第14話:狂犬の初配信
「……すまん、少し席を外す」
駆は一言告げると、静かに事務所のベランダへと出た。
ガラス戸を閉め、冷たい外気に包まれながら通話ボタンをタップし、スマホを耳に当てる。
『……あ、織田さん……!? 私です、ルナです!』
受話器から聞こえてきたのは、少し掠れた、だが聞き覚えのある透明感のある声だった。
『天月ルナ』——『Live:CLOWN』の看板ライバーの一人であり、一年前、統括部長による過酷な使い捨ての労働環境から、駆が身を挺して庇い、守ろうとした少女だ。
「……ルナか。久しぶりだな」
『はいっ! 織田さん、お元気でしたか!? 私、昨日公開された『Vスタ』のPV……見ました! もう、本当にすごくてっ! すずさんのあの澄んだ高音も、蓮さんの格闘ゲームの痺れるようなプレイも……っ! 画面の前で思わず鳥肌が立っちゃいました! 織田さん、やっぱりすごいです……!』
マシンガンのように一気に捲し立てるルナの声は、パッと花が咲いたように明るく華やかだった。駆を安心させようと、そして自分の声で元気を与えようと、努めてはしゃいでみせている。
だが——駆の鋭い耳は誤魔化せなかった。
明るいトーンの裏側に潜む、かすかな声の震え。息を吸い込む時の小さな躊躇い。そして、彼女特有の「無理をして笑顔を作っている時の声の癖」を。
「……ルナ」
駆は低く、包み込むような声で静かに語りかけた。
「……無理に笑わなくていい。統括部長に、また無茶なスケジュールを押し付けられているんじゃないか」
『え……?』
電話の向こうで、ピタリと声が止まった。
数十秒の沈黙の後、小さな吸気音とともに、先ほどまでの無理な明るさは消え去っていた。
『……あはは。やっぱり、織田さんには隠せないですね……』
自嘲気味な、今にも泣き出しそうな声。
『大丈夫です……大丈夫ですよ。織田さんが会社を去る前に守ってくれた歌の楽しさ、私、まだちゃんと覚えていますから。ただ……今日の朝、社内の雰囲気がすごく異様で。統括部長がすごく焦った様子でVスタの情報を集めさせていて……織田さんたちを警戒して、何か嫌がらせをしようとしてるみたいで……』
「……そうか。知らせてくれて助かった」
『織田さん……私、織田さんが作ってくれたあの優しい場所が忘れられません。だから……お願いです、気をつけてください。私、ずっと……ずっとVスタを、応援してますから……!』
絞り出すようなルナの言葉に、駆は胸の奥が熱くなるのを感じた。自分が救おうとした少女の想いが、今もこうして自分を支えてくれている。
「ありがとう、ルナ。……お前が守ってくれた想いは、無駄にはしない。待っていてくれ。お前が何の脅迫も受けず、胸を張って歌える場所を……俺が業界ごと変えて作ってやる」
『……! はい……! 信じてます……!』
通話が切れ、画面が暗転する。
駆はベランダの手すりに手を置き、静かに夜空を見上げた。
ベランダから室内に戻ると、みあ、弦、蓮の三人が一斉に駆へと視線を向けた。不安そうにトレンチコートの袖を気にするみあに、駆は「大丈夫だ」と短く告げる。
「『Live:CLOWN』のライバーからだ。向こうの社内がVスタのPVに激震していると教えてくれた」
「へぇ〜!」
弦がニヤリと口角を上げた。
「あの業界最大手が、ボロアパートの新人二人に怯えてるってわけだ。最高の気分だねぇ」
「ハッ! 当たり前だろ!」
蓮がソファーから勢いよく立ち上がり、赤ジャージの袖を捲り上げた。
「ビビってんなら、そのまま指くわえて見てろってんだ。アタシたちの勢いは、誰にも止められねえよ!」
「ああ、その通りだ」
駆は三人を見渡し、力強く言い放った。
「外野の雑音に付き合う必要はない。——予定通り今夜二十時、あかぎ蓮の『初・単独配信』を行う。ネットの連中も、大手の幹部どもも、全員まとめてそのプレイで黙らせてやれ」
十九時五十五分。
蓮の部屋の片隅に作られた、無骨な手作りの簡易防音スペース。
駆が何枚も重ねた分厚い強化ダンボールに、ウレタンの吸音シートを隙間なく貼り合わせて作り上げた、文字通りの「手作り防音ブース」だ。見た目は泥臭いが、駆のミリ単位の計算により、中でどれだけ叫んでもアパートの隣室へ音が漏れない設計になっている。
その狭く熱気のこもったブースの中で、あかぎ蓮はデスクの前に座っていた。
モニターの片隅に表示された『MeTube』の待機所画面では、配信開始まであと五分だというのに、同接がすでに3万人を突破していた。
『きたあああああ』
『神PVの狂犬ちゃんの初配信!!』
『格ゲーの動きマジ? プロのゴーストライターじゃねえの?』
『口悪い動画のまんまなら推すわwww』
高速で流れ続けるチャット欄を見つめ、蓮は口角をニッと吊り上げ、コントローラーを力強く握りしめた。
「……分からせてやるよ。アタシが、あかぎ蓮だ」
指がマウスをクリックし、カウントダウンがゼロになる。
『Vスタ』の狂犬による、手作りの防音城からの伝説の初配信が幕を開ける——。




