは『会社ぐるみの組織的犯罪』ですよ」
「くっ……! だからと言って、こんなもので我が社が崩壊するとでも思っているのか!? うちには業界最強の法務部と政財界のパイプがある! 裁判で泥沼になれば、潰れるのは資金のない君たちVスタの方だぞ!」
鬼塚は最後の強がりでデスクを叩いた。心理戦で押し切ろうとする経営者の悪あがき。
しかし、駆はゆったりと背もたれに体を預け、逃げ場を完全に塞ぐ「最後のチェックメイト」を言い渡した。
「裁判で勝つか負けるか……そんな悠長な話をしていませんよ、社長」
駆の低く冷酷な声が、応接室の空気を凍りつかせる。
「明日の朝刊とニュース番組に、この全証拠をリークします」
「……何……!?」
「『業界最大手のLive:CLOWN、競合他社へ裏社会を使った犯罪攻撃を指示』『看板ライバーへの非人道的な違法労働』……ニュースが出た瞬間にどうなるか、あなたなら分かるはずだ。スポンサーは全社即時撤退、株価はストップ安、プラットフォームからのアカウント停止。裁判が始まる前に、Live:CLOWNは一週間で倒産します」
「貴様……ッ!!」
「裁判で勝つ前に、あなたの『城』が消えてなくなるんだ」
駆はポケットから一枚の和解協定書を取り出し、テーブルの上へ滑らせた。
「選択肢は二つです。【A案】裁判を起こして意地を張り、明日会社と一緒に沈むか。【B案】前統括部長にすべての罪を被せて解雇し、『天月ルナ』の全利権をVスタへ無償譲渡して、この件を闇に葬るか」
静寂。秒針の音だけがカチカチと響く。
鬼塚社長の顔は土気色に変わり、呼吸は荒く、額からダラダラと冷や汗が流れていた。
弁護士が震える声で鬼塚の耳元で呟いた。
「……社長……これ以上は無理です……。リークされたら、本当に終わります……っ」
駆は冷酷な眼光で、プライドを打ち砕かれた絶対王者を射抜いた。
「直ぐには決めれないでしょう。3分だけ待ちますよ、鬼塚社長。さあ、選んでください……会社を潰すか、ルナを諦めるか」




