第19話:届いた声
「……神代、やるぞ」
事務所のメインモニターを見つめる駆の瞳に、冷徹な怒りの火が宿った。
画面には、異常な速度で流れる『枕営業』『消えろ』という暴言のコピペ、そして回線帯域が圧迫されていることを示す真っ赤な警告インジケーターが点滅している。
「了解。海外プロキシを経由した帯域DDoS攻撃……それに、数万の荒らしbotアカウント。駆の言った通り『Live:CLOWN』のいつもの汚い手口だ。プロキシの特定、完了!」
神代弦の指先が、キーボードの上で残像を描くほどの超高速で踊る。
「予備の分散サーバーにアクセスを即座にバイパス! 同時に、海外IPからの直接アクセスに最大強度のフィルターを適用……よし、回線帯域、正常値に復旧! botのIPアドレス、5万件一括遮断!!」
パチィン! と弦がエンターキーを強く叩きつける。
わずか数十秒の電撃戦。
配信画面を埋め尽くしていたどす黒い悪意のコメント群が、魔法のように綺麗さっぱり消え去った。画面に残されたのは、困惑しながらも必死に言葉を紡ぐ本物のファンの『すずちゃん大丈夫!?』『待ってるからね!』という温かい声援だけだった。
——だが、技術的な攻撃を退けても、配信の止まった空気までは戻らない。
自室で過去のトラウマに呑み込まれたみあは、固まったまま息を殺し、恐怖に震えている。
このままでは、配信事故として終わってしまう。
その重苦しい静寂をブチ破ったのは、自宅のダンボールブースにいるあかぎ蓮の、マイクが割れんばかりの怒号だった。
「あーあ! ったく、大手の回し者だか何だか知らねえが、クソつまんねえお邪魔虫が湧いてやがったな!!」
蓮はマイクの入力音量を極限まで引き上げ、あえて大袈裟にコントローラーのボタンをガシャガシャと激しく叩きつけながら、画面に向かって吠えた。
「おいクソリスナーども! 雑音はウチのプロデューサーとエンジニアが全員血祭りにあげたから安心して見てろ! すずの準備ができるまで、アタシがこの最高ランクの奴らを全員秒殺してやるよ! 目ぇかっぽじって見てな!!」
蓮は即座に格闘ゲームのロビーへと乱入し、相手を画面端に追い詰めて怒涛のコンボを叩き込み始めた。
それは、みあに「歌え」とプレッシャーをかける甘いエールではない。
配信の熱量を一滴たりとも冷まさないため、みあが己の足で立ち上がる時間を稼ぐための、狂犬なりの泥臭く、必死な「場繋ぎ」だった。
『狂犬ちゃんナイス!!!』
『繋いでくれてありがとう!』
『すずちゃんゆっくりでいいからね!』
蓮の荒々しくも圧巻の神プレイに、チャット欄の熱気が再び息を吹き返していく。
その頃——一人きりの薄暗い部屋で、みあはデスクの上で激しく震える自分の手を見つめていた。
(まただ……また、私は逃げるの……?)
脳裏に酷く焼き付いている、個人勢時代の苦い記憶。
どれだけ心を込めて歌っても届かず、アンチの心ない暴言に刺され、一人で部屋の隅で膝を抱えて泣いていたあの暗闇。
(嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ……ッ! 私は、もうあの頃の弱くて泣いてばかりの自分に戻りたくない……ッ!!)
モニターの向こうでは、あかぎ蓮が自分に恥をかかせないため、必死に暴言を吐きながら画面を支えてくれている。
事務所では、織田駆と神代弦が、自分の歌う場所を守るために裏で戦ってくれている。
(守られてばかりで……助けられてばかりで……そんなの、悔しいよ……っ!!)
恐怖を遥かに超えて、胸の奥底からドロドロとした熱い「悔しさ」と「情熱」が爆発するように込み上げてくる。
みあは溢れ出る大粒の涙をトレンチコートの袖で乱暴に拭い去り、真っ赤になった目でマイクをぎゅっと握りしめた。
織田駆が自分を見つけてくれた。
仲間ができた。ファンが待っている。
「……私はッ……! 歌うんだからあああああッッ!!!」
叫びにも似た心の咆哮。
みあは進行スケジュールを完全に無視し、自らの手でBGM再生ボタンを叩き込もうとした。
歌うのは、用意されていた流行のアニメソングなんかじゃない。
個人勢時代、誰にも聴いてもらえず、暗闇の中でただ一人で紡いでいた——彼女の原点である自作バラード曲だ。
だが、アカペラで歌い出そうとしたその瞬間。
事務所のメインコンソールから、みあの管理画面用チャットへ、神代弦からのメッセージが滑り込んだ。
『すずちゃん、依頼されていたもの用意してるよ』
「……っ!?」
みあは目を見開いた。
コラボ配信の前日、みあは密かに弦へお願いをしていたのだ。
『もし……私が自分に負けそうになったら、私の原点の曲をかけたいんです』と。
音楽のプロフェッショナルである弦は、彼女がいつ覚醒してもいいように、完璧な音響プロセッシングを施したバックトラックを、すでにコンソールへ仕込んでいたのだった。
すっと、静かで美しく、どこか切ないピアノのイントロが、クリアな音質で配信に乗って流れ始める。
事務所で腕を組んでいた駆が、画面に向かって満足そうに口角を上げた。
「……行け、音無すず。お前の歌を、世界に叩き込んでこい」
みあは溢れ出す感情の全てを吐き出すように、大きく胸に息を吸い込んだ。
「——〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜♪♪♪」
瞬間、世界から全ての雑音が消え去った。
それは、個人勢時代の絶望も、アンチの悪意も、己の恐怖すらも全て薙ぎ払い、愛と情熱へと昇華させた、あまりにも圧倒的で美しい「魂の絶叫」だった。
ゲームのプレイの手を止め、モニターの前で絶句する蓮。
キーボードを叩く手を止め、満足そうに深々と頷く弦。
そして、腕を組み、誇らしげに画面を見つめる駆。
聴く者の胸を力ずくで締め付けるような圧巻の歌声に、チャット欄のスクロールが完全にフリーズし、次の瞬間——画面が見えなくなるほどの爆発的な感動のコメントと、怒涛の投げ銭が流れた。
『鳥肌がヤバい……涙が止まらない……!』
『なんだこの歌声……化け物だろ……っ!』
『すずちゃん!! すずちゃん最高だあああああ!!』
同質カウンターの数字が狂ったように跳ね上がる。
15万、18万——そして、ついに20万人の大台を突破した。
暗闇を己の歌声で力任せに切り裂いた少女の覚醒。
『Vスタ』の真の反撃が、今ここに世界を呑み込んだのだった。




