第20話:歌は誰かを幸せにする
コラボ配信が終わっても、ネットの熱気は冷めるどころか、優しく温かい波となって世界中に広がり続けていた。
切り抜き動画のコメント欄には、ただ一曲の歌に救われた人々の言葉が、溢れるように書き込まれている。
『泣いた。こんなに心が揺さぶられた歌は初めてです』
『すずちゃん、諦めずに歌い続けてくれてありがとう』
『明日も、もう少しだけ頑張ってみようって思えた』
画面の向こう側に広がる、たくさんの「誰か」の小さな幸せ。
配信が終わり、静まり返った自室。
みあはデスクに突っ伏し、トレンチコートの袖で目を覆ったまま、ぽろぽろと涙を流していた。
ずっと、暗闇の中にいた。
個人勢として活動していた頃、誰にも聴いてもらえず、たった一人で泣いていたあの部屋。
今日もまた、過去のトラウマが蘇って喉がキュッと絞まり、声が出なくなりかけた。
けれど——届いたのだ。
織田さんが見つけてくれた自分の歌が。蓮ちゃんが「好きに歌え」と背中を押してくれたその場所で、振り絞るように歌った私の声が。
『……おいチビ。いつまで泣いてんだよ』
インカム越しに、自室にいる蓮の声が届く。
相変わらずの素っ気ない言い方。だけど、その声の奥には隠しきれない優しさが滲んでいた。
『……あかぎさん……っ』
『アタシの格ゲーの魅せ場より目立ちやがってさ。……まあ、悪くなかったんじゃない。お前のあの歌』
照れ隠しにフンと鼻を鳴らす蓮。
みあはゴシゴシと涙を拭って、鼻をすすりながら、小さく笑った。
『……はい! 私……私、歌えて……本当に良かったです……っ!』
「歌えてよかった」
それは、ずっと自分を責め続けてきたみあが、初めて自分自身を許せた瞬間の言葉だった。
一方、ボロアパートの小さな事務所。
ベランダに出た駆は、夜風に当たりながら静かに煙草へ火をつけた。
紫色の煙が、月明かりの中にふわりと溶けていく。
室内では、コンソールの明かりの中で弦が嬉しそうにウーロンハイのグラスを傾けていた。
「……ねえ、駆」
氷をカランと鳴らして、弦がベランダの駆へ背中越しに語りかける。
「歌って、すごいね。たった一人の女の子が一生懸命歌っただけでさ……この世界のどこかで、暗い部屋で泣いてた誰かが、みんな笑顔になっちゃうんだから」
駆は煙草の灰を静かに落とし、夜空を見上げた。
「……ああ」
かつて大手の事務所で見てきたのは、数字や効率のために疲れ果て、使い捨てられていくライバーたちの姿だった。
だけど、今ここにあるのは違う。
たった一人で暗闇の中で泣いていた女の子が、自分の居場所を見つけて歌を届ける。
それを受け取った誰かが、救われて笑顔になる。
「歌は……誰かを幸せにするためにあるんだな」
駆はぽつりと呟いた。
誰かを蹴落とすためでも、数字を自慢するためでもない。
暗闇の中でうずくまっている誰かの心にぽっと灯りをともして、「明日も生きてみよう」と思ってもらうために。
駆は短くなった煙草を灰皿で消すと、ガラス戸を開けてあたたかい光が満ちる事務所の中へと戻った。
インカムの向こうからは、泣き疲れて「……お腹すきました」と小さくお腹を鳴らすみあと、「手のかかるチビだな。なんか食いに行くか」と呆れながらも笑う蓮の、愛おしい会話が聞こえていた。
駆はデスクの前に立ち、画面の中で可憐に微笑むふたりのアバターを見つめ、心からの笑顔を浮かべた。
「お疲れ様、すず、蓮。……最高のライブだったよ」
同じ夜。
業界最大手『Live:Crown』の防音配信ルーム。
豪華な機材が並ぶ暗い部屋の中で、ひとりの少女がスマホの画面を凝視していた。
『Live:CLOWN』が誇る不動の看板ライバー——天月ルナ。
画面の中で眩しいほどの笑顔で歌う『音無すず』と、彼女を誇らしげに支えるVスタの空気感。
会社から与えられた過酷なノルマ、用意されたマニュアル通りの配信、数字のためだけに歌わされる毎日。
すり減っていく心の中で、ルナの瞳からぽろりと一筋の涙がこぼれ落ちた。
「……織田さん」
かつて、自分を会社の数字の道具から救おうとして、志半ばで会社を追い出されてしまった優しいマネージャーの顔が浮かぶ。
『歌は……誰かを幸せにするためにある』
画面の向こうですずが放った歌声と、駆の教えが、ルナの凍りついていた心を激しく揺さぶっていた。
「私……何のために歌ってるんだろう。こんなの……私の歌じゃない……!」
ルナは涙を拭い、ぎゅっと胸の前で拳を握りしめた。
その瞳には、諦めと恐怖を捨て去り、己の足で立ち上がる強い光が宿っていた。
デスクの上に置かれた『Live:CLOWN』との専属契約書。
ルナは迷うことなくスマホを手に取り、かつて駆から渡されていた連絡先の画面を開いた。
「織田さん……私、もう逃げません。……私の歌を、取り戻しに行きます」
小さなボロアパートから始まったVスタの波紋は、ついに大手の絶対女王の心すらも動かした。
新しい時代の扉が、今まさに開こうとしていた。




